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「私は努力している」という勘違いをしていた話

「努力が足りない」
会社の同僚から面と向かってそう言われた。
心外である。
他の人にはわからないだろうけど、私だって陰ながら努力をしている。

平日は待ち時間を活用して勉強している。
休日も仕事の勉強をしている。
隙間時間を活用するために、仕事術の本をYouTubeで聞いている。
「サラタメ」さんとか「学識サロンのマー」さんとか、仕事術の本を要約しているチャンネルを見れば、本を買わなくても要点を知ることができる。
学びのためにYouTubeを活用しているのだ。
さらにメンタルが病んだ時は精神科医のチャンネルを見ていた。
「アウトプット大全」の著者である樺沢紫苑先生のチャンネルである。
樺沢先生のアドバイスのおかげで、心と体を整えることができた。
今でも樺沢先生が提唱する健康習慣「朝散歩」を実践している。
ファッションが疎いから、これもYouTubeで勉強している。

勉強の場はYouTubeだけではない。
昔から本はたくさん読んでいた。
年間120冊くらい読んだ時期もあった。
YouTubeに頼らず本で学ぶことは今でもある。
さらに昔からコミュニケーションが苦手なので、コミュニケーションを鍛える研修を受けたこともある。
苦手を克服しようとする意識はあると自覚している。

努力は人が見ていないところでやるものだ。
私の持論だった。
会社の人たちも私が知らないだけで必死になって努力しているのだろう。
私も同じように努力してきたつもりだ。
それを面と向かって否定されてはたまったものではない。
これ以上、私に何を努力せよというのか。
そんな風に感じてしまった。
否定された直後はそう思っていた。


けれども翌朝、ふと我に帰る。
私がやってきたことは本当に努力だったのだろうか、と。
色々やってはいるけれど、成果に結びついていない。
頑張ってきたことの成果が人の目に見えなければ意味がないのではないか。
いや、そうではないはずだ。
やること自体に意義があるはずだ。
ん? これって自分から成果を求めていないのではないか?
それでは私は何のために努力しているのだろう?

努力する以上、目的が必要だ。
自分が求める理想の姿があって、それに向かって努力するのが普通だ。
例えば、綺麗になりたい、モテたいという目的があれば、ファッションや美容に努力を注ぎ込むはずだ。
雑誌を読んだり、実際に商品を試してみたり、プロの店員さんにアドバイスを求めたり、さまざまな努力をして目的を達成させるはずだ。
目指すべき理想のためなら、苦手なことにも挑戦するはずだ。
苦手なことだからやらない、得意なことだけをやる、では目的を達成できない。

では、私の場合、何か目的があっただろうか。
探してみるけれども、何も見当たらない。
私の努力は、何のためにそれをやるのか、が見事に欠落しているのだ。
それはもはや努力とは言わないだろう。
努力とは、あるべき理想の姿に向かって取り組む過程のことだから。
私に「努力が足りない」といったあの人の言う通りだった。
もっと正確に言えば「努力する以前に、目的が定まっていない」だろうか。

目的があれば嫌なことでも我慢して努力することができる。
けれども、私は目的がないため嫌なことを避けてしまう。
私はいつも自分ができること好きなことばかりを求めてしまう。
自分の興味があることしかしない。
人にアドバイスや意見を求めない。
そのくせ、意見やアドバイスをもらったら鵜呑みにしてしまう。
自分の中に目的が定まっていないのだ。

それならば、なぜ本を読んだり、勉強したり、コミュニケーションの研修を受けたりしたのだろう。
多分、「自分は周りの人よりも頑張っている」と自己満足に浸りたいからか。
一応、目的はあるのだと思う。
自己満足という目的が。
それは、自分さえ満足すればいいという、あまりにも低レベルな目的。
仕事の会話であれば、相手と円滑なコミュニケーションができて仕事を進めることができて、初めてスタートラインに立てるけれども、私の場合はそうではない。
「円滑なコミュニケーションをするための研修を受けた」がゴールになっている。
低次元すぎて話にならない。

一事が万事これだ。
「自分は努力している」と思っていても、肝心の目的が低レベルすぎるから、周りの人からすれば努力しているとは思われない。
他の人が「頑張っている」の10歩手前で、私は「頑張っている」と思ってしまう。
だから、YouTubeで仕事術の勉強をしようが、実際の仕事に生かせずにいるのだ。
自己満足ではなく、例えば仕事で○○の失敗をしたから、自分に足りないものを勉強するとか、そういった目的があれば違うと思う。
しかし残念ながら私にはその発想が浮かばなかった。
「自分は努力している」という罠にはまっていたのだ。
努力しているからこれ以上やることはないだろう、とか勝手に思っているのだ。
本当は努力は終わりがないはずなのに。
目的に向かって取り組む過程が努力だから。


目的をはっきり定める。
それは言い換えると、定めた目的以外のことは一旦考えないことでもある。
あれもこれもと欲張ると、決めることを恐れていると、目的を定められない。
目的を定めてないと、頑張ったことが努力にならない。
時間を無駄にしてしまう。
私は「自分は努力をしている」と勘違いしていた。
私を叱責してくれた人の言う通りだった。
何のために自分はこれをやるの?
もう一度、自分の心に問いただそうと思った。
本を読んだり、動画で勉強したり、研修を受けたりする私だ。
きっと目的さえ定まれば、自然とうまくいくはずだ。
そう信じたい。



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