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「民主主義とは何か」 宇野重規 序章、第一章 読書会発表用


(『民主主義とは何か』宇野重規 講談社現代新書)

民主主義とは何か  宇野重規 

・はじめに

選挙のとき以外、国民にとって政治が遠いものならば、それは本当に民主主義なのか。

民主主義とは国の仕組みか、理念なのか。

国の仕組み派ー国民の意思を政治に反映させる仕組みが民主主義だ。

理念派ー平等な人々がともに生きる社会を作るための、終わらない過程が民主主義だ。

古代ギリシアの民主主義誕生から、現代まで。

考えたいのは、それは本当に「誕生」だったか、真に継承され、矛盾なく自由主義と結合され、最終的に、本当に現代で実現したのか。

※ギリシアの直接民主主義と、近代以後の間接代議員制は応用なのか、違う出自なのか(西洋の身分制議会との関係)

歴史を貫くような民主主義の一つの理解というものがあるのか。

全体を貫くキーワードになるのは、「参加と責任のシステム」であろうか。

序 民主主義の四つの危機

民主主義はいまもむかしも、常に危機にさらされてきた。

そこで現在、民主主義は如何なる危機にさらされているか。現在進行形の民主主義の危機の四つのレベル

1.ポピュリズムの台頭ー先進国で顕著に。

2.独裁的指導者の増加ー中国はじめ、アジアアフリカで顕著に。

3.第四次産業革命と呼ばれる技術革命

4.コロナ危機  ↪︎ 3と4は全世界的現象。


1.ポピュリズムの台頭

 ブレグジット、イギリスのEU離脱。飛び交う虚偽情報。「置き去りにされた人びと」(主に白人労働者階級。移民の人たちなどに職を奪われた人たち)によるリベンジの側面。(英国の自主性を取り戻せ)

 同年、アメリカでトランプ政権誕生。「ラストベルト」と呼ばれる地帯でのグローバル化への反発の波。→「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」

 社会に潜在する不安や不満をすくい上げるのが民主主義だとすれば、それが言論への抑圧(マスメディアをフェイク扱いにするなど)や排外主義に結びつくところに、問題の複雑さがある。

ただしポピュリズムは歴史的に新しくない ー 既成政党やエリートへの不満が募った時代に中間組織などを飛び越して、人びとがカリスマ的指導者を直接支持し、それが大きな政治的な変動を引き起こす現象がポピュリズム。

先進国の内部で中間層が没落し、格差が拡大する中で、果たして民主主義は持続可能であろうか。格差拡大のなか、世論の分断化が進む中で、分断を乗り越えることができるのか。

2.独裁的指導者の増加

トランプ、プーチン、習近平、金正恩、ドゥテルテ(ブラジル)、エルドアン(トルコ)。

 より危機的なのは、グローバル化とAI技術の進展によって、迅速・効率的な決定を求めて、民主主義に限界を感じる声が聞こえ始めていること。(コロナ禍における中国の対応への評価など)

経済成長には自由民主主義は本当に不可欠なのか、という疑問→ むかしは、経済成長で中間層が増え、中間層がさらなる自由と民主化を求めて、民主化が成熟すると見られていたのだが…。

また、地球環境問題などを軸にして考える際、自由民主主義と経済成長の両輪の夢に疑問を持つ層も生まれている。

→「経済成長と民主主義」あるいは「市場経済と民主主義」の関係が問い直されるようになっている。また、近代化のゴールと考えられていた“欧米化“という価値、すなわち「欧米的価値観の問い直し」にもつながっている。


3.第四次産業革命の影響

第四次産業革命(AI、IoT、ロボット、ナノテクノロジーなど)。2016年の世界経済フォーラム、ダボス会議で初めてこの言葉が用いられた。

AIが人びとの職を奪うのではないか?ー 職を失った人びとの生活保障をどうするか。また職のための知識や技術を時間をかけて獲得するモチベーションを失うという懸念をどうするか。

極言すれば、AIの時代になったとき、人類至上主義は終わるのではないか。

「デジタル専制主義」と多数の「無用階級」に分かれるのでは?(ハラリ)

