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「ことば」についての雑感。

あれ?もしかしたらそうかもしれないな、という考えを書いてみたい。

「ことば」についてのこと。それは話すときに交わす言葉よりももう少し広い、何かを伝えたり感じるときのものだ。

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きっかけになったのは、ある番組で特集されていた天才学生の話からだった。彼はIQが180を超え、普通では考えつかないことが浮かんでくる。学力はもちろんのこと、ピアノは独学で弾けたり作曲もする。絵もとびきりうまかったし、海を眺めながら、物理法則に合わせた話をする。読書をするにも、書いている人がどれくらいの世界線(視ている世界のこと?)で生きていたかがわかるという。

いろんな分野に長けていて、たしかに天才だと言えるのかもしれない。でもぼくは天才云々よりも、その世界のいろんな見え方が気になった。実は音楽も物理も絵画も根っこには「ことば」で共通していて、彼はそれを知識と感性の上に視ているんじゃないか、と。

もう少し考えてみよう。
「ことば」で共通しているとはどういうことなのか。言語としての言葉は、こうして見える形の前に音として聞くものだった。日本でいうと、俳句や短歌は歌詠み合わせがあって、言葉の流れがいいものには「感じがいい」と表現した。今でこそ、本となりウェブページとなって見ていることの方が多いけれど、本はもともと黙読よりも音読し声で感じていたという。とすると、音楽のメロディーにも歌詞以外にもっと広い意味での「ことば」が潜んでいるんじゃないかと思えてくる。

物理などはどうだろう。物理現象の根っこにあるのは数学だろうか。数学は”数という世界共通の記号”、すなわちこれも広い意味の「ことば」で表現される。絵画はその数学の中にある”線”によって描かれる。形から絵が生まれるとも言えそうだ。

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物理や数学なら、いわゆる文系の人は条件反射で手を引いてしまったり、絵画や音楽のような芸術は、また知らなければキョリをとる。分野ごとに全く違うことをしているようだけど、もしかすると、広い意味での「ことば」で共通していて、国が違って言語が違うように、ことばのチャンネルを変えれば感じられるものなのかもしれない。

そして、これはもっと個人的感覚なんだけれど、「見える世界」と「見えない世界」についても同じようなことが言えるかもしれないと思っていて。

「見えない世界」にあるものを、例えば科学の力で物理現象や数式に起こしてみたり、捉えきれない感情を音楽のメロディーに乗せてみたりする。少しずつ「ことば」を使って見えるようにしているんじゃないのだろうか。

ぼくらの世界は「ことば」で埋め尽くされているのかもしれない。


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