世一杏奈(よいち・あんな)

クリエイターエンジニア(仮)。20代。IT学生。自己世界の表現と発言。テクノロジー×発…

世一杏奈(よいち・あんな)

クリエイターエンジニア(仮)。20代。IT学生。自己世界の表現と発言。テクノロジー×発達障害者支援の新未来を目指して活動中。たまに小説も投稿しています。 自分のサイト / https://yoichianna.com/

マガジン

  • 日々つぶやき

    日々の情動やイラストを 毎日投稿しています。

  • アートシンキングと私

    マイワールドからお届けする、自身の思考をアウトプットする広場である。 主にアートシンキングという概念に基づき、自身の思考変動を記す。

  • 記録実験TECHシリーズ

    これは技術/知識ゼロの人間が、ITの学校に入り、超絶カッコイイエンジニアになるまでを記したものです。 記録実験TECHシリーズは、事実を基にした内容と、勉強をサボりがちな自分への戒めと、皆様のドラえもんのようなあたたかい目で構成されています。 《ヘッダー画像はkyokoさんの素敵なイラストをお借りしています。ありがとうございます。》

  • お話とかなんか

    記事の息抜き日にお話とか書いたものを集めました。

  • 文学作家を夢見た少女はエンジニアを目指すことにしました

    エッセイ。 自分がなぜ執筆を始めたのか、それからなぜ作家の夢からITエンジニアの道に行くことを決めたのか。 今に至るまでの話を、いくつかの章に分けて話していきたいと考えます。これが何かの繋がりになればと祈りながら。

記事一覧

note また書き忘れました……。
不覚です。
一からやり直します!学校卒業するまでに365日バッチ取得を目指して!

作戦練り直しますので、少しの間 note お休みさせて頂きます。新生の私を楽しみにお待ち下さい(笑)
Twitter の活動は続けますので宜しくお願い致します。

自分はまだまだだと思った。自己肯定感と同時に、やはり自己否定感も持っていなければ、簡単に有頂天になってしまう。理想としては 100 : 100 の割合で、感情を分離して、視野を広く持ち続けることが必要だと考える。主観的な心は自分が自分でしかなくなる。地道に地固めしていくしかない。

夏といえば、

海に花火にバーベキュー。
祭りや太鼓に獅子の舞。
美味しい野菜と麦茶と風鈴。
そしてスイカ。
入道雲。
フェスに旅行に大盛りあがり。

けれども今年は少しちがう。
ぜんぶぜんぶ楽しめない。
新しい夏がやってくる。
どんな形になるかな。
ちょっとワクワクしませんか?

来週が学校最後の週だ。
春の前半はオンライン。
夏の後半はオフライン。
とても良い体験だったと思う。毎日通うのが辛い子にとっては、自分を労わりながら勉学に励むことができ、息のしやすい未来へと進んだ気がする。
なんだか物足りない気もするけれど、夏休みも充実しているといいな、楽しみ。

私の大切な人が今日、20歳になった。
自分が20歳になった時も不思議な感覚だった。出来ないことが出来るようになって (法律的に)、代わりに責任全てを自分で背負う齢。社会から大人とみられる齢。
けれども周りがその一歩を踏んだと思うとまた違う気持ちになる。
ともあれ20歳おめでとう。

最近はよくお腹が空くし、脳はすぐ疲れるし、眠くなるし、体はヘトヘト。
それは自分が何かして消費しているから「休みなよー」と自分が自分に言っている証拠。
何もないより幸せだと思う。
何かをしないと頭は元気だしお腹も空かない。体は元気な方がいいなと思いつつ、噛み締めて感謝していたい。

