概念的な時代を生きる人類の方位磁針
あなたは自分について語れるか。
とあるネットのコメント欄で見た。
「哲学とは考えて壊すことだ」
"why" を繰り返すことが哲学の本質である、とコメント主は言っている。
この考えにいたく共感したのだが。
"why" を繰り返し続けた先にあるものは何なのか。
付着した思考を、削ぎ落とし続けた先に現れるものは、概念的本質である。
よくこれを、シュラスコに喩えて考えるのだが、香ばしく焼き上げた肉を削ぎ落とし続けると、残るのはただの銀棒である。食べられはしないが、光に当てると光沢をもって輝く、銀棒だ。
私は自分を知る必要があった。阿保のように失敗して、実行して、自問自答を繰り返し続ける。特段、人に語れるような格好良いものではない。
このときに自分の中に生まれたものが一体何者なのか、今も知らない。
この先こいつがどのように変態していくか、予測もつかないが、これが私の概念的本質というやつなのだと、直感的に理解できる。
なぜなら、思考を破壊する度、こいつは輝くのだ、輝いたのだ。
概念とはユーモアであり、空気や霧なんかよりも曖昧な存在であり、テクノロジーの新世界へと飛び立つ人類にとって、未来を歩く命綱となる。
このような考えを持つ人間は、私以外にも大勢居て、思想をまとめた書籍も存在する。興味のある人は「ハイコンセプト」で検索して欲しい。
話の方向をやや変えて、自分の概念と、他者の概念の、違いとは一体何なのかを問う。
これを証明するオリエンテーションを、先日アートシンキングの授業で行った。内容は至って単純で「A君とB君の間には壁がある、どうすれば二人は会うことが出来るか」というものだ。
心理テストなどでもよく使われる例題であり、ご存知の方もいるだろう。
この問いに明確な解答は無く、尋ねる人によって方法が変わる点に着目してほしい。
あなたはどのような方法を考えたか。
脚立で壁を登ろうとしたか。
シャベルで穴を掘って地下通路を作ろうとしたか。
健全に遠回りして会いに行こうとしたか。
それとも豪快に壁を壊したか。
もしくは自ら行かずに来るのを待つか。
着目点も、方法も、答え方も、異なる、これが概念の違いに直結している。
"当たり前は当たり前に非ず"。
自分の思考や価値観が全てではない。一人一人異なる思想が渦巻いて、世界がつくられている。
人間の出会いによる化学反応とはよくいったものだ。好きな比喩である。
他者との関わりで難しい点のひとつとして、如何に自由をもって行動できるかがある、規律は必要だが、自由が根本になければ、改善はあり得ない。
自由とは、自身の本質を理解し、他者との違いを理解し、個性的な概念が隣接した世界を許容することで動き回れる。他者がいなければ、自分に由る考えは存在しない。
自身の性格は、生まれ持った性質と、幼少期の環境と、現在の周囲の人間の価値の集合体と言われるが、この変容していく模様もまた面白い。
つまりは、異質と関わることで自分も変化し、周囲も変化していく。異質との共生は見過ごすことの出来ない未来へ継ぐ課題である。
しかしながら、許容とは自身のプライドを傷つける行為であり、簡便な解決は難しい。
そこで必要となるのは共感能力である。
こればかりはAIで代替できない人間の特許であり、力だ。共感とは他者の感情を共有して、まるで自身も同じ体験を背負うような考えに至ることである。
自分の考えへと昇格すれば、プライドへの触れ方は柔らかいものになるだろう。自分の考えを折るのではなく、自分の考えを増やすだけなのである。
ここで問題なのは、共感は人間の心を蝕む力でもあるということだ。
共感能力が本能的に高い女性や HSP の人なら頷けると思うが、継続となると精神的負荷がとんでもないことになる。
必要以上に他者を感じて、苦しくなり、最終的には何をしたかったのかすら見えなくなり、自分が分からない心に悩乱する。
これを解決する立ち位置にあるものこそAIである。具体的にいえば、メンタルケアの存在は人間から機械へと移行する、ということである。
それこそドラえもんの話であり、劣等生である のび太 を側で支える 猫型ロボット を生産する時代が近い将来くるだろう。
それだけ共感とは、人間を新たな世界へ導く反面、精神的ダメージが想像以上のものとなって降り掛かる。
防ぐには、自我の維持が必要不可欠になってくるが、維持は一人では不可能だ。
これを平等に行うには、人間よりも、アルゴリズムが組み込まれたロボットの方が優秀な結果をもたらすだろう。
共感し、他者を理解し、違いを楽しみ、自由を得て、精神を育成した先で、自我を意識的に保持する。
ここでもう一度問う。
あなたは自分について語れるか。
自分を追い求める程に、概念的思考が培われる。
概念的思考は、自分への理解を高めると共に、創造的な力を養っていく。人類のクリエイティブな発想は、時代をつくる基盤を構築するだろう。
人類の方位磁針とは何なのか。
人類の幸福とは何なのか。
明確なものはなく、もっといえば移り変わって然るべきものである。
けれども、今ひとつ宣言出来る事は、人間の差異ある思考が飛び交う、アートスティックな時代へと変異している。
テクノロジーによる 2000 年代のルネサンスがやってくる。
時代を自我をもって起立するには、概念的な思考で立ち向かわなければならない。
その為に必要なのは、人類特有の知能である創造と心情とユーモアだろう。