『アはアーケードのア』第21回『ラリーX/ニューラリーX』(1980/1981年 ナムコ)
久々の『アはアーケードのア』です。ずっと五十音順に書いていたのですが、な行に入ったところで悩んだのでいったん逃げて、とりあえず書きたいものを書きます。おかしな点があればご指摘いただけると幸いです。
衝撃的だった4方向スクロール
『ラリーX』はマイカーを操作して、縦横にスクロールする広い迷路空間で敵車の追跡をかわしながら10箇所のチェックポイントを回る、疾走感あふれるドットイート系ゲームです。翌年には難易度などを調整した『ニューラリーX』が発売されています。
ぼくはこのゲームが大好きで、高校生のときにナムコ主催の『ニューラリーX』ゲーム大会にも出場しました。スタジオアルタで行われた第二次予選で敗退しましたが。
初代『ラリーX』を初めて見たときの印象は本当に強烈でした。当時はスクロールすることそのものが新鮮で、自キャラが常に画面の中心にいて、どこまで行ってもその先に空間が続いている。今の感覚でいうとオープンワールドのゲームを初めて見た人が受ける感動のようとでもいうのか。
ただ、実際にはその少し前に『クレイジークライマー』でスクロールゲームの洗礼を受けていて、そっちの衝撃もすごかったのですが、『クレイジークライマー』は原則として上へ進む選択肢しかなかったので、『ラリーX』の自由な4方向スクロールでまたビックリした、というのがあったと思います。
でも、もっというと、その前にたとえばAtariのドライブゲーム『SUPER BUG』なども遊んでいましたし、『ギャラクシアン』だって背景は流れているし、スクロールするゲームはいくつもあったと思うのですが、前述の2作に出会ったときの感覚は別物でとても鮮烈でした。
難しすぎた初代から“ニュー”への進化
そんな衝撃を受けた初代『ラリーX』でしたが、実際に遊んでみるとまあ難しい。敵車の数が多い上、エネルギーの減る早さが尋常じゃなくて、コースを大回りして敵の追撃をかわすようなこともほとんどできない。とにかく時間が足りない。
対抗手段として用意されたスモークで何とかかわそうとするのですが、移動エネルギーと共通で、一回の消費量も大きくて、あまり使うわけにいかない。逃げ回ってるうちにエネルギー切れでミスになるということが頻発していた覚えがあります。
『ラリーX』には初級−中級−上級−エキスパートの4コースがあって、どんどん先へ進んでいくのですが、当時、何とかエキスパートまで行けたときは感動もあったけれど、どちらかというと、もうダメだ限界だという絶望感の方が大きかった気がします。プレイ時間だけの問題じゃないんですね。ぶっきらぼうに遊び手を突き放したような難易度とでもいえばいいのか。
だから、そのバージョンアップ版が『ニューラリーX』と名前まで変えて、新作の装いで登場したときは、本当に諸手を挙げての大歓迎でした。画面のカラーリングと一部のデザインが変わり、軽快なBGMが加わり、何より難易度が大幅に下がってグッと遊びやすくなった。遊び比べるとよくわかるのですが、じつに多面的にテコ入れをしている。
もしも『ニューラリーX』という新バージョンが世に出ていなかったら、後々までゲームファンの記憶には『ラリーX』の思い出だけが刻まれていたわけで、その印象の差は相当大きかっただろうと思います。
『ラリーX』の源流、そして『パックマン』との共通点と相違点
ところで『ラリーX』の源流って何でしょうね? 一つに、前述のAtari『SUPER BUG』が思い当たります。車を操作するトップビュー・スクロールゲームの原点の一つで、しかも国内の販売元はナムコでした。もしかしたらスタッフが開発のヒントにしていたかもしれません。
それともう一つ、迷路物の系譜として『パックマン』がAtariの『GOTCHA』から派生したように、『ラリーX』もまた『パックマン』から派生したものと考えることができるかもしれません。敵の追跡をかわしながら迷路を移動してターゲットを集める。これまた実際に参考にしたかはわかりませんが、考え方はよく似ています。