民主主義にとっての危機は、一人ひとりの人間を平等な判断主体とみなす前提が揺らぐこと。多くの人間が思考を外部化し、ヴァーチャル環境に自足するとすれば、果たしてそのような人びとで成り立つ民主主義にいかなる意味があるか、という問い。

また、アルゴリズム思考では人びとは自分が選好する情報ばかりを選択する。

民主主義は、自分が賛成しない他者の意見にも耳を傾ける寛容の精神が理念なので、特定の考えばかり増幅される時代に民主主義の理念は生き残れるか。

4.コロナ危機と民主主義

・感染症拡大によるロックダウンをどう考えるか。個人の自由や移動の制限をかける政策と自由民主主義の関係をどう考えるか。

民主主義は緊急事態に適切な対応が出来ないのではないか、という疑問。

 また、感染拡大防止のため、個人の行動を把握する技術が発展した。個人の位置情報、移動記録の管理。コロナ禍の対応に対しては、それぞれの民主主義国の試金石になっている。

パンデミックによる人びとの危機感と行政権拡大の問題。

・コロナ禍により個人と個人の物理的距離の拡大の影響。

政治的な集会や、デモ行進にブレーキがかかる。直接的対話の機会が減っていく。イベントの自粛や、活発な市民活動の低下。

このような現在進行形の問題群のなか、民主主義はそれらを乗り越えられるか。民主主義で格差を縮小し、平等を確保できるか。人と政治をつなぐ新たな回路を見出すことは可能か、民主主義は真に人類が共有しうる共通の課題か。人の尊厳や平等をいかに保てるか。パンデミックなどの緊急事態に民主主義は対応できるのか。歴史をたどりながら考えていきたい。

第一章 民主主義の誕生

1.なぜ古代ギリシアか

デモクラシー=「人びとの力、支配」ふつうの人々が力をもち、その声が反映されること、あるいはそのための具体的な制度。


プニュクスの丘での「民会」→ 市民はここに集まって、戦争、外交を含むポリスの政治を議論した。(ただし民会は特定の有力者に限らず、一般の市民が参加し開かれたものであるにもかかわらず、女性や奴隷、外国人は排除されていた)

古代ギリシアが民主主義の起源かは議論はあるが、民主主義が人間の集団が組織化されるにあたり、議論によって合意を生み出し、その合意に人々が自発的に服従することで、規範を共有する実践を民主主義だとすれば、古代ギリシアでは、このような民主主義の営みが極めて徹底されている。

⚫︎すべての公職が「抽選」で選ばれ、すべての市民は、ポリスを運営する責任を負う可能性があった。かつ、民会の外部で重要な決定がなされることはなかった。

⚫︎また、彼らは民主主義の制度と実践について極めて自覚的であった。彼らにとって市民であることは、何より民会に参加し、公職に就き、裁判の陪審員になる資格を指した。

ギリシアはオリエント文明の周辺に位置し、ギリシア自体が一つの国家に統一されることはなく、ギリシア的世界は「ポリス」と呼ばれる都市国家群が並立することで構成されていた。

都市国家に特徴的なことは、巨大な官僚制や傭兵を中心とする職業軍人が存在せず、かつ神官などが宗教的権威を独占するようなこともなかった。

つまり、古代ギリシアの民主主義は、官僚も職業軍人もいないところで、ふつうの市民たちが国政を担い、決定を下し、武器をとって国のために戦ったことにより実現した。

また、神官による支配が存在しないことによって、宗教的権威から自由な人々はこの世界を構成する原理や本質について、自由な検討を行うようになった。

ギリシアはさまざまなポリスに分立したけれども、同じ文化を共有している意識があった。ポリスはそれぞれ独自の政体があったが、それらは相互参照され、比較された→アリストテレスの『政治学』に集大成される。

