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森元斎さん(アナキズム研究、哲学者)インタビュー・2

政治という位相と付き合う脚力

杉本 そうですよね。いやそうなんですよ。まあ問題意識として歴史の中ではそういう流れに対する付き合い方だよねという風に思える森さんのようなかたはいいんですけど(笑)、普通の人はほとんど自分自身がそこにコミットしてると思わされてると言っていいのかな。いや、それこそ選挙だって勝手に始めて何だ?(2017年11月)という話なんですけど。ボイコットしたいぜ、って。まあボイコットを呼びかけている知識人の人もいましたけど。

 ああ(笑)。

杉本 実際、ボイコットしたい気分でしたよ。もう、「希望の党」だけになりそうになった時には(苦笑)。僕はちゃんと行ってるんです。選挙権得てから。本当にクソ真面目に投票に行ってたんですけど、今回ばかりはもう行かないかな、と思ったんです。まあ立憲民主ができて、言ってることもそこそこ俺の思っていることと共通項があるので行きましたけど。で、結局要するにコミットをそこそこしてるというのはやっぱりメディアを通じてね。世論調査だとか、「選挙が始まりますよ~」とかものすごいPRするわけですよね?で、どっちかというと保守系のほうにコミットしてるマスメディアがバアッと宣伝効果的に発信してるんですよね。そうするとやっぱり影響は相当数の人間が受けてるはずで、そういう歴史的な流れの中で寡頭政治とか、独裁に近い政治になったときにやっぱり学習的には世界戦争とか、ヒットラーとか(苦笑)。そういう存在をどうしても記憶の中から想起しちゃうんで、嫌だなあ、そういう人が出てきて何か始められたら怖いなあって思ったりするんですけど。そこまで思ってない人のほうがおそらく多数だと思うんです。言ってしまえば、自民党的な政治の発想みたいなものを割と素直に受け止めてる人が多い気がして。それってけっこう不幸な局面になったり、不幸な状況が生むんじゃないかって。恐がりなんで、どう、そういう時に対処したらいいかなあ?と、いま聞いてて思ったんですけどね。そこはいったいどうしたら。

 う~ん。まずは可能性を広げることもひとつ必要。選挙も重要だけど、選挙だけではないということ。ほかにもたくさん方法があるということを示すことは重要だと思うし、あと何ですかね。やっぱり何でも時間はかかるというか。そういう気はしますね。

 実は先日、*目取真俊(めどるま・しゅん)さんという芥川賞作家で沖縄でずっと活動していて、今の辺野古とかでもゲート前とかにずっといて、ボートとかを漕いでいる活動家で、そのかたの講演会に行ってきてその通りだなと思ったのは、質問の中で「琉球独立を考えないんですか?」みたいなことを聞かれて、それに対して、簡単にあんた独立と言うけど、どうしたらいいの?と。もちろん内心思っている人はいるだろうけど、それを声高に言って、まず当選する人がいない。それを言って立候補した人がいたんだけど、その人は五千票くらいしか取れなかった。じゃあ仮に独立することになった際、いまスペインのカタルーニャなんかでも似たようなこと、あちらはもっと進んでますけど。ある種、そういった状況になったときにたぶんいろんな弾圧があると。たとえば沖縄でほぼ7~8割独立派が議会レベル、民衆レベルでも多くなって「いざ独立だ」となったときに、今度は日本政府が石油を輸入するときのシーレーンを沖縄に奪われちゃうわけだから、その時は自衛隊が我々に対して発砲することは絶対あり得るだろうと。だからすごい時間はかかると。ただそれについて議論することは重要だし、その時に例えば沖縄に関していろんな制度的な問題で県庁のレベルでも、トップ中枢とかの横っちょにすごい重要な案件を抱えている連中というのはだいたい国からの出向できている人たちがいて、仕事自体もこれをどう断ち切れるのか。日本の政府じゃなくてほかにどうするのか。それも含めてもっといろいろやらなくちゃいけないことが沢山ある。もちろん独立できるに越したことはないんだけれどもね、と。それを国家として運営するのか、それとも連合主義として本当に運営するのか。その点だってすごい問題だし、そういったものがないのに簡単に独立とかをいうのはちょっと難しいじゃないの、と。ただそれを目指して議論が始まるのが重要なんだみたいな話で。それはやはり長い目で見ないと結局何も解んないんじゃないかなと思ったんです。さっきの選挙のたびとか、いろんなワイドショーとか週刊誌とかそのたびに問題が浮き上がるだけだとすると、何かその場しのぎというか。

