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政治家池田勇人はサラリーマンの味方だった

7年で所得が2倍になる時代。
今では考えられない時代だった。
高度経済成長と呼ばれた時代のことだ。
そんな時代の始まりを作った人が池田勇人。
戦後日本の首相だ。
ちょうど1964年の東京オリンピック前に首相を務めていた人だ。

池田は京都大学に入学し、大蔵省に入省。そして政治家として首相になった人。
さぞかし頭がよく順風万歩な人生だったのではと思ってしまう。
けれども実際は挫折の連続だったようだ。
いやいや。
京都大学を出てさらに大蔵省に入って政治家になって、一体どこが挫折なのだろうか。
本人からすれば一生懸命努力して、東大を目指し役所の出世を目指したのにも関わらず、報われなかった。


子供の頃は陸軍幼年学校に入りたかった。
戦前の陸軍は子供にとって憧れの的。
池田も軍人を目指した。
しかし勉強はできたけれども体格がいまいちという理由から不合格になったらしい。
今で言えば中学校受験に失敗したようなものだろうか。

池田はさらにあきらめず今度は高校受験を頑張った。
目指すは当時の高校のナンバーワンにあたる第一高等学校。
けれども高校受験も失敗。
当時は第一高等学校から東京帝国大学に入り国家公務員になって出世するのが良いという風潮だった様だ。
ここでも池田は挫折してしまった。

三度目の正直。
今度は東京帝国大学の受験を目指す。
結果として東大には不合格となり、京都帝国大学に入学する事になる。
京大に入ること自体すごいことだけれども、必死で東大を目指して勉強してきたのに、池田は報われなかった。

京大に入った池田は猛勉強をした様だ。
勉強の甲斐あって大蔵省に入省することができた。
念願の大蔵省に入って喜んだのも束の間、大蔵省内では冷遇されてしまう。
大蔵省は東大法学部の出身者が大半を占めている。
大蔵省の中では京大卒もFラン大学出身者のような扱いをされる様だ。
必死の思いで大蔵省に入った池田はここでも挫折を味わう。
組織の中で除け者にされてしまう。

さらに出世コースからも外された。
約20年もの間地方の税務署などで仕事をしていた。
他の同期や後輩たちは大蔵省でどんどん出世していく。
とても歯痒い思いをしていたと思う。
追い討ちをかけるように難病が池田を襲う。
落葉性天疱種という病気で身体中から膿が出る辛い症状に池田は苦しんだ。
妻の直子さんが必死に看病した結果、一命を取り留めたけれども、2年近く休職することになった。
さらに看病疲れのため妻が死去。
きっと池田は悲しみの淵に立ったことだろう。


池田の立場を現代のサラリーマンに置き換えてみる。
高校受験、大学受験に失敗しても努力して念願の大手企業に入社する。
けれども会社では自分よりもできる人ばかりいて、さらに学閥によって暗黙のうちに出世が決まっている状態。
上位の役職になかなか就けず地方の支店をたらい回されている。
そんな中、難病にかかって2年も仕事のブランクが空く。
自分の同期や後輩ははるか先に行ってしまい、自分だけが取り残された感じ。
なんというか、残念なサラリーマン。
追い討ちをかける様に妻も死去。
いや、文章書いていてこの境遇はしんどいと思う。

不遇な境遇の池田。
そんな池田が偉かったところは、地方に長くいたため現場の仕事を肌感覚で覚えたことだと思う。
実際に税務署で働く人たちと長く一緒に働いて、生の知識や経験を蓄えていった。
現場での経験は池田にとっても財産になったはず。
さらに地方の庶民の暮らしも知ったことで、後に政治家になった時の庶民の肌感覚を忘れなかったのかもしれない。


戦争が終わって、大蔵省の幹部にいた人たちが一斉に左遷される。
連合国総司令部(G H Q)の命令によって。
そんな環境のおかげなのか、それまで冷や飯を食っていた池田が大蔵省のトップになる。
大蔵事務次官だ。
トップになったからといって苦労がなくなるわけではない。
いや、むしろG H Qと面倒なやりとりに関わることになる。
G H Qは大蔵省に対して無理難題を押し付けてくる。
戦争に負けて国土が灰になった状態にも関わらず税金を上げよと命令するG H Q。
戦前の池田は戦争に勝つためには税金が必要だといって徴税していたけれども、流石に国が貧しいのに税金をあげることはできない。
実現がどんなに難しいことかわかっている池田が、思わず「ドロボウと変わらないじゃないか」とぼやいてしまうほど。
まさに上司に無理難題を投げられて頭を抱える中間管理職のサラリーマン。

吉田茂首相に目をかけられて政治家になった後も、池田の役回りは変わらない。
アメリカの無理難題に振り回されながらも、日本がなんとか敗戦から立ち直る様にあの手この手で手配する。
アメリカとの重要な交渉に任されるほど、吉田首相の信任を得ることができた。
ここでようやく日の目を浴びることになったかと思いきや、吉田首相が引退すると途端に池田は除け者にされてしまう。
また不遇の時代に突入した池田。

池田が冷遇された時代はちょうど自由民主党が出来上がった頃だった。
党内の派閥と呼ばれる集団がお互いに足を引っ張り合う政治が始まった。
その時池田は何をしていたか?
勉強をしていた。
後の所得倍増のもとになる計画をブレーンの官僚たちと議論していた。
池田はその人生のほとんどが不遇な時間だった。
そんな時こそ池田は現場の人たちから仕事を教えてもらい、経済に詳しい人たちと議論して今後の政策を考えてきた。

何度も受験に失敗してそれでもあきらめず努力した経験。
現場で長く働いてきた経験。
組織で冷遇されてきた経験。
役職についてもさらに上の立場であるアメリカから無理難題をふっかけられた経験。
自らサラリーマンとして苦しんだ経験。
今までの池田の経験から生まれたのが所得倍増計画。
一生懸命頑張ればいつかきっと報われる社会を作る。
努力したけれどもなかなか結果に結びつかなかった池田。
そんな池田だからこそ多くの日本人に伝えたいメッセージが、頑張って働けば将来収入が増えるから頑張ってほしい、ということだと思う。

池田は頑張る人たちが頑張りやすくする環境を整えるのが政府の役目だと思っていた。
決して政府が未来の日本を考えて国民に押し付ける様なことはしない。
未来を考えるはあくまで働く国民一人一人。
頑張った人がいつか報われる社会になれば、国民は未来のことを考える、日本ことも考える。
池田はそう思ったのではないだろうか。

所得倍増計画のもとになったのは、挫折した時や除け者にされた時の努力。
順風万歩に行かないサラリーマン生活。
挫折した時、組織に居場所が無くなったとき、中間管理職として頭を抱えた時もある。
池田は苦しい時ほど勉強した。
現場の生の声を聞いていた。
仕事でうまくいかない時、池田の姿勢はとても参考になると思う。


京大卒、大蔵官僚、政治家、首相。
池田勇人は普通の人からすればすごいエリートの様に映るけれども、その実態は挫折の連続だった。
そしてとてもザ日本のサラリーマンみたいな人生を歩んできた人だった。
だからこそ頑張って働くサラリーマンが報われる社会を作るために、所得倍増計画を実施したのだと思う。
政治家池田勇人はサラリーマンの味方だった。

参考:倉山満『嘘だらけの池田勇人』(扶桑社新書、2021年)

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