見出し画像

格闘ゲームの歴史を(神話的)人類史に例えて語らせて下さい

小学校の頃、ストリートファイター2という格闘ゲームが世に出た。日本中のみんなが本当に熱狂した。それから猫も杓子も格ゲー制作をする時代が訪れ、まるでバベルの塔でも建てるが如くの流行となった。ゲーム筐体が駄菓子屋やホームセンターの駐車場にまで置かれるようになり、そしてバベルの塔が天罰にでも遭ったかのように崩壊した。しかしインターネットの進化と共にコミュニティは再度インフラを取り戻し、ついにはプロゲーマーという職業が成立するまでに至る。今日では、未だ定義は曖昧ながらも<ゲームをプレイする事で生活する>という人々が世界中に見られる世の中になった。俺は2021年現在の格ゲーシーンを人類史に例えると<大航海時代>それも終盤なのではないかと考えている。当時からしたら信じられない時代になっているのだが、これがどれだけ面白い事なのかについてはそれでも興味のある人しか知り得ない歴史だと思う。

簡単な自己紹介

初めまして。ケニオと言います。子供の頃からゲームとオカルトとSFが好きです。色々あって現在フランスのパリに7年程住んでいます。ゲームは一時期やめていたのですが、こちらに住むようになってから再開して、フランスのスト5のアマチュアチームの中で遊ばせてもらっていました。

今、フランスは約一年続いたロックダウン生活が終わろうとしています。自分の人生の冬のような時に、まるで暖かいかまくらのような体験をさせてくれたこちらのコミュニティの人々や、格闘ゲームというものに自分なりの感謝の意を<エモい>ぐらいに表明したいと考えいたのですが、まずは自分なりに格闘ゲームが生まれてからeスポーツと呼ばれるまでの歴史を、神話を含めた人類史に例えてその進化について書いてみようと思いました。また、特に自身の体験談を書く時は居酒屋で友達に話をするような感覚で文章を書くので、一人称は<俺>とし、主観で全てを述べますが偉そうに聞こえたらごめんね。今は占星術的に風の時代なもので……。

格闘ゲームの旧石器時代から現在の大航海時代(後期?)に至るまで

始まりを任天堂ファミコンのイーアルカンフーを旧石器時代とし、そこからそれぞれのゲームの何が新しく活気的であったのかを解説していこうと思うが、長くなることが予想されるので、初回の今回はそれぞれのゲームの時代区分についてざっと説明しようと思う。どのように分けるかは人によって色々意見があるだろうが、ここでは俺、ケニオの視点での話をさせてもらう。基本的に一対一の対戦ゲームで、現在のesportsの流れに続いていそうなものをピックアップしたつもりだ。また、プロレスなど判断が難しいものもあるが、基本的にスポーツゲームは省く。

旧石器時代(任天堂ファミコンのCPU対戦のみ)

イーアルカンフー(1984)。パンチと蹴りとジャンプのみ。エンディング無しのループゲーム。

カラテカ(1984)。パンチと蹴りを”構え”をとってからのみ出せる。人が落下する時のモーションだけいやに生々しくて気味が悪かったのを記憶している。

ケルナグール(1989)。ファミコンの2つボタンながらも当時としてはかなり個性的に技が用意されていて、カスタムして成長していける一対一の格闘RPGゲームだった。

ゲームの世界観としては、この当時はクンフーを基調にしたものが非常に多く出回っていた。また、現在と違って中国という国に対してどこか日本の兄貴的で、シルクロードの憧れのイメージを付き纏わせるような作品があちらこちらで散見された。中国が憧れだった時代(当然作られたもの)。



新石器時代

戦いの挽歌(86)、ファイナルファイト(89)を代表とするハードボイルド目のベルトスクロールアクションの時代。この、ハードボイルド目の世界観というのは後のゲームに非常に大きな影響を与えている。映画や漫画のヒーローの主流は筋肉隆々が全盛期(シュワルツェネッガー、スタローン時代)。操作キャラクターがどんどん大型でグラフィックも向上していった。また当時はノストラダムスの予言、北斗の拳などの影響でとにかくあちらこちらで世紀末と言う言葉が飛び交った。この頃のゲームセンターはまだまだ不良の溜まり場のイメージが強く、世の中もツッパリブームであった。ストリートファイターも実はこの雰囲気の流れの中で登場したものだと言える。世の中の重要な出来事としては、85年にプラザ合意。ここから日本はバブルに突入していく。


新人時代

元祖ストリートファイター(87)(基本的に同性能のキャラ同士ではあるが、対人戦も一応出来るゲーム)レバーコマンドとボタンの組み合わせによる必殺技の導入。筐体が2種類あり、そのうちのアップライト筐体というボタンを叩く強度で出す技の強度を区別させると言う非常に特殊なものであった。コマンドの受付が現在と比べて格段に厳しく、その代わり出ればまさに一撃必殺の性能であった。その為、技を出すこと自体がプレイの目的や喜びになっていた。また、技を出すとキャラが<喋る>らしいという都市伝説のような話をこの当時子供ながら耳にし、始めてそれを目にしたときは自分の中で気のせいとして処理したことを憶えている。驚くべきは発売日がファミコンのケルナグールよりも2年も早いということ。

