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『アはアーケードのア』 第5回『オメガファイター』(1989年UPL)

伝説のゲームデザイナー“MTJ”の移籍後第一作

 『オメガファイター』は、MTJこと三辻富貴朗(みつじ ふきお)さんがディレクターを務められた、独特のパワーアップシステムを持つ縦スクロールシューティングゲームです。

 三辻さんは『ハレーズコメット』『スーパーデッドヒート』『バブルボブル』『レインボーアイランド』『ヴォルフィード』『サイバリオン』『マジカルパズルポピルズ』など数々のユニークな作品を世に送り出したゲームデザイナーです。その後、個人でゲームスクールを主宰するなどの活動をされていましたが、2008年に40代の若さで病気のため亡くなっています。

 三辻さんとは個人的に長いお付き合いがあり、『サイバリオン』のテストプレイのアルバイトに呼んでいただいたり、一緒にセガのS.S.T.BANDのコンサートや香港旅行へ行ったり、学生のころ、三辻さんのゲームスクールに通ってた時期もあったりと、たくさんの思い出があります。

 『オメガファイター』は三辻さんがタイトーを辞めてすぐUPLで作った作品です。三辻さんはタイトーからUPLを経てフリーランスになられたと記憶していますが、正確なところ、UPLで社員として仕事をされていたのかぼくは知りません。フリーランスとして期間契約をされていたのかもしれません。

アイアンとワイドという両極端な2つのショット

 『オメガファイター』には、メインショットが2種類あり、アイアンを選ぶとパワーアップで攻撃力が上がるほど射程が縮み、ワイドを選ぶとショット幅が広がるほど連射性能が下がるという、一長一短のある異色のシステムになっています。

 とくに、アイアンとセットで「敵を近くで撃破するほど得点に高い倍率がつく」という仕組みが非常に面白く、このゲームの肝はこの部分にあったと言っても過言ではありません。どこまで射程を短くして高い倍率を狙うかというゲーム、それが『オメガファイター』です。

後でいうところのバレットタイム・システム“スローモーション”

 そのほかにも、敵の動きがスローモーションになるアイテムがあったり、全ステージを通じて一隻の巨大戦艦と戦うという設定だったり、当時としてはいくつものユニークなアイデアが盛り込まれていました。

 三辻さんに聞いた話では、本当はスローモーションではなく、危なくなったら逆再生で時間を巻き戻すアイテムを考えたらしいのですが、プログラマから厳しいと言われ、スローモーションアイテムになったそうです。

MTJ作品ということは当時伏せられていた

 三辻さんは『オメガファイター』の完成度にはあまり納得されていないようでした。思い通りに最後まで作り込めなかった事情があったようで、発売後、制作の思い出については楽しそうに語りながらも、“このゲームは完成していると思ってない”と強く仰っていたことが印象に残っています。

 たしかに難易度を見ても、中盤以降のステージで一度パワーダウンしてしまうと復帰がキツすぎるとか、ワイドがほとんど活きてないとか、気になる点は多かったです。ただ、それでも各種アイデアの面白さ、短い射程で硬い敵を瞬殺していく気持ちよさは他に類を見ないものだったと思います。

 『オメガファイター』の初期ハイスコアネームには、三辻さんの名前は入っていません。他のゲームでは必ず“MTJ”もしくは“FUKIO MITSUJI”などの名前を出すのですが、事情があって当時このゲームを自分が作ったということは伏せておきたかったそうです。

 同ゲームの雑誌取材でも、本人は一切顔を出しませんでした。ぼくがベーマガの取材でUPLにお伺いしたときも、当時の同社の顔ともいえる藤沢勉さんが応対してくださいました。藤沢さんが“ディレクターがちょっと恥ずかしがりなんで、ぼくが代わりに(笑)”なんて仰ってたのをよく覚えています。

 『オメガファイター』の初期ハイスコアネームの一位には“MTJ”ではなく“IWATANI”という名前が入っています。これは『パックマン』作者の岩谷徹さんに敬意を表してつけられた、このとき限りの三辻さんのペンネームです。

強烈なキャラクターだったMTJというクリエイター

 三辻さんはかなり我の強い人で、周囲で彼をあまり好ましく思ってなかった人もいたようです。有名なゲーム開発者にそういう我の強い人は珍しくなく、ぼくも有名な開発者の強烈で奇矯な言動の噂を聞くことはたまにあります(しばしばそれはある種の愛情をもって語られるのですが)。

 三辻さんとは晩年ずっと疎遠になっていました。亡くなられたことを人づてに聞き、まだ残っていた彼のmixiの日記を読んだところ、終わりの方に、ぼくと行ったときのことと思しき香港旅行の思い出が書かれているのを見つけました。亡くなる前にお会いできなかったことが心残りです。

 三辻さんは晩年、ゲーム制作の仕事はされてなかったようです。アイデアマンの彼だったらたとえばスマホでどんな企画を立てるだろう、カードリーダーの仕組みがあったらどんなゲームを作るだろう、WiiUのゲームパッドならどう活かすだろう等々、そんなことをときどき考えます。 了

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