 ワイドショーレベルのことで、時の政権が倒れることもあったりするだろうし、その程度かというのもあったりもするし。いずれにしてももっと脚力をつけたほうが自分にとっては意味を感じる。その意味で「反政治」みたいなところがあって。だからもう少しそういうことを考える一方で、畑を耕すとか、山に登るとか、いまボクシングしたりしてるんですけど、筋トレしたりとか。そういうことをして、もし何かあったときに体力があったほうがいいよね、みたいなものがすごいあるんですよね(笑)。要は、日本の近代政治も150年しかなくて。で、しかも戦後も70年くらいしかなくて。で、我々があーだこーだ言ってるのもバブル崩壊以後くらいで。さらにここ10年ぐらいですか?

杉本 う~ん。

 それくらいしかない。要するに日本人というか、東アジアに生きていた人たちってもっと長いスパンで生きてきたし、何かむしろそっちのほうに土台を見つけ出すことの方が豊かで面白い。要するに「土壌をずらす」じゃないですけれども、この『アナキズム入門』でも最後に書いた通り、近代的なものとやりあうのも必要ですけれど、土台をそこに置くだけじゃなく、ちょっと視点をずらせばもっと豊かな土壌があるわけで。その上の一個でしかないよという風に見ていったほうがまあ疲れないかなと(笑)。ずっと「安倍が、安倍が」となってると安倍、逆に好きになっちゃうんじゃないかみたいな。

杉本 (笑)

 むしろこいつ、育ちもいいし、いい奴なんじゃないかとかね(笑)。

杉本 ははは(笑)

 絶対に1対1になったら普通にいい奴だと思ったり。

杉本 (笑)そうですね。嫌いだと思ってる人間ほどね。会ってみるといい人だと。

 だいたいよく言われる話で、吉本隆明とかすごい文章激しくてヤな奴だとかいうんだけど、すごいいい奴だったという。

杉本 そんな話、聞いたことがありますね。

 かといって安倍と付き合うとか、天皇と付き合うとか、吉本と付き合うとかそういう話じゃなくて、そういったレベルじゃなくて、もっと土壌そのものをずらしちゃって私たちが依ってたつ基盤というか、依って立つ所はどこなのか?ということをもう少し明確にしていって、そこで生きていくほうが遙かに豊かだという気持ちはずっとあります。私たちが何千年も生きてきたときのある種「生の知恵」みたいなものを思うんです。それって何だろう?というのを探しているのが最近の段階ですね。


                                   われわれの権利は選挙の意思だけではない

杉本 そうですか。上をやぶにらみしていっても仕様がないんですね。

 もちろんやぶにらみすることも必要なんですよ。でもそれだけじゃなくて、何かもう少し豊かなところもあるんじゃないのかな、という気がします。もちろんやぶにらみして一点突破する瞬間もあると思うんですよ。ロシア革命とかは数百人・数千人のデモとかで革命が起きたともいわれているし。ただその土壌もあったわけで。*ナロードニキもあったし、貴族将校とかが反乱起こしていたりとか、農民たちが反乱起こしたりとか。そういう基盤があった。そういう長い、100年とか200年の長いスパンの中で突然ブワッと事が起こったというのはあって。で、もちろんその革命の瞬間に軍部がどこにつくのかというのもすごい重要なわけですよね。軍部がやっぱり王様側についちゃったらそれは負けだろうし。こっちで軍隊を準備してやるかとなると、*マフノみたいな戦い方になるだろうし。じゃあ軍隊をこっちの味方に引き入れるのか?とか。そういった所もすごい問題。その辺の考え方ひとつとってもすごい重要。

