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「こんなこともできないのか」 その一言が人の心を殺す

「こんなこともできないのか」

今まで何度も言われてきた言葉だ。

直接言葉で言われなくても、わかってしまう。

察してしまう。

たとえ遠回しな言い方であっても

相手を傷つけないようにするためか、それとも相手をばかにしている本性を悟られたくないのかわからない。

けれども伝わるものは伝わるものだ。

もちろんできない人が悪いのは百も承知だ。

人が当たり前のようにできることができない。

それだけも大きなハンディキャップだし、何より周りの人に迷惑がかかる。

そんなことを差し引いてもなお、私は「そんなこともできないのか」とは一度も言ったことがない。

なぜなら、人の心を殺す悪魔の言葉だからだ。

子供の頃からできないことだらけだった。

運動ができなかった。

音楽が上手いわけでも、絵が描けるわけでもない。

文章が上手いわけでもない。

特に致命的だったのは、学校の授業でも先生が何を言っているのかさっぱりわからなかったことだった。

今でも人の話を聞いても、何を言っているのかわからない時がある。

音は聞こえるけれども、言葉として認識できない。

事実だからしょうがないのだけれども、このことを相手に話しても全く信じてもらえない。

できないことがとにかく多すぎた。

だから言われた。

そんなこともできないのか、と。

その言葉を聞くたびに、ああこれもできないのか、と落胆し、やる気を失う。

今までやる気を失ってきたことは数知れず。

だから何もできなくなる、この負のスパイラル。

もしかしたら続けていたらできたかも知れない。

もしかしたら成長できていたかも知れない。

その人の成長を殺す悪魔の言葉。

それが、そんなこともできないのか、というフレーズ。

私も何かの拍子で言ってしまわないようにしたい。

たとえ言葉にしなくても心の中で、そんなこともできないのか、と思って話すと、相手に伝わってしまう。

たとえ言い回しを変えても、優しい言葉であっても、その人の気持ちは滲み出てしまうのだ。

私の心が殺されたように、今度は私が人の心を殺さないように気をつけたいものだ。

たとえ、どんなことがあっても、浴びせてはいけない言葉。

自分の価値観の押し付け。

人は一人一人できることが違う。

同じようにできないことも違う。

だから互いに助け合う。

そんな当たり前の事実に向き合えない。

普段相手の気持ちになって考えている人に限って、なぜかこの言葉を浴びせる時sだけ自分の尺度だけで考えてしまう。

ダブルスタンダート。

そんな人になりたくないものだ。


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