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とても不器用な人間の果て

私はいつも自分を不器用だと思っていた。高校を卒業してすぐの頃、私の職は単調であり、毎日が繰り返しの連続だった。デスクワークにおいても、私の手はいつも紙の山と格闘していた。数字との戦い、報告書の締め切り、上司の厳しい目。それら全てが私を追い詰める一方で、私は黙々と仕事を続けた。

私には夢があった。AIやデータ分析など、数学を扱う仕事の専門家になることだ。しかし、その道は遠く険しく感じられた。プログラミングの知識も乏しく、何度も壁にぶつかる毎日。だが、私は諦めなかった。夜遅くまで残業し、休日もコーディングの練習を重ねた。同僚たちは私の努力を知らず、私の不器用さをからかうこともあったが、私はそれに耳を貸さなかった。

ある日、会社で重要なプロジェクトが発表された。データ分析を駆使して新しいマーケット戦略を立てるというもの。私はこのチャンスを逃さないため、リードエンジニアに自ら志願した。多くの人が私の決断に驚いたが、私は自分の成長を信じていた。

プロジェクトは難航した。データの量が膨大で、分析するのに苦労した。しかし、私の不器用ながらも一生懸命な姿勢が徐々に結果を生み、プロジェクトチームも私を頼りにするようになった。最終的には、私の分析が会社に大きな利益をもたらし、私は別のプロジェクトリーダーへ昇格となった。

不器用な人間の果てには、やはり光があった。私の努力と粘り強さが、結果として私自身を変え、周囲の人々の見る目も変えたのだ。私は今、自分を「とても不器用な人間」とは呼ばない。なぜなら、私は自分の道を切り開いたからだ。不器用だと思っていたその手が、実は最も大切な武器だったのだ。

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