映画鑑賞#6『悪は存在しない』
Day:2024/6/28
Theatre:塚口さんさん劇場
↓ネタバレマックス↓
濱口竜介監督最新作
どっ、と疲れました。
『悪は存在しない』
これで今年6本目。ちょうど半年が過ぎたくらいなので、月1回映画館に行ってるペースですな。
僕にしては異常なペースです。年に一回も映画館行かない年なんか今までいくらでもあったくらいですから。
ちょっと今さらながら映画に目覚め始めているのかもしれません。
それでもやっぱり映画ビギナーは映画ビギナーで、難解な映画に直撃すると面食らいます。
昨日、ホーム映画観ともいえる地元の「塚口サンサン劇場」に観に行った『悪は存在しない』がまさに難解で、面食らい、どっと疲れたのでした。
僕は映画観に行く時、本当に下調べしないというか、全く情報持たずにいくもんで。
今回もポスターだけ見てて「アニメかな?」
って思ってたくらい。
見終わってから、これ『ドライブマイカー』の人ちゃうん?って調べたら、やっぱりなー、ってくらいで。
監督、濱口竜介。
去年、サブスクで『ドライブマイカー』を観たんだけど、僕は正直全然響かず面白くなくて。
村上春樹も読んだことなかったもんだから、
「これが文学?ただの前衛やん」
といった感想。
その後村上春樹の『女のいない男たち(ドライブマイカーが入ってる短編集)』を読んで、めちゃくちゃ面白くて、素晴らしい文学で。それから少し村上春樹にハマってるくらい。
だから濱口竜介に関しては
「原作をダメにする映画屋」
ってくらいの印象しかなくて。
だけどこの度『悪は存在しない』を観てやっと気付かされたんだけど、当たり前のことに。
映画って文学を見せるコンテンツじゃないんや、って。映画は「映画」を見せるものなんや、って。
総合芸術ですね、音楽も、もちろん脚本も含めて。
それを踏まえて『ドライブマイカー』を見直すのも大切かも。
世間的に評価されまくってるものが「わからない」ことはやっぱ結構不安なんでね。
音楽:石橋英子
地元の小さな劇場で公演してるもんだから「小さい映画」かと思ってたら、濱口竜介最新作ってことでめちゃくちゃ話題作だったんですね。
音楽も『ドライブマイカー』で担当した石橋英子で、その再タッグも注目ポイントだとか。
石橋英子自体の音楽はほとんど聴いたことないけど、ジムオルークとかと関わりがあるのは知ってて、めっちゃいい映画音楽作る人ですね。
なにやら石橋英子がライブ用の映像を濱口竜介に依頼して、その延長でこの映画ができたんだとか。
なので元々は短いサイレント映像だったとか。
何度も流れてたメインテーマが、おそらく発端、ってことなのかな?
メインテーマ、美しくも鬱っ気に溢れていて、めちゃくちゃ不安を煽られる曲でしたね。
自然豊かな暮らしの中に、明らかに何か影がありまくることを冒頭から示唆させるような音楽。
映画が始まった瞬間に、あーまた暗い映画かー、と。笑
このメインテーマ、なんとなくロバートワイアット味を感じました。メロディはArgentの〝Love〟が浮かびましたね。
まぁどちらも神聖で美しくも鬱。
森を真上に見上げながら進む画がメインテーマと共に何度か登場するんですがそれも美しくも鬱でしたね。
木の枝と曇り空のコントラストが本当に綺麗でした。
カメラワーク?画角?ってやつにもそろそろ僕も注目するようになってきたようです。
「センスのある撮り方」とか「斬新な画角」とか基本的に今までふーん、って感じだったんですが。
その森を見上げた画とか、車の後ろを写したカメラとか、Zoom電話映像の使い方とか、面白かったですね。
ずっとざわざわ
基本的にずっと心が「ざわざわ」させられる映画で、それが1番疲れた要因かと思います。
セリフ回しとか、間とかがすんごいしんどくて笑
ドライブマイカーもそうなんですけど。
会話とかがリアルすぎるんでしょうか、間も含めて。他人となんとか場を保とうと話している時の疲労と似ているのかもしれません。
「長野の田舎のとある架空の町にコロナ補助金目当てのグランピング施設が建とうとしている」
というのが大まかな設定で。
序盤、基本的には「自然vs都会」みたいな感じで物語は進んでいって。
東京の芸能事務所が長野にグランピング施設を作ろうとしていて、その説明会が開かれるシーンがあって。
まぁ地元住民から反対の嵐、みたいな会になるんですけど、
そこでうどん屋やってる奥さんが話し出すシーンがあるんです。
「わたしこの町の水が好きでうどん屋を始めたんです」
みたいな。施設を作ることでその排水はどうするんだー!みたいな流れの中で。
この奥さんの演説というか訴えみたいなのが、本当に聴いてられなくて。
いや、内容はごもっともなんだけど、間とか話し方とか?