ポリスは紀元前八世期の半ばにエーゲ海一帯に見られるようになり、総数は1500に及んだが、それぞれが独立した存在だった。

ポリスの中心はアクロポリス(高いところ、城域の意)という丘で、防衛の中心であり、生活の中心はアゴラと呼ばれる広場であった。


⚫︎ポリスのかたち

城壁があり、都市の内部と周辺の田園地帯を区別する。都市の内部には神殿や劇場、広場といった公共の領域がそれ以外の領域と明確に区別された。

公共はすべての市民に開かれた共通の場所であり、それぞれの家(オイコス)の領域と峻別された。ここから「おおやけ」と「わたくし」の区別が生ずる。両者を明確に区別するのが、ポリスの民主主義だった。

農民としても自ら生産活動も担った市民が、そのような活動と区別して政治などの公共活動と区別した。

⚫︎ポリスの政治観

政治的支配の特徴は、自由で独立した人々の間における「相互的支配」。あくまで、「自由で相互に独立した人びとの間における共同の自己統治」こそが政治であった。

・古代ギリシアの「政治」から見えるかたち。

1.公共的な議論による意思決定。実力による強制はもちろん、経済的利益による買収、議論を欠いた妥協は政治ではない。また、閉じられた場所で特定の人による話し合いの決定も政治ではない、という哲学の徹底。

2.公共議論で決定されたことは、市民はこれに「自発的に」服従する必要がある。

2. アテナイ民主主義の歴史と発展

紀元前8世紀ころ、エーゲ海沿岸を中心にギリシア人のポリスが次々と生まれる。アテネの社会は、市民と奴隷で構成され、市民の中には貴族と平民がおり、当初は政治を行うのも戦争で戦うのも貴族だった。

紀元前7世紀頃になると、商工業が発達したアテネでは裕福な平民が登場し、彼らは自らの費用で武器を買い、軍隊に参加する。力をつけた平民と貴族の間に緊張が見られるようになる。

そのなか、AC594年、執政官ソロンの改革が行われる。

内容は、「債務の取り消し」と、「債務奴隷」の解放。

当時、中小農民の貧窮で彼らは富裕層から借金を重ね、中には債務奴隷に転落する人々もいたため。

しかしソロンの改革に貴族は反発し、農民は改革の遅れに不満を持つ。
↪︎貴族と平民の対立が深まるなか、武力クーデターで僭主・ペイシストラスがソロンを追放し、アテネの統治権を獲得する。


反ポリス的性格をもつペイシストラトスだが、貴族優遇でなく、平民の支持を得る政策を遂行して、中小農民の保護に努める。反対派貴族の土地や、公有地の一部を与えるなど、再配分政策を進める。

ペイシストラトス自身は穏健な政策を進めたが、本来が独裁的傾向を持つが故に、彼の子、ヒッピアスの圧政によってその性格が顕在化。アテナイ市民は一人支配の恐怖を経験する
↪︎ AD510年、ヒッピアスを追放し、アテネの民主主義確立の一歩を踏み出す指導者として、クレイステネスが登場する。

⚫︎クレイステネスの民主主義制度確立の政策

・10部族制の導入ーいままでの血縁的関係から、生産関係の違う新たな区割り(デーモス)を作る。都市部、沿岸部、内陸部に分けて、それぞれを10に分けて、合計30の区に分けられたものから、都市部、沿岸部、内陸部より一つずつ選んで新たな部族を作る。この新部族制に基づく各部族50人からなる500人評議会の設置し、特定有力者の支配を防止した。

このようにして、古代ギリシアでは誰かに憚ることなく、政策決定に先立ち、都市のいろんな場所で市民による議論が交わされた。

・裁判については、抽選で選出された1年交代の6000人の陪審員による民衆裁判所の設立。

・陶片(とうへん)追放の制度ー僭主になる危険性がある政治家の名前を陶片に記して投票する制度(ただし、追放された人物の市民権や所有権は保護された)

⚫︎戦争と市民の関係

現代の「平和のための民主主義」ではなく、古代ギリシアの市民の政治参加は、戦争で自ら祖国のために赴く責任とセットだった。市民は自弁で武具を用意。逆に言えば、そのような市民が増えることで、市民の政治的発言権が増していく。民会では、主に外交や戦争について審議され、逆にポリスの財政経済、教育の問題などが民会での議題に上ることはなかった。

