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いくつもの夢を語れとの出会い

いやあ、困った

兄弟子達、みんな流石の思いを披露していて、自分なんか大したこと書けないなぁ、といつもの悪い癖でネガテイブになりがちだけど、奮い立たせて前向きに行きます!

という訳で夢を語れの各代表有志によるリレーブログも最終盤!

テーマはもちろん

『知りたい!Yume Wo Katare / 夢を語れ とあなたとの出会い!』

です


まずは自己紹介!


【名前】鈴木 健二
【呼ばれ方】けんじさん、けんちゃん、鈴木さん、ダディ、りんむー
【出身地】東京都台東区
【生年月日】1970年8月27日
【経歴】平成元年高校卒業→3浪→亜細亜大学在学中に半年間のアメリカ語学留学→SEとして就職、結婚→4回の転職→8年勤めた独法を2020年1月末に退職し、別府で夢を語れの修行開始
【好きなもの】ラーメン、料理、旨い料理で旨い酒を飲む、お酒に合うおつまみを作る、純米酒、焼酎は勉強中、魚介、旅行、温泉、歌
【特徴】マイペースだけどすぐ人に流される、流されるけどマイペースなので取り残される、基本的に笑っていたい、最近滑舌が悪いことに気がついた
【夢】70歳まで夢を語る場作りに現役で携わる、自分自身の夢を語る仲間を増やしたい、全国のラーメン荘、Yume Wo Katareの店舗を訪問してその店の方々とお話しする

Twitterアカウントはこちら↓


という訳で、さて

単なるラーメン好きでした

全く大食いでもなんでもないのですが二郎にはまって毎週のように食べていました

二郎好きが東京に住んでいれば富士丸に行き着くのも自然な流れでしたが、いかんせん僕の生活動線とは若干方面違いだったので、中々食べに行けない状況が続きました(後から知った話ですがマルジ西新井大師店が出来る数年前まで、僕が新婚時代の1年間を西新井で過ごしていたのは奇遇といえば奇遇。埼玉代表ゆかりの涌井さんにはよく通ったものです)。そのジレンマを解消しようとして通い始めたのが富士丸系と言われていた都営三田線白山駅そばにある「夢を語れ東京」です

何やら店内で夢を語れる?という触れ込みでしたが、その時は特にそちらには興味は湧かず、一度、明治通り梶原駅前店で食べた富士丸の味を求めて訪問したコレがラーメン・夢を語れとの出会いになるかと思います

夢を語れ東京との出会い

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うまそーっ!でも今にして思うと、富士丸→夢を語れ東京ときてこの味にドはまりして、完全にYume Wo Katareの味はコレなんだ!と思ってたのがこの時期 (^^;ゞ

甘いすき焼きのような脂ダレが生卵に絶妙にマッチするんです

-・-

夢を語れ東京には何度も通っていましたが別にラーメン屋さんにも夢を語れの経営者にもなろうとは全く思ってなかった僕でして

何故ならどう見たって大変に決まってるから

『大変なことは極力したかない、のんべんだらりと暮らしていたい』
『生活が出来る程度のサラリーが得られて、後は好きな時にそこそこ美味しいものが食えれば足りる、それを幸せと思うべき。欲求を貪っても仕方ない、そもそもそんなの大変だし』

そんな風に考えるようになって久しくなっていましたが、それでも自分の仕事ぶりにもそのような観念にも納得はいっておらず、モヤモヤしたり、自己嫌悪になったりしていました

なぜなら本心ではそんな生活をしたいと思っていた訳ではなく、だけど自分の力不足でレベルを下げて欺瞞に浸る以外に自分を幸せだとみなす方法が見つからなかったからなんだろうと今にして思えばわかります

そんな中、「夢を語れ東京」の店内に延々と流れ続ける音楽が徐々に気になるようになっていきました

高田リオン「夢を語れ」との出会い

そうもちろんこれが楽曲・夢を語れとの出会いです

「店名と同じ曲?どういうこと?曲が先?」と不思議に思い早速ググってみると、なんと自ら歌っておられる高田リオンさんが創業店である京都一乗寺の夢を語れのために曲を作ったというエピソードが見つかりました

