見出し画像

図式と操作的確率論による量子論 #1 ~目的や特徴~

書籍「図式と操作的確率論による量子論」の紹介です。

連載の記事一覧:
#1 目的や特徴
#2 図式とは
#3 操作的確率論とは
#4 標準的な量子論の書籍との違い
番外編 ~初学者向け資料~

量子論は我々の直観に反する不思議な性質をもっており,そのイメージをつかむことは容易ではありません。また,量子論で現れる数式が複雑でわかりにくいと感じる方も多いのではないでしょうか。しかし,量子論が操作的で確率的な理論とみなせることを知り,また数式よりも直観的に表現できる方法があることを知ると,量子論を素直に理解するための大きな助けになると思います。本書では,このような立場から直観的でわかりやすい形で量子論の基本的な性質や数学的構造を説明することをめざしました。そのために用いたツールが「図式」と「操作的確率論」です。これらのツールは,一般の方の認知度はまだ高くないようですが,量子論の研究者たちの間ではしばしば活用されています。本書を通してこれらのツールを学ぶことで,量子論に対してより素直な考え方ができるようになることと思います。

本書の目的

有限次元系の量子論の「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」,およびそれらの間にある密接な関係を,見通しのよい形で提示することです。

たとえば,量子論の数学的構造として複素ヒルベルト空間が現れますが,この空間に基づいて操作的・確率的な性質を直観的に理解することは一般に困難です。このように,量子論の数学的構造と操作的・確率的な性質の間にある対応関係はそれほど単純ではありません。本書では,複素ヒルベルト空間の背後に隠れた本質的な構造を顕在化し,その構造が量子論の操作的・確率的な性質と深く関連していることを明らかにします

想定している読者

量子論(とくに量子情報理論)の初学者から研究者までです。

主に,以下のいずれかが当てはまる方を想定しています。

  1. 量子論の数学的構造や操作的・確率的な性質を素直に理解したい方

  2. 従来の量子論の定式化が難しい(または複雑だ)と感じている方

  3. 量子論を従来とは異なる視点からより直観的に理解したい方

一方,電子や光子などのミクロな物体の具体的なふるまいのほうに興味がある方には,本書は向いていないかもしれません。

本書が前提とする知識は,複素数と線形代数の基礎です(線形代数の基礎は付録にも記載しています)。また,初学者は,本書と併せて量子論の入門書などを読むとよいかもしれません。量子論のことを全く知らない方は,量子論がどのような理論であるかという大まかなイメージをもってから本書を読むと,理解しやすいと思います。

なお,この本にはやや高度な内容が含まれているため,初学者がすべてをすぐに理解することは難しいかもしれません。しかし,初学者が難しいと感じそうな箇所を多少読み飛ばしたとしても全体像を見失わないように意識して書いています。

本書の主な特徴

以下の二つです。

  1. 量子論の「数学的構造」を,物理デバイスの操作的なふるまいに基づく視点から明瞭・簡潔な形で提示している。

  2. 量子論の「操作的・確率的な性質」を,図式と操作的確率論というツールを用いて直観的にわかりやすい形で論じている。

なお,量子論の本質的な性質の多くは有限次元系でも現れますので,本書では有限次元系に限定しています。これにより,無限次元系で必要になる高度な数学(たとえば無限次元ヒルベルト空間や関数解析や測度論)を避けながら本質的な議論を行います。また,物理量などの概念やシュレディンガー方程式などは本書ではほとんど扱いません

本書の流れ

本書の大まかな流れを図示します。本書の内容は,「基礎」・「数学的構造」・「操作的・確率論な性質」の三つに大別されます。

先述のように,量子論の「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」の対応関係はそれほど単純ではないため,これらを混ぜて説明するとかえって見通しが悪くなると思われます。そこで本書では,「操作的・確率的な性質」とは切り離した形で「数学的構造」を先に説明します(厳密には,操作論で成り立つような性質は用います)。次に,操作的確率論について議論しながら量子論の「操作的・確率的な性質」を説明します。

なお,上の図にある完全正値写像(CP写像)とは,量子論のプロセスを数学的に表現する際に通常用いられる概念です。量子論の数学的構造の全体像を理解するためにはCP写像は不可欠の概念ですので,その基礎をしっかりと説明しています。

本書では量子論の数学的構造を天下り的に与えますが,このことに不満をもつ方がいらっしゃるかもしれません。数学の言葉ではなく直観的でわかりやすい言葉で書かれた要請から出発して,「なぜそのような数学的構造になるのか?」(たとえば「なぜ複素ヒルベルト空間が現れるのか?」)を示せないのかと疑問に思うことは自然なことでしょう。しかし,残念ながらこのようなアプローチに基づいてわかりやすい形で数学的構造を導出する方法は今のところ見出されていないようです。この疑問に少しでも答えるべく,このようなアプローチの一つをWeb補遺(森北出版のWebページからダウンロード可能)で紹介します。具体的には,(直観的にわかりやすい理論である)操作的確率論に対していくつかの要請を追加すれば,広義量子論(=古典系を含む量子論)の数学的構造が演繹的に導けることを示します。そこから量子論の数学的構造も導けます。ただし,その導出過程は決して容易ではありません。

note記事「図式で学ぶ量子論」との違い

noteの連載「図式で学ぶ量子論」でも本書の内容を紹介しています。本書がこの連載と大きく異なる点は,以下の三つです。

  1. より厳密かつ丁寧に説明している。

  2. 量子論の確率的な性質を,操作的確率論の視点から説明している。

  3. note記事では述べなかった話題を多く扱っている。

1.については多くの例が挙げられます。丁寧に説明している箇所については,たとえばnote記事ではほとんど述べなかった「操作論で成り立つ性質」について詳しく説明しています。また,凸錐や双対錐などの概念を積極的に用いて量子論の数学的構造を説明しています。逆にnote記事のほうが詳しく説明している箇所もいくつかあります。

2.については,量子論の確率的な性質をより直観的な性質のみに基づいて理解したい場合に適していると思われます。一方,より直観的な性質のみに基づくことにこだわらなければ操作的確率論を用いないほうがわかりやすい気がしますので,note記事では操作的確率論の話はしませんでした。

3.の例としては,操作的確率論のほかに,古典論の別の定式化(第5章)やLOCCプロセス・量子テレポーテーション・量子プロセス識別問題(第8章)などが挙げられます。

余談:言い訳

本書には,とくに初学者にとっては難しいと思われる内容が少なからず含まれています。その主な理由は二つあり,一つ目は,広義量子論の数学的構造を導くことを本書(&Web補遺)の最終目標としたためです(かなり欲張ってしまいました)。二つ目の理由は,量子論に詳しい人にも面白いと思ってもらえることをめざしたためです。難しいと感じた部分については最初からすべてを理解しようとは思わず,まずは全体像を把握するつもりで読んでいただければ幸いです。

また,標準的ではない用語や表記がしばしば現れます(例えば格下げや2重化)。この主な理由として,本書のような観点がまだまだ市民権を得られていないことが挙げられます。もちろん,各用語や表記の定義はできるだけ明確に与えています。表記については本書の冒頭で一覧を示しています。

もう一つ付け加えると,図式をたくさん用いて説明したかったのですが,紙面の都合上あまりできませんでした(図式で表現するとどうしても紙面を使ってしまいますので)。note記事の「図式で学ぶ線形代数」と「図式で学ぶ量子論」では,本書では掲載しきれなかった図式の例を多く示していますので,よろしければこれらもご参照ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?