『パックマン』と『ラリーX』を比べてみると、まずスクロールの有無という点で両者は大きく異なっています。『ラリーX』は画面全体が見えない代わりにレーダーでプレイヤーの視界をカバーしています。
そして、『パックマン』のパワーエサという反撃手段に対して、『ラリーX』ではスモークボタン。反撃というよりは一時的な足止め手段です。
それから『ラリーX』には敵車同士で当たり判定があって、よく数台で衝突してもたもたしているようなことが起こります。『パックマン』にこの要素はありません。ほかにも比較するとおもしろい箇所がいくつもあるのですが、このあとでも触れます。
このゲームのスタッフの田城幸一さんはぼくのナムコ時代の上司の一人でしたが、一つ強く印象に残っている発言があって、どういう話の流れだったか忘れたのですが、田城さんが『ラリーX』と『ニューラリーX』のことを「あのゲームは完成していると思ってないよ」とぼくにいったことがありました。
※田城幸一さんのことをこのゲームのプログラマと書いていましたが、ハード設計の誤りでしたので訂正しました。申し訳ありませんでした。
『ラリーX』のことをそういうならともかく、少なくとも改修をかけた『ニューラリーX』はあんなにおもしろいゲームだったのに、作者はそんな風に思っていたんだ、と驚いた覚えがあるのですが、そのときはそれ以上理由は聞きませんでした。
ただ、田城さんが自作をなぜそのように評価・分析していたのか、何となくわかる気もするんです。初代『ラリーX』はとくに粗削りで、『ニューラリーX』になってグッと易(優)しく楽しいゲームになったのですが、本質的に粗削りなところはおそらく変わっていない。
初代/ニューともに『ラリーX』のマップってどのコースもサイズはすべて一緒なのですが、序盤は迷路が細かく分岐していて、後半へ進むほど長い一本道が増えていきます。
ところが、どのマップが簡単とは一概にはいえなくて、長い道を増やすと当然敵に挟まれやすくなるのですが、迷路を細かく刻むと敵も小回りが利くようになるので、これはこれで追い込まれやすくなる。それでも後半のマップの方が難しいのはたしかですが、敵車の数が同じという条件下だと、どのマップも割と同じように手ごたえがある。
だからなのか、このゲームの難易度調整の軸になっているのは敵車の数で、ステージが進むごとに敵車が増えていくのですが、たとえば『ディグダグ』のように敵全滅を目的としたゲームではなく、原則としてすべての敵が常にフィールド内にいる『ラリーX』や『パックマン』のようなチェイス型のゲームにおける敵の数というのはとても繊細なパラメータで、敵を1体増やすというのは、ゲームバランスにすごく影響を与えます。
速度や時間のパラメータには小数値がありますが、敵の数の場合、それ自体は1体、2体……と増やしていくしかありませんから、難易度パラメータとしては1単位が大きいわけです。
ここも『パックマン』とは違うところです。『パックマン』は敵の数が4匹で固定で、マップも変わりません。『パックマン』はゲーム全体のスピード感を徐々に上げていったり、パワーエサの効果の持続時間で難易度を調節しています。
それと、『ラリーX』『ニューラリーX』のマップは、壁の厚みと道幅の最小単位が同じなので、どうしても全体に幅を取ってしまいます。壁が厚いんですね。
壁の厚みが大きかったり壁の面積が広いということは、その分、ルート分岐の最短距離が長くなるということと、スクロールゲームの場合、カメラフレーム内に占める壁の割合が増えることで、いろいろなことが唐突に起こりやすくなる。判断が手遅れになりやすい。
『パックマン』の場合は、そもそも固定画面というのもあって一概には比較できませんが、壁の厚みが道幅の半分のサイズなので、マップの印象がだいぶ違います。それがゲーム性の違いというものだ、といわれればそうなのですが。
無論、このゲームにはそのためにレーダーがあるのですが、敵がパターンにハマった動きをするわけではないので長期的な戦略は立てにくいし、ゲームスピードがめっぽう速いので、直前に判断するともう手遅れ、みたいなことにもなる。そもそも、それなりに慣れてこないとなかなか見ている時間もない。