「別に自分語りがしたいわけじゃなくて」
みたいな別に言わなくてもいい一文とか。
妙にリアルで、その妙さにざわざわするんです。結構画面から目を背けたくなるような。
このシーンを例としてあげたけど、映画全編にわたってそうなんですよね。
グランピング側の2人が車で向かってるシーンの長い会話も、自然でリアルなんですけどざわざわむずむず。
これは別に批判とかではなくて、これが濱口竜介なんだろうなーと。こういう演出というか映画、他で観たことないかも。常に隠し撮りしてるかのような画角も相まって、リアルすぎる演出。
主人公のタクミがやけに棒読みなのも独特な世界観。これに関しては「自然vs都会」も相まって、めっちゃジブリっぽいなーという印象。
トトロか、もののけ姫か。鹿がかなりキーになってくるのでもののけ姫か。
疲れた要因は他にもあって。
まぁ完全に個人的なことなんですけど。
この前日、一昨日にNetflixで『Fall』を観たんです。
600mの塔に登ったら、ハシゴが取れてしまって、さてどうやって降りる!??
的な映画。
僕は毎週霜降り明星のオールナイトニッポンを聴くのが習慣の一つになっていて。
前回の放送でせいやがやたら『Fall』がおもしろい、オチがすごい、みたいなことを熱弁していたので気になってまんまとNetflixで観た次第で。
めっちゃおもんなかったです。笑
ちょうど今(金曜の夜中)、今週の放送を聴いていたんですが、リスナーから不評の嵐だったようでございます。笑
なんというかめっちゃ『フライトプラン』を思い出しました。
「上空一万メートルの密室、飛行機内で娘が行方不明に!??」
というめっちゃおもろそうな前置きで、残念すぎるオチだったフライトプランを。
まぁ『Fall』の話はどうでもいいんです。
とにかくオチは最悪でしたけど、高度600mの塔の上で立ち往生するシーンは結構ハラハラするものがあって、急に何かバーンと起こりそうな気配みたいなのがずっとあって。
それを観た翌日に『悪は存在しない』を観に行ったもんだから、ずっと「何か起こりそう」な緊張感で観てしまったんですよね。
タクミが忘れっぽいという描写が冒頭からチラホラかかれていて、娘の学童の迎えを忘れたり、グランピングの説明会を忘れてたり。
まだ認知症とかの歳ではないので、あれこれアルツハイマーとかそっち系の話になるんかな?
とか思ったり。
それで遅れて学童に車で娘を迎えに行くんですが、娘は1人で歩いて帰っていて、
それで学童をあとにするシーンで前述した車の後部カメラの視点に移るんです。
学童では子供達がだるまさんがころんだをしていて、
駐車場に頭から入れたタクミはバックで切り返してから学童を出るわけで、
ほんでいきなりの車後部カメラで、
うわ、これ子供達轢いてまうんちゃうん、アルツハイマーやし、
とか思ったけど全然そんなことなくて。
いやでも何か悪いことが起こるんだろうな、という予感はずっとあるんです。前日『Fall』観たせいももちろんあるけど。
そしてオチのことを考えると、僕のその感覚は間違ってなかったんですよね。
問題のラスト
とにかく衝撃的なラストでございました。
この置いてけぼり感、今年観た映画結構多い気がします。『哀れなるものたち』とか。
「地元民vsグランピング側」でしばらくは物語進んでいて。
説明会で完全に対立して、グランピング側の男女社員2人は東京にとぼとぼ帰るわけです。
ほんで会社に中止を進言するわけですが、社長と外注コンサルになんやかんや丸め込まれて再び長野に向かって、という展開。
社員は2人とも
「芸能事務所に就職してなんでこんなよくわからん仕事してるんやろ、もうやめよかな」
的なマインドになりながらも2回目の訪問は長野の自然と少し触れ合う形になる。
で、なんか社員が長野に迎合されるゴールかなーとか、甘いこと考えてたんです。
「北の国から」的な雰囲気もあったし、それか「もののけ姫」みたいに互いにバランスを保つ位置に落ち着くか。
主人公のタクミは社員と町を繋ぐ立ち位置に配置され、ぶっきらぼうにもその日一日行動を共にするわけだけど、そんなこともあってかまた娘ハナ(8歳?)の学童の迎えを忘れてしまいます。
また遅れて学童に行ったら、また先生が「歩いて帰りましたよー」って。
ほんで迷子となって町中で捜索、女社員は手を怪我したのでタクミ宅で待機、男社員はタクミと共に捜索。
でタクミと男社員は原っぱで手負の鹿と睨み合ってるハナを発見。