 *バクーニンが馬鹿なのはもっとそういう議論を醸成させてやるということをあまりしなくて、けっこうこの人は瞬発能力がすごい高いので、その瞬間すごいことをやるんですけど、ただこの本で書いたように*リヨン蜂起の時にもう革命できたぞ、といった瞬間にじゃあお前ら、市長を筆頭に逮捕しろ、って号令かけるんですよね。「フランス救済委員会」というのを立ち上げてリヨン蜂起して市庁舎を占拠するんです。占拠して全員逮捕だと言うわけですけど、自分の味方側に逮捕する組織を何も作ってなかったんです。それで「え?誰が逮捕するの?」となってアタフタしてる間に軍隊がワーッと来て、みな負けるということをやってしまった。だからどっちも重要というか。瞬発能力にバクーニンは長けていたけど、そのあとのことが何もない。だからその瞬間というものはもう少し幅を広げて考えたほうがいい。そのとき市長を逮捕する権限とか、機構というのはある程度あったほうがよかったし、そのあとどうやって動かすかというのはちょっとあったほうが良かったと思いますしね。

杉本 そうなるとリアリズムの話になりますね。

 まあ、イズム……。というか、それは両方持ってるべきというのかな。そういう気はします。だからそこはすごく*ルクリュなんかは本当にもうイズムよりも、イストというか。それそのものを基盤にしてその瞬間に反応する。瞬間はそうやっていろいろ出てくるものだけれど、イズムよりも、「リアリスト」というか。青写真があるのじゃなくて、自分が地を這うように生きてるというのかな。そういう所です。彼は文字通り山とかすごく歩くし、移動もする。で、さっきの選挙の話だと選挙に投票するというのは我々の権利を放棄することになるんだとルクリュは言うんですね。

杉本 ああ~。そうかぁ。

 むしろ我々の権利はもっと豊かなものだし、要するに「逆転させられている」というか。選挙こそが権利なんだと思い込まされてしまっていると。ただ選挙だけするというのは我々の権利を放棄してしまうことなんだと言ってます。他にも似たような感じだと、ルクリュ以上にすごく有名なJ.J.ルソーなんかの有名な言葉があります。イギリス人を揶揄するわけですね。議会制民主主義がイギリスで広まっていく中で元々ジュネーブの神権政治とか、直接民主制の中でかれは生きてきた人だから、「イギリス人は投票の瞬間だけ自分たちは自由だと思ってるけど、投票のあとはもう自由ではない」と。だから、その瞬間の自由とか、その瞬間の脚力の大きさみたいなもの。それはそれで重要なんですけど、それだけじゃなく、その自由というものをどこに定位させるのかということをもっと掘り下げて行けたらなと思う。いちおう研究者のはしくれなので、まだいろいろあるんだよ、ということをもっと土を掘り直してバサッと出せたらいいなあということはやりたいことですね。

杉本 視野の広い大きな仕事になりますね。

 うん。まあ。

杉本 すぐの成果は出てこないと思いますから。

 (笑)そうですね。

杉本 ユートピアは簡単じゃないというか。まあやってくるかどうかも分かんないですけど(笑)。

 まあでも、それが楽しいものだろうとぼんやり考えられるのは幸せかなと思います。それに向って蛇行しながら進む、という。

杉本 なるほど。何というか、東アジア的なというか、中国的なものなのかもしれませんけど、革命が起きても農民は土を耕してるだけ。私たちは知りません、という。何かどこかでそう聞いたことがある気がしたんですけど。だから苛立つ知識人の発想もあるかもしれませんし、逆にいま仰ったように上層部が何をやってても、我々の生活はここに自分の足場があると思えたらそれはそれで何かシンプルだという感じもしますね。

 ええ。もちろんその普段の足場があってそこで働いているから保守的なんじゃなくて、そこで自分なりに自分しかトップはいなくて、そういった中で自分でいろいろやっていくというのは、常に伸展もしていかなければいけない状況でもあるわけです。その時に誰か邪魔者が来たらやっつけるということもずっとやっていくという意味で、それは例えば*石川三四郎からすると後に「土民生活」という言葉になるんですけど、それ以前に彼は「単純な生活者」という言葉とアナキストとを重ねるんですね。だから私たちがある種シンプルに生きていくというやり方というものはこれはもうアナキストそのものなんだと。で、普段は畑とか耕しているんだけど、そこにいきなり役人とかが来て「お前ら、来年は麦はここからもらっていくから」みたいなことを言われたときに「ふざけんな」って役人ぶん殴るとか(笑)。あるいはちゃんと交渉するとかということをきちんとやっていく。自分たちでやりたいことをやる際にそこに邪魔者が入ってきたらそれを許さない。あるいは自分たちでこの麦、ここまでやったけど今度こっちには別の作物をもっと育てる土地を広げていこうとかやっていくのは別に保守でも何でもなくて、ただただ単純に生活をしていくということなのかなあと思います。

