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江戸川区ひきこもり全数調査批判、ジャーナリスト批判

まずはこの記事を読んでほしい。東京都江戸川区ではひきこもりに関する実数調査を行い、約70万区民のうち、把握済みの14歳までの不登校の子を含め、9096人のひきこもりの人を実数把握したという。

筆者の私が何よりも驚いたのは、給与所得課税がない24万人近くの人にひきこもりに関するアンケート用紙を配ったと。仮にそこまではぎりぎり裁量で許されることかもしれないとしても(個人的には本来許されるべきでないと思うが)、アンケートに答えない世帯には直接戸別訪問をしたということだ。これはプライバシーの侵害そのものとしか言いようがない。私が最初に驚き、憤りを感じたのはこの点だ。

 一つ一つツッコミどころの多い記事なのだが、
まず、想像してもらいたい。以下のような流れになったらあなたはどう思うか?

東京都で70万もの人口を有する江戸川区でひきこもりの炙り出しの仕事が評価された。ならば札幌市でも実行してみよう-そう仮定してみる。

私が住民税の非課税世帯で、特別給付金を受給しましたと。すると10万円給付のバーターとして「ひきこもり」に関するアンケート調査が送られて来た。私は「個人のライフスタイルに干渉してくる嫌なものを送ってきた」と思い、送られてきたものを返送せずに放っておく。するとしばらくすると、家のチャイムが鳴り、いきなり「札幌市の者ですが。」「あなた、調査用紙に返送しませんでしたね?改めて、“現在ひきこもり状態なのかどうか“の訪問調査に来ました。以下の質問に答えてくださいね」。
これは怖いことないじゃないか?というか、マジにムカつくだろう。人のライフスタイルになぜ土足で行政が根掘り葉掘り聞き取る権利があるのだろう?国勢調査じゃあるまいに。ふざけるな、と思う。普通の人は当たり前にそう思うのではないだろうか。

 いま実態調査を誇っている江戸川区に、できれば具体的に聞いてみたいものだが、まず最初の書面インタビューでどれだけの数が返送されたか。そして返送しなかった人たちについて(かなりの数にのぼると思うのだが)、「どれだけの人数を訪問調査員として投入し、どれだけの期間を使い、どんな立場の人たちが、引きこもりについてどういう認識を持って」調査員として使えたのか。ということ。
 それらを想像してみると、冷静に考えてもかなりアバウトな調査にならざるを得ないだろう。現場を考えれば当然のことだ。具体的には、例えば「ニートか、ひきこもりか」と訪問段階での論争になることもあるだろう。現状、ひきこもりに対して“フラットな“認識が流通していない以上は「ひきこもりです」というよりは、「ニート状態です」という方がメリットがあるはずだからだ。
で、その先に江戸川区が定義する「家族以外に話し相手がいない状態が続いている」ニート状態の人は多数いるはずで、このような人たちがニート状態という定義から逃げられないような調査の認知構造になっている。江戸川区の「ひきこもり」の定義は厚労省とは違い、かなり緩いアバウトな定義になっている。

厚労省の定義とは違い、江戸川区の定義はほとんどニート側に近い。

あるいは、訪問員が当事者ではなく、家族が先に出るケースはどうか。専門家と呼ばれる池上正樹氏が具体例を挙げているが、祖母が訪問調査員と会ってコミュニケーションしているケースが紹介されている。つまり疑わしさの中には、本人ではなく、家族が困っており、本人に代わって「うちの子はひきこもりで、私たちは困っているんです」と答えているケースはないか?ということだ。

全くツッコミどころの多い記事だが、続けよう。
「対象は、15歳以上の区民のうち、給与収入で課税がない人や介護や障害など行政サービスを利用していない人たち24万6000人あまり。およそ18万世帯に調査票を郵送。回答がなかった世帯には直接訪問して回答を求め、57%あまりから回答を得ました。」→つまり、約14万人から回答を得ているということだ。

そもそも、回答用紙に何パーセントが回答し、逆に直接訪問世帯はどれくらいあったのか。そして改めて思う。
「どれくらいの期間で」「どれだけの人員を使い」「どういう人たちが訪問したのか→果たして行政マンだけで訪問し切れたのか?」

 引き続きひきこもり問題をレポートしているジャーナリストの池上正樹氏はいう。



「全世帯調査ということは、実際に回答された方々を区が把握できたということこれまでつながるきっかけを持てなかった人が、回答をしてくれたことで、行政との繋がりが生まれた。単なる数字ではなく“顔が見えるように”なった。」

強調点、筆者

全世帯を調査し、区が個人のライフスタイルを把握し、回答者と会って単なる数字でなく顔が見えるようになったと素朴に評価してしまうことの恐ろしさ。それはあらゆるマイノリティにも今後襲うかもしれない管理主義行為の先駆けになるかもしれないという認識の欠落。この“感覚の怖さ“はごく普通の、多くの人たちが持つべきだろうと思うし、プライバシーを守られる権利を忘れてはならないはずだ。まして自由主義社会でのジャーナリストである池上氏は残念にも、国家行政から個人を守る基本的なプロの働きを忘れきっているとしか思えない。(そもそも『KHJ全国ひきこもり親の会の広報代表理事』を務めている点でジャーナリストの中立性を欠いている)。

