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バタフライエフェクト


バタフライエフェクト

"時折、短時間の記憶を喪失することがあった少年エヴァンは、医師の勧めで治療の一環として日記を書き始める。大学生になり、記憶喪失の症状が丸7年起こらなかったことに喜び、日記を読み返すと、その日記に書かれている過去の時点に戻れる能力がある事に気づく。自分のせいで幼馴染のケイリーの人生を狂わせてしまった事を知ったエヴァンは、過去に戻り運命を変える事を決意する。しかし、過去に戻り、選択肢を変えることによって変化した現在では、必ずエヴァン本人もしくは彼が救おうとした誰かが不幸になっていた。何度過去をやり直してもケイリーを幸せに出来ないと知ったエヴァンは、ある決断をする…" https://ja.wikipedia.org/wiki/バタフライ・エフェクト_(映画)

バタフライエフェクトは2004年にアメリカで公開された映画ですが、タイトルにもあるようにバタフライエフェクト (バタフライ効果)をモチーフに作成されました。科学的でなく、大衆的に知られている一般的なバタフライ効果の意味は「小さな事象が結果的に大きな事象に影響すること」です。よく知れ渡っている例としては「アマゾンで蝶々が羽ばたいたら、最終的にアメリカでハリケーンが起こる」というものです。バタフライ効果は雪だるま効果とも呼ばれています。

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バタフライ効果はことわざ、詩、物語などを形として昔から語り継がれてきました。日本文化でもバタフライ効果が垣間見れる古いことわざがありますね。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」です。

”強い風によって砂ぼこりがたつと、砂ぼこりが目に入ったために盲人がふえ、その人たちが三味線で生計を立てようとするため、三味線が多く必要になり、三味線の胴に張る猫の皮の需要も増え、そのために猫がへり、その結果、増えた鼠が桶をかじるので桶屋がもうかって喜ぶというもの” 
https://kotobank.jp/word/風が吹けば桶屋が儲かる-462844

映画、バタフライエフェクトでは主人公が過去に戻って運命を変えようと奮闘しますが、過去の小さな事柄を変えてしまうとその後の主人公の人生のみならず、他の人々の人生を大きく変えてします。バタフライエフェクトはそれらの試行錯誤を悩みながら行う男性主人公の映画です。今回は私が経験したバタフライエフェクトを紹介しようと思います。

私が経験したバタフライエフェクト

私が高校3年生のときのことです。土曜日でたまたま部活が休みだったので地元で有名な温泉施設「ゆーぷるにらさき」に行くことにしました。

ゆーぷるにらさき
http://yu-poolnirasaki.heteml.net

私の母は風呂が大好きでチャンスがあれば1時間30分から2時間ほど湯船に浸かっています。その日は外食もしようということになっていたので、家事も少なく特別長く湯船に入っていたようです。私は40分程度湯船に浸かり早々と着替えを済ませロビーで母を待っていました。その当時は私のスマホのギガ数のプランが2ギガバイトとそこまで多くなかったので、スマホのインターネットに通信制限がかかってしまい、スマホで時間を潰すこともできずにゆっくりを母を待たなければいけませんでした。何もすることなく周りをぼーっと眺めていました。ゆーぷるには広告やチラシ、韮崎市の広報などが置いてあるスペースがあります。何か目ぼしいものはないかとそのスペースの前で20秒ほど置いてあるものに目を通しましたが、当時高校生の私には地域の広告など興味が1ミリも湧きませんでした。しかし、その中に私の目に止まった1枚のチラシがありました。「中高生の拠点ミアキス: 中高生スタッフ募集中!」何か面白そうなものを見つけたと思い、母が来るまで通信制限のかかったスマホのインターネットでミアキスについて調べていました。風呂からやっと出てきた母にチラシを見せたところ「面白そうじゃん、やってみなよ。」と一言いただき、その当日にミアキスの運営スタッフの方に問い合わせをしました。2016年8月24日のことです。