 もちろんね。地球に生きている以上、地球の気候の変化だってあるわけだし、それも100年前とか200年前とか変わらずに常にいろんな変動があるわけで、雨ばっかり降る年もあるだろうし、そういう時にまた土と相談しなくちゃいけなくて、次に何を植えようかなとか。そういうことは常に単純ではあるんだけど、常に激動というか(笑)。畑のある生活とかをしているとけっこう常にバトルというか(笑)。そんな感じがしています。


                                            普通なこの世のありさま

杉本 う~ん。いや、そうですか。僕は全然土との生活がないですからねぇ。人間関係だけで行ってしまうと何かツイッターの日々のトピックにワッと同じ話題で拡散して、もう次の日には別の話題になる、みたいな。まあ私もそういうものの影響をたぶんに受けてる者ですけど。人間関係、人間関係だけで行くと、見落としてしまうものはきっとあるでしょうね。

 いちおう人間関係で友だちに守ってもらい、あるいは守ってあげるみたいな。そういう人間関係もあるし。また会社の付き合いも会社の中で親しい人、親しくない人といっぱいいるだろうし。ここのコミュニティの中でも仲良くない人、嫌いな人、好きな人はいます。それはむしろ当然というか。普通のこの世のあり方だというか。絶対同質的なだけという世界はあり得ないので。それを当然として受け止めた上で生きていくこと。つまり「相互扶助」というのは嫌いな人だって助けなくちゃいけないし、でも嫌いな人に見捨てられることだってあるし、それは常に孕まれていて、すごく仲良くても裏切らなくちゃいけない瞬間もある。*クロポトキンはその点をすごい理想化して語るんですけど、僕はかならずしもそれだけではなく、やっぱりもう少し相互に裏切り合う瞬間が必要なときもあると考えてます。それこそ「嘘も方便」じゃないけど、嘘をちょっと言っておくことによって、休んでもらってウチらでやっとくよ、みたいなことだってもちろんあるわけですよね。だからそのへんはもう少し何というかな。もっと経験を積みたいなというのはあります。経験も積みたいし、そういう理論も知りたいし、作りたい。*ドゥルーズだったと思うのですが、「ミューチュアル・ベトロイヤル(Mutual Betrayal)」みたいなことを言ってて。相互に裏切り合うというか。

杉本 相互に裏切り合う。

 そういう側面も必要なんじゃないかな、という気はしています。まあもちろんその基盤には相互扶助というか、ある種の基盤的コミュニズムというか。デビッド・グレーバーが言ってる話ですけど、それがないともちろん我々人間は生きていけないので、それがあった上での話ですけどね。

杉本 あの、最近僕、人から教えてもらった本で*ジェームズ・スコットさん。この人の本の第一章が面白くてサバルタン政治ということを言っていて。さぼったり、バックレたり(笑)。そういうことって全然アリなんじゃないか、って。そういうことがアナキズムのひとつのありようとしてもアリなんじゃないかと。

 いや。そうだと思います。

杉本 僕なんかサバルタン階級なんだなって(笑)。

 ははは。

杉本 しみじみ思って。サバルタンという言葉は「支配層と被支配層のヘゲモニー闘争にも参加されない疎外された従属的社会集団」。これって昔で言う、*ルンペン・プロレタリアートだなって(笑)。マルクスが言うルンペン・プロレタリアートはひどい言いようだと思ってたんですけど。こういう形で表現してくれると何かいいねえ、と。「社会的排除」というよりも、「そうか。サバルタンはいいなあ」と思って。いまの話にちょっと近いというか。あの~、「ごまかし」ですよね。要するにダメなやつなんだけど、「意識的なダメなやつ」というか。意識して出来ないやつ。

