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小説【ガール・プログラミング】第2章:「胎動」

↑第1話

 プログラミング言語は鬱病だ。

 人に言われないと実行しないし自動化もしない。エラーを出すと癇癪を起こすか自己嫌悪になって黙り込む。

 私はそんなプログラミングを人間以上に人間らしく扱える人が増えたらいいな、と思っていた。

 女子プログラミングサークルの部長、目黒さんとお話しするまでは。


「ここの活動目的とか、目標ってあるんですか?」

 私はちょうど「女子プロ」の部員全員が揃っている5月のとある土曜日の間に、部室の真ん中の先頭に座ってノートパソコンのMacBook ProでComposerのページを開いていた目黒部長に聞いてみた。

「目標がないのが目標」

 彼女はスラリと背の高い茶髪のロングヘアーの美人で、更に頭が良さそうな鋭い目つきをしてらっしゃる。その眼光からどう考えても軽くあしらわれたとしか思えない返答に、私はちょっといたずらな顔をして返した。

「昨年新設したここの大学のWebページを全部デザインしたり機能を作ったって聞きましたけど」

 すると部長は眉を潜めて、独りごちた。

「あのおっさん……!」

 おっさんとは、間違いなく私の学部の専攻学科の【工学部情報通信科、星野次郎】教授のことだろう。私の今の一言でこのサークルに覇気が訪れるとは思えなかったが、一定の効果はあったっぽい。

 しかしそれも束の間。部長は一瞬我を忘れたものの、冷静さを崩さず、私に諭すように言った。

「プログラマーの3大美徳は『傲慢』『短気』『怠惰』だ。ようく覚えとけ」

「自分がプログラマーであることは認めるんですね」

 なおも私は食い下がった。すると部長は正攻法で攻めてきた。

「何故このサークルにそんなやる気なんか求めるんだ。別に今のままでもいいだろ」

 私はそれに対して

「最新技術を求めるのに、やる気や楽しい雰囲気を出しながらそれを追い続けちゃいけないんですか?」

 と答えた。

「最新技術! ハッ、馬鹿馬鹿しい」

 部長は、自分のMacBook Proをスリープモードにして、素早くPCケースの中に入れ、鞄の中にしまって、教室を出ようとした。

「待ってください。まだ話は……」

「私にはねぇよ」

 私の止めようとする手を振り払って、部長はスタスタと出口の方に歩いて、教室を出てしまった。後の教室には、ドアの「バタン!」という耳をつんざく音だけが残った。

「3日間かな〜〜」

 不意に、教室の前面から見て一番後ろの席に座っていて同じくMacBook Proをいじっていた眼鏡とアンニュイな表情がよく似合う辰巳咲耶副部長が声をあげた。副部長は何故か高校生のようなジャージ姿だった。

「部長は鬱病なんだよ〜〜。あの機嫌の損ねっぷりじゃ、だいたい3日間、ここに帰ってこないよ〜〜」

 私は部長と口論した場所から移動しないまま、下を向きながら副部長に言った。

「なんですか……私のせいですか」

「違うよ〜〜部長は鬱なんだって〜〜。あなたのせいじゃないよ〜〜」

 すると、教室の横っちょで最新のビデオゲームをゲーミングモニターに据え付けてやっている同級生の小川美香さんからは

「桑谷さん、だっけ? そんなに張り切らなくてもいいんじゃない? アハハッ」

 と言われた。この教室の中では唯一彼女だけがノートパソコンを開いておらず、明るい顔立ちとニカっと笑った時に見せる八重歯が可愛かったが、少なくとも今は明らかにそれを持て余していた。

 なんだか知らないが、急に孤独感に苛まれた。

 私は唯一仲間を探そうとして、1人黙ってパソコンをやっている、中央の席に座っている人を見つけた。確か彼女は小川さんと同じ、理学部物理学科で同級生でもある関口凛さんだ。

「ねぇ関口さ……」

 私は声をかけようとしたが、やめた。まるで彼女が秋田県の名物の神の遣い並に怖い形相をしていたからだ。

 案の定、彼女はこちらを見向きもしなかった。そして何かに取り憑かれたようにターミナル画面をいじっていた。そして1人で「あ〜〜もう!!」と怒っていた。

 ……入るサークル間違えたかな?