・古代ギリシアの政治システムは「参加と責任」のシステム。

参加ー定例民会は年に40回ほど開かれ、評議員になるとほぼ毎日これに通う(しかも抽選)

責任ー任期終了後も、公職審査があり、有罪となれば罰金や市民権剥奪などがある。時には死刑も。弾劾制度もあり、有力政治家も例外ではない。

3.民主主義の批判者たち

ギリシアの民主主義も批判される時がある。

ギリシアの民主主義を誤った方向に導いたとされるのは、デマゴーグ政治家だという評価。

(デマゴーグ批判の歴史家、トゥキュディデスなど)

アテナイの民主主義が行きすぎた結果、好戦的になった下層市民に迎合するデマゴーグが跋扈してしまったという評価と、逆に貴族支配が否定され、経済的実力に支えられた平民から台頭した人々が政治指導者の地位まで上昇したという評価もある。彼らデマゴーグの武器は弁舌で、言葉の力で人々を説得しようとした。その限りではアテナイの民主主義はより成熟したとも言える。また、特別な権力もなく、手足になる人もいない民衆政治では、デマゴーグはアテナイ民主主義にとって構造的に不可欠な存在であった。

結局、リーダーシップがどんな動機で発揮されているかが問題になる。リーダーが公共利益に突き動かされているのか、私的利益なのか。よい政治リーダーシップと悪いリーダーシップを区別するものは何かで、古代ギリシアは多くの議論がなされた。

ギリシアの哲学者、プラトンは師、ソクラテスが民衆裁判で死刑になったことに衝撃を受け、民主主義に疑問を持つに至り、何が道徳的に正しいか、良き得を知る哲学者こそが政治を行うべきだという哲学王の構想を持つに至る。しかし逆に言えば政治的真理を一義的に確定するのはしばしば難しく、その意味で民主主義は多様な意見があることで成り立つと言える。

プラトンを師とするアリストテレスは一人の支配、少数の支配、多数の支配に応じて君主制、貴族制、民主制に区別したが、その堕落の形態として、僭主制、寡頭制、衆愚制があるとした。

デマゴーグが政策を誤った例とされるのがシチリア遠征で、その後スパルタへの屈服などで寡頭政権が成立するが、恐怖政治などを経てまた民主制が復活する。その後のアテナイは民主主義をより着実なものにすべく努力を続ける。具体的には寡頭派市民と和解し、報復の連鎖を絶ったこと、民会や民衆裁判所で改めて民主主義の原則の維持を確認したこと、法の地位を高めて、通常の民会と法を明確に区別したことが挙げられる。

 加えて「違法提案に対する公訴」ー民会や評議会で法に反する提案がなされた場合、その提案者を告発する制度。これはことを民会の決議を民衆裁判所が覆す可能にする制度で、後年の違憲立法審査権を思わせる。

残念ながら、その後巨大化したマケドニアに屈服し、古代ギリシアの民主制度は終焉する。(紀元前4世紀)

⚫︎ギリシアの民主制から学び変容させた古代ローマの共和制

民主制の「多数者利益の支配」に対して、共和制は「公共の利益の支配」とよばれる。のちに自由な市民による自己統治の理念は、むしろ共和制という言葉の中に引き継がれた。

また、古代ローマは政治体制の中に君主制、貴族制、民主制の三つの機能を組み合わせた。すなわち、君主的な執政官、貴族的な元老院、民主的な民会のシステムで権力バランスを保つ。

 結果、共和制が肯定的な意味を持つようになり、民主制はむしろ侮蔑的な意味を長く持っていた。それが近代以後、民主主義が肯定的な意味合いを持ち始める。

※最後に。宇野重規さんのズーム講演がすばらしいので、ぜひおすすめです。本を読まれている方は、3時間という長尺なものなので、2時間に及ぶかなりクオリティの高い質疑応答部分だけでも見所が多く、おすすめです。

https://youtu.be/0djLFfZeTeY

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