疲れたときは一杯の珈琲
疲れたときは好きなゲーム
疲れたときは猫を撫でる
疲れたときは美味しいものを食べる
疲れたときは一人でホッと空を見る

それでも結局
考えに耽って休めないのだけど
こんな時間を過ごせて
自分が今居て
明日があると思える
それに幸せを感じると
笑える気がする

自分の地元には「ネズコ」という大きな木があり、小学5年生になると森林学習で一度は訪れる。今もあるだろうか。
私のクラスは16人いたのだが、16人の小学生が幹周りを両手一杯広げて、漸く囲める。それくらい太くて大きな幹。
とても感動したが、道中の森の中も好きだった。自然って不思議だ。

辛いこと、苦しいこと、泣きたいこと、一人一人、沢山ある。誰にも見せられない自分の弱くて柔らかい部分。
それで良いんだ。少し自分に優しくて、肯定して、大丈夫と言ってあげる。努力を誰かは見ているし、それが誰かの勇気になっているし、数年後に自分に還ってくるものだもの、おつかれさまです。

壊すべき未来を許す

身近にあるものを当たり前と思うのは、 それこそ人間にとって当たり前の心情である。 しかし…

スタジオジブリ名作「もののけ姫」。
小学校の時に見てトラウマになった感覚が強かったが、大人になると作品の中核が見えて "生きる" ことに対して考えさせられた。戦争と自然と共存、各々に信念がある。闘いと生存の問いは難しい。異との共生の未来は闘うことでしか生まれないのか、だから問う。

ふと物語が書きたくなった。
話、とは人に伝える為に書くものであり、自我と他者との葛藤で新しいものが生まれるらしい。
確かにそうなのだろう。
それでも伝える為の話とはどうも苦手だ。自我との葛藤と声、その訴えと姿を文字にする。その中で見える知らない世界を描く。
価値の相違とは難しい。

自分はかなりの利他主義である。
自分以外の誰かが幸せであり、笑っているのならそれでいい、そう思ってしまう。
基本的に自分だけが得している状況を好かないので、その方が嬉しい。
けれども自分を殺し続けることは、果たして良いことであるのか、時折考える。我儘や頼ることは未だ苦手なのだ。

今日は「風の谷のナウシカ」を見てきた。大人になると、深い世界の問題が心に染みて、見方がまた変わる。

ナウシカは憧れる女性像だ。優しく、強く、美しい。

今日は久しぶりに妹と会ってくる。
側から見ると、仲の良い姉妹に見えるそうだが、実際はそうでもない。
彼女はかなりのツンデレで、塩対応がたまに傷、根は優しいはずなのだけれど。
そこで、この間柄に名前をつけるならライバルなのだと思う。お互い負けず嫌い。見えないところで高め合っている。

明日から毎日登校が始まる。ドキドキだ。

一つだけ決めた目標がある。
クラスで一人の子を作らない。

一人が好きな子なのか見極めないとだけれど、挨拶をしても返ってこなかったり、困った時に頼る人がいないのって、結構悲しい。背負い込みすぎって言われそうだけど、楽しく過ごせるのが一番。

note また書き忘れました……。
不覚です。
一からやり直します!学校卒業するまでに365日バッチ取得を目指して!

作戦練り直しますので、少しの間 note お休みさせて頂きます。新生の私を楽しみにお待ち下さい(笑)
Twitter の活動は続けますので宜しくお願い致します。

自分はまだまだだと思った。自己肯定感と同時に、やはり自己否定感も持っていなければ、簡単に有頂天になってしまう。理想としては 100 : 100 の割合で、感情を分離して、視野を広く持ち続けることが必要だと考える。主観的な心は自分が自分でしかなくなる。地道に地固めしていくしかない。

夏といえば、

海に花火にバーベキュー。
祭りや太鼓に獅子の舞。
美味しい野菜と麦茶と風鈴。
そしてスイカ。
入道雲。
フェスに旅行に大盛りあがり。

けれども今年は少しちがう。
ぜんぶぜんぶ楽しめない。
新しい夏がやってくる。
どんな形になるかな。
ちょっとワクワクしませんか?

