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公的年金の財政検証、生産関数そして全要素生産性など

勿凝学問427


財政検証という仕組み

日本の公的年金は、5年に一度、財政検証という健康診断を行っている。律儀な日本らくし、今は、むこう100年先まで見越した試算を行っているわけだが、そうした国は他にはない。
財政検証で行われている試算は、投影projectionであり予測forcastではない。この考えは公的年金を理解する上で、最重要な考え方である。と言っても、その事実を受け入れたくない人たちは、財政検証は投影であるとう事実を無視した年金論を展開し続けていたりはする。どうも、投影projectionとう概念を理解できるかどうかあたりに年金論の分岐点がありそうではある。
それはさておき――年金の投影に使う経済変数について、何をどのように設定しようかと、公開の場で議論するのが、「社会保障審議会年金財政における経済前提に関する専門委員会」である――以下、経済前提専門委員会と呼ぶ。

財政検証は投影projection


第5回経済前提専門員会が開かれた(2023年8月24日)。この日の資料に、次があった。

https://www.mhlw.go.jp/content/12506000/001136740.pdf

そこで、次の発言をする。

○深尾委員長 ありがとうございました。
 資料3については事務局でまとめていただいたものですが、資料3について御質問、それから追加すべき御意見、補足説明などありましたらお願いします。どうぞ。
○権丈委員 補足説明に関連する話になるのでしょうか。財政検証は、最初に書いてありますように、プロジェクション、投影であるということは、これからも繰り返し確認しなければならない原点だと思います。財政検証は投影だという命題は、政策という現実側面からの必要性、そして予測ということは、他の条件を一定とするという議論はできるのですけれども、他の条件一定というはずもないので、予測には人知の限界があるという認識の下、これは様々な理由から導かれた命題ですね。
 政策の必要性、人知の限界を意識した人口試算も投影です。言わば財政検証というのは、投影である人口試算の上に経済前提を勘案して投影を重ねるという二重の投影を行う作業です。こうした作業で最も注意しなければならないことは恣意性を排除することで、先ほども言いましたように、だから、議論の透明性を保障するためにこういう会議が存在するわけです。
 6ページに今回の将来推計人口では外国人の流入について「強い仮定」が置かれたと書かれていますけれども、この人口推計に関わった人たちから見れば、恣意性を排除したらこうなったという話で、彼らは納得しているようなんですね。そこで、この会議で「強い仮定」という表現を使っていくことに関しては若干の違和感があるかなと思います。
 年金の制度設計を行うためには将来の見通しが必要で、各国、長期試算を行っています。これについては前期の経済前提専門委員会で出口治明委員が、「諸外国に比べて異常に細かい前提を置いているということが本当に妥当なのかどうか。前提条件においては、グローバルスタンダードに合わせるという視点がないことは少し残念な気がします」と発言されていまして、年金の制度設計のために行っている投影であるということを考えれば、出口さんの発言も一理あるのかもしれません。
 また、前期の委員会で吉川洋先生は、「スタンダードな成長会計のモデルであるというのは、結論的にはこれしかないだろうと思いますし、私もそのことに異存はないのですが、成長会計のモデルというのは、通常はいわゆるサプライサイドのモデルだと理解している」と。そして、吉川先生が、「私はそれにはテイクイシュー、異論があるのですが、そのことはちょっと別にして、需要サイドをどう考えるのかということです」と発言をされています。
 そもそも2004年の財政再計算のときからコブ=ダグラス型の生産関数が使われ始めたのですけれども、それは労働力が減少していく側面を試算に反映させるべきであるという1999年の財政再計算時の年金審議会での意見を反映させる方法を数理課が考えていったところから始まります。
 需要サイドから経済を考えるモデルは、労働力は登場しなかったりもするのがあるわけですが、これは技術的にはこの財政検証には使えない。だから、ケインジアンのソローも供給側のモデルを使ったように、我々は吉川先生がおっしゃるようにサプライサイドのモデルを使わざるを得ない。そうすると、全要素生産性というような、労働と資本の誤差項のようなものが登場してくることになって、いろいろと議論していくことになるのですけれども、原点は投影であって、年金の財政検証のために行うのだということは確認していく必要があると思います。
 この会議では生産関数を恒等式として利用しているだけであって、因果を考えているのではないわけです。だから、吉川先生もモデルそのものには異論があるけれども、この会議で使用することには異存がないという話だったわけです。
 ここで事務局にお願いしたいことは、前回の経済前提専門委員会で当時数理調整官だった佐藤さんが報告をした経済変動が年金財政に与える影響、つまり、ここで検討している変数が年金財政のどのような変数にどのように影響を与えているのかということを次回にでももう一度説明していただければと思っております。
 以上です。

サプライサイドのモデルにおける全要素生産性 


 さて。
 ここで、吉川洋先生の言葉――「成長会計のモデルというのは、通常はいわゆるサプライサイドのモデルだと理解している」について考えてみよう。
サプライサイイドのモデルは、私の言う右側の経済学の系譜の話である。そうした話は、『ちょっと気になる政策思想』で延々と論じている。そして『もっと気になる社会保障』の第14章「第6回 手にする学問によって答えが変わる」に要約もしている。

