見出し画像

プログラミングと執筆の類似性

只今、プログラミング言語の一つである Python (パイソン) 習学中なのですが、最近は授業の雰囲気がガラッと変わったように思います。

というのも、初心者が躓きやすい一つである、クラスの勉強に突入しました。


* * * * *


今までは出力方法の学びから始まり、ループ処理やディクショナリ、二次元リストなどを学んできたのですが、クラスは開発に関わる重要部分として概念の理解から始まりました。

単に知識をインプットするのではなく、どのようにプログラミングが動いているのか、イメージ、イメージ、イメージ——。

脳内の映像化は得意なはず、なのですが、頭はオーバーヒートしてファンがフル稼働する状態となりました。

これは——常に意識して慣らしていくしかなさそうです。継続あるのみ。クラスの役割とは何か、何のために作るのか、頭で繰り越しイメージをする。

先生も繰り返し教えて下さいます。
本当にホスピタリティに溢れた先生です。


* * * * *


話を聞いている中で、これらの説明にふと、既視感を覚えました。

「この考え方って執筆の時に意識している事と似ているな」

物語作りが趣味でして、作家を目指していた時期もあったことからある程度の勉強はしてきたのですが、その時に学んだ事と似ているなと思ったのです。

文と理、もちろん手法や求めるものは違いますが、根底の意識や思考に類似点を見つけました。

あくまで、執筆は趣味ですし、プログラミングも初学者ですので、突拍子のない意見だと捉えて頂けたら幸いです。


* * * * *


まずは、プログラミングのスキルを身につけるには「トライ & エラー」を繰り返すことが大切だとよく言われます。

執筆も同じです。

執筆は基盤となるプロットも大切ですが、最も大切なのは校閲の時間です。

アマチュアは編集者がいない分、自分で全て担わなければいけません。一度通しで書いて、それを何回も書き直します。

これは既に癖となっていて、note も 10 回とか読み直してしまうんですよね。改善点を見つけたら手直ししています。語感とか てにをは の直しが大多数ですが。

自分のつくったものに対し、何度もトライして、より良くしていく。


* * * * *


プログラムは一人で全てをつくるのではなく、沢山のプログラマのアイデアを拝借して、少しずつやっていくのだと知りました。

執筆も同じです。

基盤になるものは「自分が描きたいもの」であることに変わりはありませんが、展開や言葉尻は色々な作家さんのアイデアをお借りしています。

王道なんてその最たる例ですし、自分でいえば宮澤賢治の言葉遣いの影響は確実に受けています。"けれども" の否定語を好むのはこれが理由です。

言葉や表現方法を参考に、こうすれば更に良くなるのではと改稿を続けます。


* * * * *


都度、メソッドやモジュールを調べながら行うのも、よく似ています。

日本語はとても複雑です。言葉ひとつでニュアンスが変わってきます。Google などで類義語辞典や国語辞典で調べながら言葉を選んでいます。

「怖い」にも「恐怖 / 悍しい / おっかない」と、これだけでも読者へのイメージはかなり変わってきます。

語彙力があると言われることがありますが、これを必ずやっている影響だと思います。自分としてはまだまだですが。

分からないことを調べるのは最早癖です。下調べの有無で、納得力に大きな差が出ます。とても大切な期間です。


* * * * *


何より、似ていると一番感じたことが「イメージ」です。

何のために、このクラスが存在してるのか。
この変数の役割は、何なのか。
製作者はなぜ、オーバーライドを用いたのか。

執筆する際も、似た事を常々考えています。

この言葉や表現を用いる事で、どのような効果を期待しているのか。
ここでの展開や登場人物は、どのような役を担うのか。
この人物が動く事により、周りにどんな影響を与えるのか。

プロットを書かない自分にとって、脳内のイメージが全てですので、これら全てが非常に大切です。緻密に一人一人の行動をイメージして、それに似合う効果的な言葉を選びます。


また話のアイデアを盗むために、筆者の意図を考えて本を読むようになりました。(没入感が半減されたのは悲しい事実です)

この作品を書いた作者はどのような意図をもってこの表現にしたのか。
ここで登場した人物にどのような役割を与えたいと意識したのだろう。

こんな事を考えて読んでいます。共感する物書きさんも多いはず。


こうみると、なんとなくイメージの方向性が似ていると思いませんか?

自分はまだコードを読むに至る知識量が足りていないので、学びを繰り返すしかありませんが、これらの壁を突破した時に、執筆で得たスキルが活きそうだなと思いました。


* * * * *


他にも可読性を重視するところや、締め切り内に作品を仕上げなければいけない点、自分の技術の最大到達点を常に意識する点、存在の意図を考えるなど。今まで意識していたことが、すっぽりハマった気がしました。

仮に、この考えが的を得ているのであれば、文理という概念は崩れるのではないでしょうか。

相反するものは結局は一つの所に還るのだと考えています。

数学も英語も論理思考も苦手、加えての完全文学派。こんな人間の持ち前の知識と技術が、ロジカルな世界である "プログラミング" や "テクノロジー" に活かせたならば、それは大きな発見のように思います。

そして最も面白いのは、私は真逆の道を選んだと考えていたのに、根本の趣向は変わっていなかった、ということです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?