来週が学校最後の週だ。
春の前半はオンライン。
夏の後半はオフライン。
とても良い体験だったと思う。毎日通うのが辛い子にとっては、自分を労わりながら勉学に励むことができ、息のしやすい未来へと進んだ気がする。
なんだか物足りない気もするけれど、夏休みも充実しているといいな、楽しみ。

私の大切な人が今日、20歳になった。
自分が20歳になった時も不思議な感覚だった。出来ないことが出来るようになって (法律的に)、代わりに責任全てを自分で背負う齢。社会から大人とみられる齢。
けれども周りがその一歩を踏んだと思うとまた違う気持ちになる。
ともあれ20歳おめでとう。

最近はよくお腹が空くし、脳はすぐ疲れるし、眠くなるし、体はヘトヘト。
それは自分が何かして消費しているから「休みなよー」と自分が自分に言っている証拠。
何もないより幸せだと思う。
何かをしないと頭は元気だしお腹も空かない。体は元気な方がいいなと思いつつ、噛み締めて感謝していたい。

疲れたときは一杯の珈琲
疲れたときは好きなゲーム
疲れたときは猫を撫でる
疲れたときは美味しいものを食べる
疲れたときは一人でホッと空を見る

それでも結局
考えに耽って休めないのだけど
こんな時間を過ごせて
自分が今居て
明日があると思える
それに幸せを感じると
笑える気がする

自分の地元には「ネズコ」という大きな木があり、小学5年生になると森林学習で一度は訪れる。今もあるだろうか。
私のクラスは16人いたのだが、16人の小学生が幹周りを両手一杯広げて、漸く囲める。それくらい太くて大きな幹。
とても感動したが、道中の森の中も好きだった。自然って不思議だ。

辛いこと、苦しいこと、泣きたいこと、一人一人、沢山ある。誰にも見せられない自分の弱くて柔らかい部分。
それで良いんだ。少し自分に優しくて、肯定して、大丈夫と言ってあげる。努力を誰かは見ているし、それが誰かの勇気になっているし、数年後に自分に還ってくるものだもの、おつかれさまです。

壊すべき未来を許す

身近にあるものを当たり前と思うのは、 それこそ人間にとって当たり前の心情である。 しかし…

スタジオジブリ名作「もののけ姫」。
小学校の時に見てトラウマになった感覚が強かったが、大人になると作品の中核が見えて "生きる" ことに対して考えさせられた。戦争と自然と共存、各々に信念がある。闘いと生存の問いは難しい。異との共生の未来は闘うことでしか生まれないのか、だから問う。

ふと物語が書きたくなった。
話、とは人に伝える為に書くものであり、自我と他者との葛藤で新しいものが生まれるらしい。
確かにそうなのだろう。
それでも伝える為の話とはどうも苦手だ。自我との葛藤と声、その訴えと姿を文字にする。その中で見える知らない世界を描く。
価値の相違とは難しい。

自分はかなりの利他主義である。
自分以外の誰かが幸せであり、笑っているのならそれでいい、そう思ってしまう。
基本的に自分だけが得している状況を好かないので、その方が嬉しい。
けれども自分を殺し続けることは、果たして良いことであるのか、時折考える。我儘や頼ることは未だ苦手なのだ。

今日は「風の谷のナウシカ」を見てきた。大人になると、深い世界の問題が心に染みて、見方がまた変わる。

ナウシカは憧れる女性像だ。優しく、強く、美しい。

今日は久しぶりに妹と会ってくる。
側から見ると、仲の良い姉妹に見えるそうだが、実際はそうでもない。
彼女はかなりのツンデレで、塩対応がたまに傷、根は優しいはずなのだけれど。
そこで、この間柄に名前をつけるならライバルなのだと思う。お互い負けず嫌い。見えないところで高め合っている。

明日から毎日登校が始まる。ドキドキだ。

一つだけ決めた目標がある。
クラスで一人の子を作らない。

一人が好きな子なのか見極めないとだけれど、挨拶をしても返ってこなかったり、困った時に頼る人がいないのって、結構悲しい。背負い込みすぎって言われそうだけど、楽しく過ごせるのが一番。