男社員はハナを助けようとするが、タクミはそれを後ろから羽交い絞めにして、気絶させる。
その後、タクミは倒れたハナ(死体?)を抱えて、家とは逆方向の森へと消えていく。
エンドロール。
てな感じ。
呆気に取られました。
映画館を出て飯を食いながら(劇中でうどんが出てきたので丸亀製麺で)、考察を即座に読むと、心中説というのが濃厚そうで。
僕はハナと鹿が睨み合ってたのは「こういうことでハナは死にましたよ」っていう演出で、タクミと男社員が原っぱに行った時にはもうハナは死んでいた、的なことだと受け取ったんですけど、どうやら違うようで。
シンプルにタクミは助けようとする男社員を気絶させて、ハナがシカに殺されるのを待った、ということみたいですね。
実際真意はよくわからないんですけど、ヒントっぽいものはたくさん散らばっていて。
まずタクミの妻、ハナの母親が死別していることはちらほら写真とかで匂わされています。
おそらく「先生」と言われる町長?の娘が死んだお母さんで、鍵盤弾きだったことも匂わされています。
タクミが先生に拾ったキジの羽を渡した際、「鳥の羽はチェンバロに使える、こうやって弦を弾くんじゃ」
みたいなことを言います。
「先生弾けるの?」
とハナが聴くと
「いや、弾くのは娘だった」
みたいなやり取りがあって。
それから原っぱの方は危険だ、と言われながらもハナはキジの羽を探しにいくようになるわけで、それが原因で迷子になるわけです。
チェンバロ(ハープシコード)ってそうなんや!と勉強になりました。好きな楽器なのに知らなんだ。鳥の羽で、ほえー。
僕がなんとなく汲み取ってたより母親の死は直近の話だったのかもです。
それでタクミは忘れっぽい、というか心ここに在らずな状態で、ハナは学童の友達と全く遊んでない状態。
で心中ラスト。
それにしては周りの人たちがあんまり気づかってなさすぎるとは思うんですがね。
でも一応うどん屋の旦那が
「タクミさん、最近忘れっぽすぎますよ、大丈夫ですか?」
みたいなこと言ってたか。
あとは鹿ですね。
鹿についての話が結構出てきて、それが比喩になってるのは間違いないでしょう。
基本的に鹿は人を襲わないけど、半矢(手負い)の鹿は人を襲う、という話。
半矢の鹿は妻を失って傷心のタクミの比喩で、それで男社員を襲った、とか。んー。
あと、山の方で猟銃の音が鳴るシーンが2回印象的に登場するんですよね。
これも多分ヒントになっていて、なんか意味あるんでしょうね。答えには辿りつきませんが。笑
タクミは自然とのバランス、というワードを説明会で語っています。
そのバランスを保つためにハナを見殺しにした、という説もあるみたいですけど、それはちょっと反対ですね。
多分冒頭こそ「自然vs都会」みたいな構造でしたけど、そういうテーマでは無さそうなんです。
なんというか、結構自然側、町側の思想みたいなのが軽薄に描かれてるんですよね。
説明会でグランピングの排水を問題視して、うどん屋の奥さんが熱弁して、そーだそーだがやがやなって、最後に先生が全員の視線集めて話し出すんです。満を持してな感じで。
でも結局言うことはうどん屋の奥さんが言ったこととほぼほぼ一緒で。
そもそもグランピング施設の排水って、家庭排水とそんな変わらん気がするんやけど。ってのが一つモヤモヤポイント。
とにかく気に入らない、揚げ足取ったれ根性が少なからず見え隠れする自然側。
男社員がうどん屋でうどん食った後、
「ありがとうございます、あったかい気持ちになりました」
的な礼を言うと
「それって味の感想じゃないですよね」
とうどん屋亭主。
さすがに嫌なやつすぎるやろ。笑
タクミが自然の権化として男社員に制裁加えて、娘も自然のままに見殺しにした、ってくらいの「自然信仰」みたいな描写はないんですよね。
なんにしても
なんにしてもストーリーとか真意とかを抜きにしても面白いと思える映画ってあるんだな、と思える初めての映画だったかもしれません。
基本的には「辻褄合わんやん」とか「最後客に投げすぎやろ」とか「これ監督もよくわかってないやろ」とか思ってしまいがちなタイプなんですけど、なんか普通に芸術作品として面白かった。
むずかしかったけど。
濱口竜介作品、他のも観てみようと思います!
でも疲れた。次はロボットとかスーパーパワー持ったヒーローとかがドガンバコンやってる映画観たいです。
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