後日面談をする中で「ミアキスをどんな施設にしたい?」「今の中高生は何が欲しい?」「何かミアキスを通して試してみたい夢はある?」色々な質問を聞いてくださったのを今でも覚えています。しかし一つだけ今でも鮮明に思い出される質問は「ケンジくんは何に興味があるの?」でした。一見大したことのないありきたりのこの質問が今でも心に残っているのには大きな理由があります。

私はミアキスに問い合わせをする4日前、2016年8月20日に以下のメールを認定NPO法人 難民支援協会宛に送りました。

初めまして。突然のご連絡申し訳ありません。私は山梨県の高校三年生、篠原健志と申します。私は以前からシリアでの空爆、自爆テロでの惨劇にはニュース、新聞、SNSなどのメディアを通してシリアの現状についてそれなれに把握をしていると思っていました。しかし、私は先日、Youtube, Facebook等などである動画を偶然見ました。内容はシリアのアレッポの空爆により家の瓦礫に埋められた子供の救助といったものでした。オムラン・ダクニーシュ君は5歳は救出後、救急車に乗せられ頭から血を流し、泣くこともせず、ただ何が起こっているか理解できていませんでした。彼は5歳にして父親、母親、兄弟を亡くしたとのことです。私はこの動画を見ながら泣くことを堪えることに必死でした。両親が同じ部屋にいたので泣くことは出来ませんでした。 (省略) 私はその際に、自分に何ができるのかと悩みました。募金をすることも悪くはないと思いましたが、募金は安定的な解決方法ではないのではないかと疑問を抱きました。私はまず日本に難民を受け入れるクッションを作っていきたい、と心に強く感じました。その際、思いついたのは署名を集めることで山梨の小さなコミュニティーから何かをシリアに向け発信できるのではないかと思いました。難民支援協会の方々は収容代替措置への取り組みをしているとウェブサイトで拝見いたしました。そのような取り組みは私が日本、山梨に必要としているものであります。

心の奥底から込み上げる怒りと悲しみが交わるこの感情を周りの人に表現する機会はありませんでした。「ケンジくんは何に興味があるの?」その質問を聞かれた瞬間に思いついたのはこの出来事でした。この質問をしたスタッフの皆さんは何気ない気持ちでこの質問をしたかと思いますが、振り返ってみてみれば、私にとって人生を変えた貴重な瞬間だったかもしれません。一生懸命に言葉を探す私にその場にいたスタッフの皆さんは真剣に、そして熱心に私の話を聞いてくれました。「そうか、これが僕の情熱なんだ」、そう気付きました。

高校卒業後の進路は「難民問題の問題を解決する」という無謀な目標と理由を持ってオーストラリアの大学で国際関係学部に入学し、一生懸命政治の勉強を行いました。図書館で夜遅くまで書いた論文も、友人との何時間にも及ぶディスカッションも全て私の情熱があったからこそできたのです。

5年経った今でもその当時に見たニュースを見ると泣けてきてしまいます。あのニュースを目撃したこと、難民支援協会にメールを送ったこと、そして「ケンジくんは何に興味があるの?」と質問を受けたことは「私」という人間を構成する中でとても重要な出来事でした。

もしあの場所でその質問がされていなかったら、もし問い合わせをしていなかったら、もしあのチラシを手に取っていなかったら、私の人生は大きく変わっていたかもしれません。

支援を受ける側から支援をする側へ

まだまだここには書き切れないほどの出会いとストーリーを経て、現在ミアキスで青少年を支援する側として働いています。彼らの短くて貴重な青少年期の人生を私と共に共有してくれることを当たり前とは決して思いません。質問をすれば恥ずかしながらも正直に答えてくれる彼らに多大な感謝と尊敬の念を抱いています。

人々と環境に恵まれてきた私ですが、今度はそれを社会や人々に還元をする番だと思っています。ミアキスを立ち上げた運営スタッフの皆さんが5年前にしてくれた質問を私は5年後のミアキスでも繰り返しています。なぜならその些細な質問が1人の人生を変えるかもしれないから。

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