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文学作家を夢見た少女はエンジニアを目指すことにしました (5)

自分がなぜ執筆を始めたのか、それからなぜ作家の夢からITエンジニアの道に行くことを決めたのか。

今に至るまでの話を、いくつかの章に分けて話していきたいと考えます。これが何かの繋がりになればと祈りながら。

(前回の記事:「文学作家を〜しました(4)」





読んでもらう物語

学生の楽しみ、夏休み

小学5年生の時の宿題は、少しだけ特殊でした。
ノート1冊、配布されて、コレを自由に埋めてくるというものです。

特にやることが思いつかなかった私は、適当に漢字と計算のドリルをやって終わらせました。


1ヶ月があっという間に過ぎ、始業式の日。
教室の指定された箱の中へと宿題のノートを提出しました。

その日はそれで終わったのですが。


次の日のホームルーム。
クラスの女の子が、例のノートを持って教壇に立ちました。

「Kちゃんが面白いお話を書いてくれたので読み聞かせしてもらいます」

先生はこんなことを言ったのです。
女の子はこくりと頷きました。


こんな発想のなかった私にとってかなり衝撃でした。

自主勉ノートに物語を書いて提出するなんて思いもよりません。
女の子は、二人の神様の話をイラスト付で書いていました。

みんな楽しそうに聞いていました。

この時、初めて気付いたのです。

自分の物語は人に読んでもらえるのだと。
こんなにも褒められて。
こんなにも楽しそうに。

(私も書いたら、面白いと言ってもらえるのだろうか)

心からぽっと出た気持ち。


きっかけは些細な気持ちでした。
脳内にしか無かった物語を、積極的に文字にするようになりました。




たくさんの物語たち

色々な手法で、たくさんの物語を書きました。

漫画であったり、イラストであったり。
もちろん、文章であったり。

当時はノートに手書きしていまして、今も実家に保管してあります。


無我夢中でした。

いつでも書けるようにと、百円ショップで切り取り式のノートを何冊も買って、引き出しの中に入れていました。

書いたら切り取り、ホッチキスでまとめて、簡易本のようにしていました。


他にもたくさん。

小学3年生の時に創った "オリジナルキャラクター" から更に発想を膨らませて、ノート一杯にキャラ図鑑のようにしてまとめたのですが、今それを見ても、どこにコレを書ききる熱量があったのか……と思います。

これだけは、とてもじゃないけど捨てられないです (笑)

漫画は棒人間の恋愛物語でした。
4コマ式の安直な物語構成でしたが、楽しんで描いていました。

何も気にすることなく、人生の中で最も楽しんで創作していたと思います。今も幸せな感情が優しく蘇ります。


本を積極的に読み始めたのもこの頃からでした。
そしてある日、私を築いてくれた宮澤賢治を知るのです。
(「文学作家を〜しました(6)」へつづく)


《ここまで読んで下さりありがとうございました!》
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