そんなことってある?すごいなあと思い、その創業者である西岡津世志という人間に興味が湧いてきました。Twitterのアカウントはすぐにフォローし、普段どんなことをつぶやく人なんだろうとうっすらと追いかけていました。

調べるとネット上にポツポツとインタビュー記事があったり、Youtubeにも動画がアップされていたりするので、それらを読み、観ていく内に益々興味が高まっていくのを感じていました

余談。ちなみに高田リオンさんの曲はどれも刺さります。「歴史を刻め」の店内ライブ動画は上りに上りまくるし、娘、息子を持つ身としては「俺がお前の父ちゃん」は聴くたびに涙が出てきます。「ゴーストレート」は徐々に募るもどかしさと歯がゆさ、周囲からの期待の重さを振り払おうともがく感じが切ないながらテンポとしては前へ前へと進もうとする強さを持つ名曲です。

閑話休題

そうこうしていたある日

「こんな僕でよかったら、月一でサシ飲みしませんか?」
https://twitter.com/yume_tsuyoshi/status/1139558598001012736?s=21

こんなことを西岡さんがつぶやきました。

何故この時の僕がこのツイートに反応したのか、よく分かりません

何故か

 「西岡さんとサシ飲みした過ぎ」

とコメント付きリツイートをしてました。すると即座に「どうぞどうぞ」とのリプライが!

夢を語れ創業者の西岡津世志とのファーストコンタクトはこのつぶやきでした。イコール、コレが我が師匠、西岡津世志と僕との出会いです。

師匠・夢を語れ創業者の西岡津世志との出会い

「東京にもちょくちょく来ているようだし、創業者自身が作るラーメン食べたいなあ」というラオタ的ミーハーな考えが最初にあったのは間違いありません。そこで東京で西岡さんのラーメン食べられますか?と聞いたところ、今は別府かボストンでしか作っていないと

ならば!とあっという間に別府行きの調整をしていました。普段こんなに即決で動く人間ではなかったです。頭でっかちで考えに考えて動かないタイプだったのに、この時だけは何故か直観で動いていました

別府での滞在先としては折角なのでと温泉宿を予約しました。が、それを伝えると「店の2階に泊まれますよ。そっちはキャンセルできますかね?」と

何なんだ、この善意?今までに経験したことがない感覚でした

こちらとしては願ったり叶ったり、二次会的にお店で飲ませてもらって、翌朝まかないを頂きました

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ちなみにこれが人生初の西岡さん製・夢を語れラーメン、麺半分(汗)
その時の西岡さんとの会話、作ってもらったラーメンについてはまた別の機会にでもご紹介するとして、翌日日曜日、東京へ帰る前にもう1杯ラーメンを食べておこうと昼営業中の総本店に足を運びました

店舗「夢を語れ総本店」、奈良代表、福岡代表との出会い

その日の麺場はかわらや。さん

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これがまた旨いんだけど、それ以上に胸が躍ったのはやはり店の空気でした
自ら夢を語っても笑われない、応援してもらえる、殺伐としていない(!?)、こんな二郎系のお店は初めてでした

ただただひたすらワクワクしている自分がいました

前日の西岡さんの作ったラーメンの旨さには驚きました。予想していた富士丸味とは全く違う、濃厚なのにあっさりと軽い、それが旨い、抜群のバランスでした。でも僕が夢を語れをやりたい!と強く意識したのはこの日だったように思います。営業中のくにちゃん、かわらや。さん、津世志さんを見ていて、なんてワクワクする場所なんだろう、なんて幸せなんだろうと感じていました

これが別府の夢を語れ総本店との出会いです

結局、その足で大分空港に行き、東京に戻ってからも、この時に感じたワクワクが胸からなくならず、翌月の末には西岡さんに弟子入り志願を伝えていたという次第です。そのあたりの話もまた別の機会に