 あの、最近ひきこもりも含めてなんですけど、発達障害という言葉もね。やたら幅を利かせててすごくお悩みの人が。あと、鬱とか。大変なんだなと。悩んでいる声がツイッターなんかでも沢山流れてきてるんですけど(笑)。そういう言葉群を逆に利用して怠けるというのもアリかなあとかって思ったりし始めてるんですよ。さんざっぱら「ひきこもり」って言葉である種いじめられてきてね。最近当事者発信とか、僕もそれにけっこう乗じているというか、元々それなりに一生懸命考えて本も出した、インタビューしたという所もあるんですけど。でも最近こういう本などに触れてみて、何か「ひきこもりでどうにも困ってるんです」とか言って怠けるという方法もアリかと(笑)。実は本音は舌を出してる、みたいな。映画『カッコーの巣の上で』のインディオの人が実は精神病でも何でもないけれど、生存するために装うみたいなね。それでやっていけるかどうか分からないですけど、ありようとしてはアリかもしれないなと思って。ちょっと楽な感じがしましたね。あんまり言葉としても全然広まってもないから、僕の頭の中で「あ、サバルタン、サバルタン」って。それで行きたいなという。

 うん。だからそれぞれの人ごとにやれること、やりやすいことって「絶対に」あると思って。僕もそれこそ畑を耕して食物を作れる経験をしただけで気が楽になったと思います。

杉本 そうですか。どこで作ってるんですか。

 畑はね、道を上に行ったところです。あとで時間があったらちょっと車でお連れします。だからそれがあれば別に何とでもなるかなと。

杉本 自給自足ですか。

 自給自足というわけでもないですし、プロ並みの何かというわけじゃないんですよ。だけど最低限メシは作れるし、食えるだけでもホッとするというか。あと、同時に海外に友だちをちょっとずつ作っています。いざとなったらそこで寝かせてもらう。まあ、口だけかも知れないけど何日でもいてくれていいよ、という友だちがたくさんいるんです。だから逆に僕もそういうことは言うようにしていて。もう困ったらいつでもおいで、というようにはしています。

杉本 だからある意味では疎開地をたくさん用意しておくといいですね。

 うん。たくさんあればあるほどすごくいいと思う。

杉本 すごくいいですよね。戦争が起きたって大丈夫だ、っていうね。

 うん、うん。

杉本 スイスあたりに友だちを作っておいて(笑)。

 うん。そうするのもいいし、最近ニューヨーク行ったんですけど、ニューヨークはやはり層の厚さがある。まあヨーロッパもそうなんですけど。同じアナキストといってもアナキストの団体や層がウワ~とあるんですよね。日本だと片手で足りるかくらいですが。

杉本 だって失礼ながら、アナキストなんて全然じゃなかったですか?何年も。

 もちろんずっと頑張ってらっしゃるかたとかはいるし、その一方で何ていうのかな、日本は層が薄い。これはアナキストに限らずマルクス系にしてもそうだし、カッコ付きのいわゆるリベラルという風に言われる人たちも。まあ何をもってリベラルというかよくわかんないですけど(笑)、その層に関しても、海外のほうがもっと層が厚い。

杉本 うんうん。

 日本の外に出ると、どこに行っても層は分厚い。そういうものが日本にもいっぱいあるといいなと思ってます。若い世代で出来たらいいなというのもあって、それで本とか書いたりすると、杉本さんもそうですし、東京の学生だったりが、突然、ウチに来る。こっから反撃ですよ。一方で、海外にいっぱい層がある中でそこから学べることが沢山あるし、いざとなったら仲間に入れてもらえる場があったり、それはすごく気持ちが落ち着くというか。だから日本でも出来たらいいなと思いながら、自分なりに出来ることって文章を書いてみるということと、こういうコミューン実践みたいなことかなと思ってます。それは人それぞれだと思っていて、フリーター労組でもいいですし、大学内外で研究会するでもいいですし、あるいは都市部でいろいろやれる人というのもいると思うし、田舎でやるでもいい。僕はちょっと都市部でやりたいとはもう思いませんが(笑)。

杉本 そうですよね。アナキズムって基本的にやっぱり自由と個人ですもんね。ただ、*リバタリアンみたいなのはちょっと……。やっぱりソーシャルな部分があったほうがいいと思うんです。どこかヒューマニズム的なアナキストであって欲しいなあと思いますけど。あの~、僕にはどうしても世の中が悪くなっているとしか思えなくて。そう言いつつ片いっぽうでリアルにいま母親、半分呆けかかってるんですけど、そうすると公的な介護保険や施設を利用するぞと。これは国の制度に乗っかって、というか。フリーライドしてやっていく。そういうことは考えているんですよ。そして寿命を全うしていただいて、あとは親の遺産でも生きるんだと(苦笑)。だから戦争だけはやめてね、という感じです(笑)。でも、いよいよヤバいとなったら、ここに訪ねてきて、「すみません、森先生…」と。