次の図は、第1回経済前提専門員会で配付された資料1の23頁である。

https://www.mhlw.go.jp/content/12506000/001012106.pdf

 コブ・ダグラス型生産関数の左辺に一国全体の総付加価値、右辺に生産要素である労働や資本を置き、それぞれの伸び率をとっている。サプライサイドのモデルは、労働と資本が付加価値を生む原因であると考えている。私流に言うと、こうしたモデルは、人を見たら労働力とみなす(対して私は、本の帯に書いているように、人を見たら消費者に見える)。

https://keisobiblio.com/2022/09/30/atogakitachiyomi_mottokininarushakaihosho/

 そしてこれら労働と資本、2つの生産要素で説明できない誤差の部分に関しては、それを全要素生産性total factor productivityと呼んでいる。この全要素生産性は、常に左辺と右辺が等しくなるように、伸縮自在に変化する変数として定義される。要するに、コブ・ダグラス型生産関数はいつもなりたつ、恒等式ではある。
 サプライサイドのモデルとして読む場合は、左辺を結果、右辺を原因と読むことになるが、吉川先生が言うように「需要サイドをどう考えるか」という観点からの考察をやろうとすると、サプライサイドのモデルの中では、あらゆる話が全要素生産性の変化に還元されることになる。つまり、何らかのプロダクトイノベーションが起こり、それが新たな需要を創出して経済規模の拡大=経済成長が起こった――というような話は、サプライサイドのモデルの中では、誤差項として定義されている全要素生産性の中での話になる。
 では、経済の「需要サイド」を考えることは間違えているのかというと、そうではなく、需要サイドから経済を考える立場からみれば、経済成長の主因である需要面で起こっていることが組み込まれていないコブ・ダグラス型生産関数の方がおかしいというだけであって、サプライサイドから考えるのが当然だと信じている人から見れば、この生産関数に違和感を抱かないということになる――そういう話だということである。
 全要素生産性は、左辺の付加価値の総和を、労働と資本の生産要素で説明した後の残差である。そしてこの全要素生産性は、昔は、80%に近い、けっこう大きな値だった。大きな値だったときから、どうしてそんなに大きいのかということについては原因不明だったわけだが、歴史的には、この全要素生産性が次第に小さくなっていった。小さくなっていったとしても、全要素生産性がどうして小さくなっっていったのかは、未だによく分からないままでいる。
 ここでは、上で何度も、コブ・ダグラス型生産関数の左辺は「付加価値」と書いてきた。付加価値は、モノの数量のみならず、価格、値付けの影響も受ける。モノの数量を生産関数の左辺に置いているのならば、いわゆる物的生産性の話をすればよい。しかし生産関数の左辺は付加価値である。となれば、付加価値生産性の話をしなければならなく。話がややこしくなるから、ここでは、『もっと気になる社会保障』第14章『第2回 経済成長と医療、介護の生産性」を紹介しておくにとどめておく。

全要素生産性はコントローラブルなものなのか

 話をもどして、全要素生産性に関する考え方について触れておこう。次は、『ちょっと気になる政策思想 第2版』33頁からである

成長はコントローラブルなものなのだろうか

『もっと気になる社会保障』には、「成長はコントローラブルなものなのだろうか」という知識補給もある。

この先は、『もっと気になる社会保障』の340頁からをご笑覧あれ。
上述の文章にあるスウェーデンの経済政策のあり方あたりについては、次のnoteもある。
レントシーキング社会における低い生産性|kenjoh (note.com)

秦の始皇帝に具申した徐福とは

最後に、徐福という人物を紹介しておこう。
『ちょっと気になる政策思想 第2版』274頁より

 成長は七難隠すと思うし、かのウィンストン・チャーチルは「成長はすべての矛盾を覆い隠す」とも言っていて、そのとおりだと思う。だから、日夜、政治面での「七難」や「すべての矛盾」を隠すために、世界中で、成長戦略が論じられていることはわかる。それはそれでいいのだが、公的年金の財政検証の経済前提でサプライサイドの経済モデルを用いているのは、他にないから便宜上使っているだけの話であることは理解しておいていいとは思う。
 一国の付加価値の総額、すなわちGDPはなぜ成長したり停滞するのかということについては経済学の中では明らかになっておらず、未だに(おそらく永遠に)論争的なテーマであるということを知っておくことは、現代の徐福たちに対する免疫として作用するはずである。

追記:内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」について

あの日の経済前提専門会議では、内閣府により「中長期の経済財政に関する試算」の説明があった。そこで次の質問を・・・。

○権丈委員 伺いたいのは、この試算というのは予測なのか、投影なのか、それとも、違うとは思うけれども、希望なのか。どれかはっきりしてもらえればと思います。我々、年金の経済前提は投影をやっています。そして、利用している資料の人口も投影をやっています。その中に内閣府試算をどう組み込んでいくのかということを考えなければいけない作業があるので、内閣府がいつもやっている作業というのは、予測なのか、投影なのか、希望なのか。
 そして、投影をやるときに最もやってはいけないことは恣意的なこと。だから、恣意的なことをやらないように、会議をオープンにして、前提を議論して、みんなでやっていくというのを、人口もこの経済前提の会議もやっていくわけですけれども、果たして中長期の経済財政に関する試算とは何なのかというのを教えていただければと思います。

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