このゲームのスピード値は、操作の感覚と視界の広さから適切なバランスを選んだというのも当然あるでしょうけれど、マップの広大さを考えるとこれ以上遅いとじれったいというのも判断基準になっているでしょうから、ギリギリのせめぎ合いで決まった、どっちにも動かせない値のように思うのです。
じつに勝手なぼくの憶測でしかありませんが、田城さんが『ラリーX』と『ニューラリーX』のことを「完成していると思ってない」と言ったのは、そんな辺りに理由があるのかなと思っています。
これは「全プレイヤーの平均プレイ時間が何分になればよい」みたいな単純な難易度の話ではないんですね。それだけであればエネルギーの消費率や敵車の数の調整でも何とかなる話で、実際に『ニューラリーX』はそうしている。
そういう表面的なパラメータの話ではなく、田城さんはおそらくもっと根っこのところでゲームデザインに納得されていなかった。世間の評価と別に、作った人だけが抱き続ける不満足な思いがあったのではないか。
『ニューラリーX』を遊んでいると、そうした作り手の苦悩が具体的に垣間見えて、たとえば『ラリーX』の初級コースの中央右上付近には袋小路の地形があるのですが、『ニュー』ではその左上に抜け道ルートが追加されています。
たしかにこの袋小路は本当に嫌らしい存在で、ぼくも『ラリーX』を遊んでいてこの袋小路の中にフラッグがあったときのプレッシャーは相当なものがありました。でも、この部分は袋小路であることが“アイデンティティ”だったはずです。
それなのに、根本的に当該箇所のマップを変更するのではなく、元の地形を残して1ブロック直すだけで抜け道を作っている。このアップデート版を初めて見たとき、ずいぶん拍子抜けというか、中途半端な感じがしました。コンセプトがブレてしまっている。
その上、抜け道にランダムで障害物の岩が置かれ、ふさがれているときがある。これは作り手の迷いの顕れだったとも思うんです。どっちの状態も残している。
もちろん「今回はあそこに岩があるだろうか、ないだろうか」というハラハラ感もまた遊びであるともいえるのですが、初代『ラリーX』を見て知っているとコンセプトが二重にブレているとも感じてしまう。ぼくのように思った人間はかなり少数派かもしれませんが、当時とても気になりました。
マップについてはほかにもすごく重要なところに抜け道を足している箇所があって、元のマップが意地悪だったというのはわかる反面、ここに道を足しちゃうと元々の意図が崩れてしまうのでは、という修正が散見されます。
粗削りながらバージョンアップで完成度を高めた素敵なゲーム
でも、誤解してほしくないのですが、粗削りなところがあったり、不完全に思える点があるからそのゲームがおもしろくない、ということにはなりません。
こうしてもがきながら、それでも『ニューラリーX』があれだけしっかり楽しめる製品に仕上がったのは、やはりスタッフの剛腕あってのものなのだと思います。このゲームに限らずナムコの初期作品群を見ていると、よくこんな危うい企画を形にしたなあと自分も作り手になってしばしば思うようになりました。
上で、いろいろなことが唐突に起こるという感想を書きましたが、『ニューラリーX』というゲームはそれでもギリギリのところで遊びが成立しています。
レーダーを見ている時間がなかなか無いということについても、そんな余裕のない中、コンマ何秒の時間を捻出してレーダーに目をやる。このアドレナリンが出るような瞬間がアクションゲームならではの快感でもあるわけです。
田城さんの、完成していると思っていない発言は、実際に楽しく遊ばせていただいた自分からすると、意外さと同時に腑に落ちる点もあって、いろいろ考えさせてくれる、とても心に残る言葉になっています。
田城さんは既にバンダイナムコを退職されているそうですが、もう一度お会いする機会があればお話を聞いてみたいものです。「全然的外れだよ」といわれるかもしれません。勝手な推測・憶測でいろいろ語ってすみませんm( _ _ )m 了