決め手となった予想外の反応
代表リレーブログ2周目も出番がまわってきました。今回は我が第二の師匠 山崎からのバトンと嬉しいながらも多少緊張しつついってみます
★2周目のテーマ
『どうして?Yume Wo Katare/夢を語れ 出店決意の決め手!』
ここまでの各代表の記事 敬称略で
りゅうのすけ https://note.com/suke41/n/na91a448e13e6
エイト https://note.com/fsb_8/n/nbd8eb5858025
ダン http://blog.livedoor.jp/dan_hiratsuka/archives/24914124.html
りょうま https://note.com/ryoma051/n/n85c60fc880f8
タカ http://takatottori.hatenablog.com/entry/2020/05/27/180038
ヒョードル https://note.com/tatsuyahyodo/n/n8eaf337c1b15
ヒサ https://note.com/87thinking/n/neac1a9691484
リキ https://note.com/riki0323/n/nb52986494e8e
深川 https://note.com/tomoyuki1188/n/n6fa3306ee094
てる https://note.com/terunoyumenote/n/n200a23598af8
山崎 http://yamazaki-tatsuya.blog.jp/archives/1077498204.html
さて
出店決意の「きっかけ」は前回の記事で書いた通り、Twitterで師匠西岡津世志のサシ飲み企画に反応したことでした
その辺りのことは前回の記事で
https://note.com/kenji_ywkiskw/n/nb1772b9f4b11
この時は鉄輪(かんなわ)温泉にも入り、山と海が近い自然の景色を愛でつつ、風情のある街並みなど別府の良さに触れながら、やはりなんと言ってもラーメン店「夢を語れ」のその場の空気の良さに当てられて、ワクワクしっ放しで東京に帰りました
こんな世界があるのか、こんな生き方があるのか、とドキドキが止まらず、耳にするもの全てが背中を押してくれてるような気がしてなりませんでした
例えば…
出来る、出来ないなんて今から考えることじゃない
ほら!ぬるま湯から飛び出し、その身体が冷え切る前に、さーやりたい事をやりたいだけやっちまえば良いんだ
弱気になるなよ夜明けは近いぞ 自分が納得できる人生を刻め
などなど
まあリオンさんの歌を聴き続けていたせいですね(この↓動画好きです)
あとは西新宿の親父にも背中を叩かれました
やるなら今しかねえ、と
とは言え私もアラフィフ、2人の大きめの子供を持つ身、そう簡単に事は運ぶ訳がないことも承知してました
ですが残る人生、体力的に思う通りに動き回れるのがどんなに引っ張っても70歳までと仮に考えたら、私の活動期間も残り20年な訳で、20年なんて長いようでいてあっちゅう間に過ぎて行っていたことにようやくこの頃、気付いてきたところでした
このまま日々を無為に過ごす背中を見せていて、子供たちに自分はどう映っているのだろうか、それで私も彼らも幸せなのだろうか?と悶々と過ごすようになりました。そしてその悶々を解消するすべは私自身が変わるしかないのだ!とその時既に理解していました。あとは決め手さえあれば動き出す、正にそんな状況だったのです
自分を変えたい、夢かたをやりたい、そんな思いが日に日に膨れ上がり、弾けそうになったある日、ついに家内にラーメン屋をやりたい、と胸の内を明かしました
ちなみに今思えば私の伝える力の拙さが出ていますが、夢を語れをただのラーメン屋として伝えてしまっていますね
伝える力、感じる力、どちらも強化していくことは今の私の重要課題になっています
…話を戻そう
お恥ずかしい話ですがこの10年来、家内との仲は完全に冷え切ってしまっていました
すれ違ったのは私の身勝手さ、彼女を安心させてあげられない甲斐性の無さから来ていたのだと今は思いますが、最近は何をするにしても賛成をしてくれることはまずあり得ない状態になってしまっていました
そんな彼女にどうしてもやりたい、やるとなったら1年は別府で修行生活になってしまう、と話しました。当然、何言ってるの、生活はどうするの?と猛反対されるだろうと身構えていたところに「いいじゃん、そういう話なら私だって応援するよ」と1も2もなく賛成してくれたのです
さらには子供達へも説得をするような言い回しでノリノリで説明してくれたのです
これこそが夢を語れ出店を決意した決め手の瞬間でした
今現在は蓋を開けてみて、やはり不安が募ってきたと見えて、また不満の吐露が増えていますが、この時の嬉しさは決して忘れることはできません
不安な思いばかりをさせてすれ違い、ひょっとしたら修復不可能なのではないか、そうとすら考えた家内からの応援は本当に身に沁みました
いつかこの恩を返せる時がくるよう、まずはしっかりと自分を変えていこう、と考えながら今日も濃い日々を過ごしています
今夏、さらにもう1発、事態が動くことになりますが、それはまた別の機会に
駄文、長文、最後まで読んで頂きましてありがとうございました
次は福岡のくにちゃん、よろしくお願いします!
https://twitter.com/YumewokatareF
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