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アはアーケードのア 第26回『シーファイターポセイドン』(1984年/タイトー)

キャラクターの大きなシューティングはちょっと難しい

 アーケードアーカイブスの『シーファイターポセイドン』(タイトー)を購入して遊んでみました。1984年に発売された横スクロール海中シューティングゲーム。攻撃能力を持つスクーターを乗り継ぎながら、敵を撃破していく遊びです。スクーターを手放すと攻撃力が大幅に落ちるなど、考えかたは同社の『フロントライン』によく似ています。

スクーター上+カプセル

生身の状態

 本当に久々に遊んでみて思い出したのですが、渋いところで凝っていて、乗り捨てたスクーターと別のスクーター同士にもヒットチェックがあって、乗り捨てる場所が悪いとぶつかって両方破壊されてしまったり、ほかにも、敵も障害物に当たるとやられてしまいます。

 また、この時代としては比較的キャラクターが大きく描かれているのですが、シューティングは“間合い”の必要なジャンルなので、画面(視界)がやや狭く感じてしまいます。

 プレイヤーの射程が短いことや、全体にヒットチェック(やられ判定)が大きいことも一因だと思いますが、とくにスクーターを使っている状態だと左右にかなり幅をとるので、けっこう圧迫感があります。これがジャンプアクションのようなジャンルであれば問題はかなり緩和されますし、対戦格闘系のゲームなどであれば問題になるようなことはないのですが。

 その狭さを前提にゲームのスピード感を決めているので、全体としてつくりがかなりスローモーです。そのおかげか、設定自体はSFアクションなのに不思議な牧歌感(?)があって、それがこのゲームの魅力になっている気がします。

スクーター上

インフォメーション表示がプレイヤーと重なる

 今回、以下は本質から外れた話ばかりかもしれませんが、サイズ絡みでもう一つ感じたことがあって、スコアと燃料ゲージの表示についてです。画面全体に対して縦幅1.5割ぐらいを占めていて、かつ表示エリアもゲームフィールドの一部になっていて、プライオリティが自機より高いので、上部に行くとけっこう大胆に視界をふさぎます(下の画像)。

キャラと情報エリアの重なり

 このゲームでは、上部に張り付かないといけないシチュエーションはあまりありませんし、致命的な問題ではないものの、少し気になってしまいます。『源平討魔伝』などに見られる、手前を少し木がふさぐみたいな演出とは、ちょっと印象が違います。海中が舞台で、プレイヤーが重力の支配を受けないことも一因かと思います。

 現代の3Dものでも、インフォメーションがにぎやかなゲームは多いのですが、カメラがずっとダイナミックに動く(視界がガンガン変わる)し、何より多くのゲームではプレイヤーキャラクターがそれらと重なる位置に行くことがないので、画面の端のほうが多少隠されてもほとんど問題はありません(参考:下の画像は『ROGUE COMPANY』より)。

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 それに対して、当時のゲームは2Dで解像度も粗くカメラの動きも限定的なので、『シーファイターポセイドン』に限らず、目立つレベルで自身がインフォメーションと重なるゲームはたまにあったように思います。その際、動きの遅いゲームほど、重なって隠され続ける感が顕著になります。

 高い解像度があれば、現代のゲームのようにフィールドと文字やゲージの情報表示エリアをわけることもできるんですけど、当時はそれをやるとゲームフィールドの情報量がけっこう減るので、わけてないゲームも多かったんですよね。もったいなくて。

昔のアクションゲームはスコアと残機がほぼ必ず表示されていた

 インフォメーションのなかでも、当時のとくにアーケードゲームにおいては、ほぼ「スコア」と「残機」(もしくはHP等)の表示が1セットでした(あとCREDIT表示もありますが)。

 現代に受け継がれている要素もあるにせよ、この2つがほぼ必須だったというのは、この時代ならではの特徴だと思います。もう今は『スーパーマリオオデッセイ』なども残機なんてないですものね。

 スコアにかんしても、このころはプレイヤーを鼓舞する手段としての役割がすごく大きくて、それを”常時表示”しないなんて選択肢はほとんど誰も考えもしなかったというのが、今の視点で見るとおもしろいです。

 だから、あの時代にアーケードでスコアの概念が取っ払われていたKANEKOの『火激』は、今見るとなかなか貴重だったなと思ったり。 了



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