 いや、全然いいです。

杉本 置いてください、みたいな。


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*目取真俊―(、1960~ )は日本の小説家。本名、島袋正。沖縄県国頭郡今帰仁村出身。沖縄県立北山高等学校を経て琉球大学法文学部卒業。期間工、警備員、塾講師などを経て県立高校の国語教師を務めるが、2003年に退職。1997年、『水滴』で第117回芥川賞受賞。

*ナロードニキー人民主義者。「人民の中へ」(ブ・ナロード)のスローガンを掲げて農地解放を主張したロシア革命前夜の知識人革命家たちのこと。

マフノー ネストル・マフノ(1888 - 1934)。ウクライナのアナキスト革命家。ウクライナにおいて革命的な農民層をパルチザン軍に組織して農民アナキズム運動を展開した。詳細は森元斎『アナキズム入門』第五章を参照のこと。

*バクーニンー (1814~76) ロシアの革命家、思想家。アナーキスト。集産主義、大衆暴動、自発的な反乱の役割を強調。テロリズムを主張し、第一インターナショナルではマルクス派とならんでバクーニン派を形成したがやぶれバクーニン派は独立した。スペインでは大きな影響を与え、左派の主流となった。詳細は『アナキズム入門』第二章を参照のこと。

*リヨン蜂起―1870年、バクーニンはリヨンで暴動の先頭に立った。これは失敗に終わったものの、のちのパリ・コミューンの先例となった。

*ルクリュー (1830-1905)。フランスのアナキストで地理学者。ベルリン大学で地理学を学ぶ。パリ・コミューンに積極的に参加し、捉えられて国外追放となる。詳細は『アナキズム入門』第四章を参考のこと。

*石川三四郎― (1876 ―1956)。日本の社会運動家・アナーキスト・作家大杉栄死後の日本のアナキズムの中心人物の一人となる。石川はデモクラシーを「土民生活」と翻訳し、独自の土民生活・土民思想を主張、大地に根差し、農民や協同組合による自治の生活や社会を理想としたが、権力と一線を画し下からの自治を重視した点において農本主義とは異なるものだった。太平洋戦争中は、独自の歴史観から東洋史研究にも取り組んだ。敗戦直後に「無政府主義宣言」を書き、日本アナキスト連盟を組織。(ウィキペディアより)

*クロポトキンー (1842-1921)。ロシアの社会思想家・アナーキスト。詳細は『アナキズム入門』第三章を参考のこと。

*ドゥルーズー ジル・ドゥルーズ(1925- 1995)。フランスの哲学者。パリ第8大学で哲学の教授を務めた。20世紀のフランス現代哲学を代表する哲学者の一人であり、ジャック・デリダなどとともにポスト構造主義の時代を代表する哲学者とされる。近世哲学史の読み直しをはかろうとする研究から、哲学者としてのキャリアをスタート。ベルクソン、ニーチェ、スピノザ、ヒューム、カントなどについて、彼独特の視点から論じた研究書を次々に書きあげる。(ウィキペディアより)。

*ジェームズ・スコットー ジェームズ・C・スコット(1936~ )。アメリカ合衆国の政治学者、人類学者。農耕社会と国家を形成しない社会の研究、サバルタン政治学、無政府主義研究で知られる。専門は、政治経済学、政治社会学、とくに東南アジアの農村社会における叛乱・抵抗についての研究である。(ウィキペディアより)

*ルンペン・プロレタリアートーマルクス主義の用語。プロレタリアートとは区別して用いられ、生産労働につかない浮浪者、犯罪者を指す。マルクスによれば、彼らは支配階級によって容易に買収され、プロレタリアートの運動に対して反動的役割を果たすことが多いとされる。

*リバタリアンーリバタリアニズムの人。個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治思想・政治哲学の立場。新自由主義と似るが、新自由主義が経済的な自由を重視するのに対し、リバタリアニズムは個人的な自由も強調。他者の身体や正当に所有された物質的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する。(ウィキペディアより)

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