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図式と操作的確率論による量子論 #4 ~標準的な量子論の書籍との違い~

書籍「図式と操作的確率論による量子論」の紹介記事です。最終回である今回は,本書と標準的な量子論の書籍との違いについて述べます。

連載の記事一覧:
#1 目的や特徴
#2 図式とは
#3 操作的確率論とは
#4 標準的な量子論の書籍との違い
番外編 ~初学者向け資料~

はじめに

本書には,標準的な量子論の書籍(以降,他書とよびます)にはない特徴的な点が少なからずあります。最も特徴的な点は図式や操作的確率論の視点から説明することだと思いますが,量子論の捉え方についても他書とは異なっています。もちろん,数学的構造自体は他書と本質的に同じです(ただし,本書では有限次元系のみを扱います)。

なお,図式を用いた量子論の説明については「Picturing Quantum Processes」,Cambridge University Press(邦訳:「圏論的量子力学入門」,森北出版)が元祖であり,こちらのほうが詳しいです。

量子論の捉え方について,他書とは大きく異なると思われる点を3点挙げます。

  1. 「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」を分けて考えている。

  2. すべてのプロセスを主役として扱っている。

  3. 実ヒルベルト空間や凸錐に着目している。

3.については本書で説明することにして,以下では1.と2.について説明します。

1. 「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」を分離

第1回でも述べたように,「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」の対応関係はそれほど単純ではありません。このため,これらを分けて説明したほうが議題が明確になってわかりやすいと考えました。これらを完全に分離することは難しいのですが,できるだけ分けることで整理して考えられるようになると思います。「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」を分けて考えながら適切なタイミングで合わせてみることで,これらの間にある密接な関係を明らかにしようとしています。なお,「操作的な性質」と「確率的な性質」もある程度分けて説明しています。

なお,本書では,ミクロな物体の物理的な性質についてはほとんど扱いません。たとえば,運動量やエネルギーなどの物理量は滅多に出てきません。量子論の性質のうち本書で興味があるのは,操作的・確率的なものであるためです。

本書の説明の流れは,次の図のようになっています。

前回述べたように,操作論の特別な場合が操作的確率論であり,さらにその特別な場合が量子論や広義量子論です。

「数学的構造」については,本書では量子論を「○○を満たす操作論」という形で定義します(上の図の[A])。これは,公理的に量子論を定めているともいえます。このように操作論(つまり「操作的な性質」)を土台とした定義により量子論の数学的構造が定まります。しかし,この定義の中には測定といった用語は現れませんし,確率の概念すら登場しません。つまり,量子論の「数学的構造」とその「確率的な性質」を分けて考えています。また,[A]とは別のアプローチとして,操作的確率論に対していくつかの要請を追加することで広義量子論の数学的構造が導けることを示します(上の図の[B1]と[B2])。Web補遺は森北出版のWebページからダウンロードできます。

「操作論な性質」と「確率的な性質」については,まず操作論を導入することで操作的な性質(のうち基本的なもの)について考えて,次に操作論に対して確率の概念を導入した理論である操作的確率論を考えます。量子論の操作的・確率的な性質のうち,操作的確率論で説明できるものは少なくありません。

2. すべてのプロセスが主役

他書では,状態と測定を中心に量子論が説明されることが多いようです。とくに,正規純粋状態や理想測定といった,特別な種類の状態や測定に着目されることが多いと思います。また,プロセスについての説明もあると思いますが,可逆なチャネル(ユニタリ変換のこと)や調和振動子の運動といった特定の運動を表すプロセスに着目されがちです。この説明では,「どのようなものが状態・測定・プロセスになり得るのか?」(たとえば「理想測定ではない測定にはどのようなものがあるのか?」)といった疑問に対して読者が自力で答えることはきっと容易ではなく,全体像を把握することが困難です。

これに対し,本書ではプロセスを主役とみなします。プロセスは,状態や測定を一般化した概念といえます。また,特定の種類のプロセスのみを考えることもほとんどありません。プロセスをいくつかの観点で分類することはしますが,特定の種類のプロセスの性質ではなく,プロセスの普遍的な性質というものに着目します。このようにプロセスを統一的に扱うことにより,全体像を見通しのよい形で提示することをねらっています。

次の図は,この関係を模式的に表したものです。

古典論や量子論の確率的な性質をしっかりと考えたい場合には,正規純粋状態や可逆なチャネルのみに限定して論じることはあまりよい方法ではない気がします。とくに古典論においてこのような考え方を採用すると,本質的に確率的な要素がなくなってしまいます。量子論でも,このように限定をするとかえって見通しが悪くなることがしばしばあります。

最後に

私が「学生の頃にこういう量子本に出会っておきたかった」と思えるような本にすることをめざして,執筆しました。

私自身は,量子力学の講義を受講したときにはその数学的構造をほとんど理解できていませんでした。後で量子論を独学したのですが,最初に全体像を理解できたと感じたのは,半正定値行列の基本的な性質が理解できて状態を半正定値行列として表現することに慣れてきたときでした。しかし,暫くの間は,状態を列ベクトルではなく(線型写像である)行列で表すことに戸惑いを感じていました。行列は線形写像であるはずなのに,状態は線形写像であるというイメージがつかめなかったためです。

しかし,図式と操作的確率論というツールを学んだときに,より直観的な表現方法があることを知りました。状態を表す行列はベクトルと捉えたほうがわかりやすいことに気づき,それ以降は状態やプロセスを直観的に理解できるようになりました。量子情報理論で当たり前のように登場するCP写像やPOVMといった概念も,これらのツールを用いることで難なく理解できるようになりました。私自身は,量子論について考えるときには数式ではなくまずは図式を用いることのほうが圧倒的に多いです(数式のほうが便利な場面では数式も使います)。本書では,私が10年以上図式を使い続けている間に気付いたことも整理して記載しました。

本書を読んでいただければ,きっと図式と操作的確率論というツールの基礎をひととおり理解できて,量子論の数学的構造や操作的・確率的な性質を直観的かつ素直な形で表現できるようになると思います。ぜひ,手に取ってみてください。

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