 帰り道。私は考えた。

 いや、きっとあんな感じのプログラミングサークルになってしまっているのには理由があるはずだし、みんな情熱をもってあそこにきているはずなんだ。でも何はともあれ、重要なのは理由を洗い出すことじゃない。ただ私は

「女子の女子による女子のためのプログラミングサークル」

 に惹かれて入ったんだ。このままプログラミング言語のように鬱的な気分に支配されたサークルのままで良い訳がないし、私だってやりたいことは山のようにある。

 部長の目黒さんは鬱病だと言っていたけれど、鬱病の人が鬱病であるプログラミング言語を操るのは無理があることだろうか。例えそれがなんらかの比喩だとしても。でも鬱病の人間だって人間だ。どんな人だってプログラミングを使い、プログラミングを愛する権利はある。たった今、私はそれを一つ学んだ。

 とはいえそれとは別に、ちょっと待ったの事情の一つもある。私のやりたいことをやるのは良いが、その山のようにあるやりたいことを人に押し付けるのもまた何か違う。

 それに、人の何かを変えようとするより、自分がまず何をすべきかを忘れてはならない。

 昨日だって、結局あの後やったのはAIやKaggleじゃなくてUnityだ。

 自分はまず、プログラマーとしてはそれほどレベルの高い人間ではないのだから、やるべきことは小さなことからコツコツだ。


 家に帰ってからまず私が考えたのが、精神的な生きづらさを抱えたキャラクターを操るRPG制作。主人公の名前は「ニジマス・サーモン」。名前の由来は私の好きな作家カート・ヴォネガット・ジュニアの小説に出てくる架空のキャラクター「キルゴア・トラウト」から。

 まずは企画から考えなければならない。サーモンは30代の女性。でも物事に敏感でその敏感さは神経症レベルで何か患っている。精神科に行ってもセカンドオピニオンを受けても、口にされる病名は「鬱病」とか「自律神経失調症」とか言われてばかり。だからしっかり自己成長するために睡眠、運動、朝散歩と、処方される薬を飲んでいるのに元気が出なーー

 ってダメだーーーーーーーーー!!

 そんな初期情報はいらないっ! ただ元気がない妙齢の女性でも構わないの! ニジマス・サーモンさんは。

 そう、もう一度言うけれど主人公は

「元気のないいろんなことに敏感な女性」

この一言

 以上!

 でも世の中にはそんな人にも名前とかついているのかしら? 敏感すぎる人って? 単なるノイローゼだなんて今時言ったりもするか、少なくとも私の日常生活ではまず聞かない。

 パソコンで検索して、ようやくそれらしい名前を発見する。

「HSP」

 私は口に出して言ってみた。「Highly Sensitive Person」意訳すると「とても敏感な人」。

 このHSPに悩まされている人が、アメリカや日本を初め、最近急増しているとのこと。とみにメンタルヘルスのWebサイトでもこの言葉がトレンドになることもよくあるとか。

 念のため、私は自分のiPhoneのApple Storeで、「HSP」という単語で検索をかけてみた。特にそれらしいアプリはヒットしなかった。

 そのついでに、「HSP Unity」で検索したらサジェストが出てきた。マズイ! と思ったけれど、「Hot Soup Processor」の略でほっとした。

 どうやら次の自分に課したミッションが決まったようだ。


(今日の柚木さんとのチャット内容)

私:【プログラミング言語が鬱病だと感じたことって、ある?】

柚木さん:【プログラムの生産性自体が、オギャーと生まれた瞬間から『銀の弾丸はない』とか口はばったいこと言われるんだから、ましてや言語自体がそう言われてもむべなるかな】

 さすが柚木さん。話がわかる。

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