だからこそ、今回のケースの話題で行政の活動を評価する声が圧倒的であることに私は深い憂慮を覚える。ひきこもり状態というものに関しては、自治体が積極的に実態把握するのは正しいのだろうと思われている。そこには明らかに「差別的なものと隣接している何か」がある。それが恐ろしい。

次に、調査においてひきこもりと答えた人の援助に関して、当事者がどう答えたか、見てみよう。

調査の中で、当事者のニーズで一番多いのは「何も必要ない、今のままで良い」の32%だ。この結果は大きい。
とりあえず“ひきこもり“と自己認識している人の中には人生について今は考え中で社会参加したくない、あるいは「しない」と決めている人も実際は多くいるはずだ。中にはもっとラディカルに「こんな競争社会には出たくない」「新自由主義にまみれた社会に出て魂を売りたくない」という人もあるだろう。別に極論ではなく、そういう考えにもうなづかざるを得ない社会でもあるだろうから。そのような問題意識の中で、新しいライフスタイルを模索しているけれども、そういう模索に共感してくれる人が周りにいない。教育機関から始まり、大人が作る構造を了解するシステムの中では居場所がないという人もいるだろう。それに対して親の会側に属する池上正樹氏の理解はどうか?


「今回の調査のように支援の必要性を尋ねても“大丈夫です”と答えてしまう人が多くなっているのではないのでしょうか。“支援が必要がない”と回答したから放っておけばいいということではなく、行政や周囲の人が、“いつでも頼っていいよ”というメッセージを出し続けることが大切」

「支援が必要がないと回答したからといって、放っておけばいいということにはならない」というのはどこまでいっても当事者たちは潜在的に支援が必要ものだという前提があり、自分と他者をフラットな二者関係として捉えておらず、あくまで支援が必要なものという考えから離れない。ひきこもりは支援が必要な弱者であり、「社会に対する構造へのラディカルな批判者」という発想を全く持ち合わせていない可能性が極めて高い。
 あるいは、当事者側がニーズに関して「こちらが求めた時に取りに行く」と思っているのに、「支援が必要だ」と思い込んでいる世界の住人が相手であれば、一層「そんな世界に行くものか」と強く思いもするだろう。そんなシンプルなことも想像できないほどに、もし「引きこもりの人はどうしようもなく弱さにまみれている」と考えているなら、それは個人を負のレッテルとして貼られる存在、つまりスティグマ的な存在として見切っているということだろう。

さて、調査を行った江戸川区はこういう考えを持つ。


「1人暮らしの人に対しては、すでに相談員の個別訪問を進めていて、詳しい生活の状況などを聞き取った上、支援が継続的に必要かどうか見極めていく予定」

「家族と同居している人については、およそ1800人あまりいて、家族にも詳しい事情について知られたくないと考える人もいることから、個別にさらに詳しいアンケートを送って慎重に状況の把握を進めることにしています。」

ひきこもりと何も関係しないあなたたち。でも、個々の人間として何らかのアキレス腱を持つ僕らやあなたたち。もし行政が社会状況の条件の変容の中であなた(や僕の)「癖」や「弱み」を基に行政に「継続的に必要性を見極められ」「慎重に状況把握」を進められる可能性の当事者にならない、と果たして言えるだろうか。各所で、特に表現を生業としている領域ではさまざまなかたちで慎重に、継続的な状況理解で対処しなければならない、管理機能がすでにどんどん進んでいるといえないだろうか。
 私はその意味でこの一件はひきこもりの件に関する行政の逸脱行為だと強い憤りを持つと同時に、ひきこもりと関係がないあなたたちにも、別の形で行政の調査が入ってくるという想像力を持って私の書いたものと向き合ってほしいと思う。(かなり上から目線な物言いで申し訳ない)。

最後に、江戸川区の今回の調査が本当に個人の生活スタイルに踏み込む行政権力の発動になっていないのか、それとも行政裁量で許される行為なのか、許されるとしている条例があるのか、江戸川区に聞いてみたいとすごく思った。その辺りについて、Twitterで池上正樹氏にも尋ねてみたのだが、今はスルーされている状態である。


最後の最後。江戸川区の今回の動きにパターナリズムな何かがあるのかどうかはよくわからないが、区長が元々ケースワーカー出身で福祉部長出身(で、区長に立候補前は教育長)であると考えると、もしかしたら素朴に、善意の活動としてやっているのかもしれない。だが引きこもりをフラットな概念として見ていないからこのような大々的な調査を行なっているわけだし、「地獄への道は善意で敷き詰められている」かもしれないわけで、私たちの冷静な理解も必要なことだろうと深く思うところである。どうかこれ以上、このような調査が全国に広がらないことを祈るのみである。


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