そして最後の出会いの地は東北・宮城県は女川でした

Yume Wo Katare Onagawa / 夢を語れ代表・山崎/女川町との出会い

僕が別府修行を始めたら東京に残ることになる家族との調整や、会社を辞める手続きと引継ぎを済ませた2019年末、僕は西岡さんが後継者として認めている山崎さんにどうしても会いたくなっていました

西岡さんは2020年夏で別府でのラーメン店経営からは引退することを公表しており、別府での修行が終わったら当然自分も各地に飛んでいく、その前提でいた時にやはりこの後20年の付き合いになるだろう現代表がどんな人なのか、Twitterでは真顔っぽいトーンで下ネタを連発する山崎さんが作る空気はどんなものなんだろうか、と考え始めたら居ても立ってもいられなくなり、年内最後の勤務が終わる2019/12/27(金)の深夜に東京を立ち、夜行バスの車中2泊の弾丸で往復することにしました

その頃には既に夢かたメンバーとはLINEでつながっていたため、挨拶がてら山崎さんに弾丸で往復する旨を伝えました

すると

「営業ぜひ参加してください。29日は忘年会もやりますので是非。日帰りだと得られるものが限られて勿体ないので是非30まで泊まっていってほしいです。泊まる場所はこちらで用意できますよ」

何たるデジャブ…何なんでしょう、この師弟は(笑)
今からして思えばこれがYume マインドの片鱗だったんでしょう

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ふあ~、なんてブクブク。それに引き換え山崎さんのイケメンなことよ。下ネタ頻発でも無傷なのはただイケ案件であったことを再確認したのがこの時。

山崎さんがつないでくださった女川での滞在場所は、女川町で活動を続けているNPO法人 アスヘノキボウさんが運用されているお試し移住プログラムで提供してくださる家でした

お試し移住とは宮城県女川町という町を知りたい方に宿泊場所を提供するプログラムで、いくつかの条件を満たすことで5日間から30日間までの期間、宿泊費無料(オリエンテーション費や保険料が若干発生します)で滞在が出来るプログラムです。

https://www.asuenokibou.jp/otameshi/

滞在中の簡単なことはそのプログラム参加者がつなぐリレーブログに簡単に書きましたので、プログラムの紹介ページと共にご覧いただければ恥ずかし…嬉しいです。

http://onagawa-kikkake.jp/author/kenji-suzuki/


こうして僕は地元東京でもない、総本店別府でもない、夢を語れ女川、並びに代表の山崎さん、直島代表てる君、岐阜代表エイト君と出会うと同時に非常に不思議な魅力ある町、女川に出会ったのです

いつか短期間でも夢を語れ女川で戦力として働かせてもらえるよう力をつけていきたいというのはその時からずっと持ち続けている僕の夢です

~・~・~

2020年、いよいよ夢かたの仲間も増えてきて、日本各地、世界にまで広がる勢いが付き始めています

人生100年時代が目の前に迫ってきた矢先に世界を襲ったコロナ危機が、この先どのような展開を見せるか分かりませんが、僕はこのYumeの仲間たちと一緒ならどんなことにも立ち向かっていけるように思います

たとえ僕が出来なくても、僕の仲間たちは絶対にやってくれる、そんな仲間に出会えた現時点で僕の人生は半分大成功です

そしてかなうなら僕自身が人からそう思ってもらえるような、そんな存在にいつかなれたらなあ、いや「なあ」ではない、絶対になるんだ!と思いながら、今日も別府のラーメン通販の準備を続ける日々を過ごしています

そんな日々のことも気が向いたら記事にしていくかも…?

というところで僕と夢を語れとの出会いの話はこれで終わりです

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次はニューカマー、僕が別府に旅立つその日の朝に東京で初めて出会った深川さんにバトンを渡したいと思います

https://twitter.com/tomoyuki1188

深川さん、よろしく~!

そしてその次はいよいよ…!?


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