ムー・アトランティス・縄文時代

ストリートファイター2(91)、元祖餓狼伝説(91)
誰がなんと言おうと始まりはここである。これまでのゲーム史上最大のプレイアブルキャラクター数(8人)。しかもそれぞれが個性に溢れており、コマンド技によってアクションにおける目的意志の形成がなされた。さらには現代においてもやり込みに耐えうるほどの高度なゲーム性、間違い無く格闘ゲームの基礎はここで出来た。ここがいわゆる第一文明人、先駆者、かつて来たりし者達の時代にあたる。最初期にして最盛期の始まりである。とうとうゲームが本格的に喋り始めた。ストーリーや世界観はやはりどれもハードボイルド路線。また、当時は海外旅行はまだ遠い存在で、真面目な話なのだが、スト2のステージや音楽は自分にとって外国の個別の雰囲気を教えてくれるツールにもなった。この、ケバケバしくてどこか間違った各国のイメージは意図的に作られたもので(その証拠にE本田など明らかに日本人が作ったとは思えない相撲取りがいる)、当時ストリートファイターの開発チームの中に、映画<世界残酷物語>シリーズのファンがいたのではないかと俺は推察している。とにかく海外マーケットを見込んでデザインされているのがみて取れる。世の中の出来事としてはロサンゼルス暴動(92)などがあり、「ファイナルファイトやストリートファイターはアメリカではリアルなのかな」と思わされた。日本は昭和が1989年1月で終わり、平成に突入してバブルもはじける。


シュメール、メソポタミア、古代バビロニア文明

スト2X(93)、餓狼伝説スペシャル(93)、キングオブファイターズ(94)
さらに複雑なコマンド+逆転要素→ゲームにおける技術介入度の可視化。
それぞれが新らしい要素を持ち寄ってマッシュアップして進化していった時代。ホームセンターや駄菓子屋にまで筐体が置かれ始め、100円を持って外を散歩すればすぐにアーケードゲームが出来る場所に出会える時代。システム面でのオリジナリティが各ゲームに見られるようになってくる。また、SNKは家で最新のアーケードゲームが出来るハードとしてネオジオをリリース。新作の格ゲーも次々と出されることになっていく。特にこの年からキングオブファイターズシリーズ(以下KOF)が毎年リリースされるようになり、本来餓狼伝説や龍虎の拳シリーズのスピンオフ的な作品だったものが個別のストーリーを形成していく。

エジプトピラミッド時代

バーチャファイター(93)、鉄拳(94)、マーブルvsシリーズ
3D格ゲーの出現。バーチャファーター2(94)に至ってはテレビ放送される事があり、有名プレーヤーの名前が知られるようになった。
また、この頃は家庭用ゲームがカートリッジからディスクへと変化した時代で、それにより家庭用ゲームとアーケードのパッと見のクオリティの違いがなくなっていく。猫も杓子も格闘ゲームをこぞって作る時代となった。家庭用はセガサターンと元祖プレステが登場し、バーチャと鉄拳はぞれぞれのハードで棲み分けをする。世の中ではエアーマックス(95)やヴィンテージ古着などが若者の間で流行。

ノアの洪水、暗黒時代、カタストロフ

スト3(97)、鉄拳3(97)以降、

ブロッキングという基本となるゲームシステムがあまりにも玄人向けで、新規プレイヤーを極端に狭めたストリートファイター3に対して、鉄拳3は大ヒットし、その後に出たタッグトーナメントと共に新たな層をゲームセンターに呼び込んでいく。が、セガサターンやプレイステーションでは相変わらず様々な格闘ゲームの移植版(この頃には完全移植と呼べるものが6000円程で手に入るようになっていく)、新作を含めて発売され続ける。しかし、家庭用の性能がアーケードに追いついた事によりゲームセンターからはエンジョイ勢が減っていく。また、お洒落が若者に定着して最盛期を迎えたことにより、ゲーマーやオタクを蔑む風潮も一部生まれ始める。全身プリクラが現れてゲームセンターの雰囲気も変わり、以前のような殺伐とした空気は一掃された。この20年間、世の中を震撼させ続けたノストラダムスの予言はその期限が近くに連れてネタ切れの感が出てきた。ゲームのストーリーや世界観に関してはあまりこだわりのないお祭り的な作品が増えていく。

古代ギリシャ、哲学者・オデッセイの時代

カプエス2(01)、バーチャファイター4(01)ストリートファイターIII 3rd STRIKE(99)
都市国家的ゲーセン時代。時代的には格闘ゲームは下火であったが、現在のe-sportsの骨組みを形成したのはある意味でこの時代だと見ている。ブームに流されない古代ギリシャの哲学者達のようなプレイヤーらが、セオリーを定着させたのはこの時代ではなかろうか。ゲームセンター内には以前のような殺伐とした空気は失われ、攻略の進化により集中しやすい環境が作られていったのもこの頃であり、同時にインターネットもこの時には既にあった。当時はネット掲示板の黎明期にあたり、細々とではあったが以前では行われなかった地方のプレイヤーも含めた<匿名>の情報交換が可能となる。これによって、専門用語や攻略法の文字による共有、これが共同体としての輪郭を形成していく。さらに述べると、現在の日本におけるe-sportsシーンを牽引しているトッププレイヤーらは、まさにこの時代の哲学者達本人なのである。ゲームセンター内の暴力は前時代と比べて激減し、より攻略の研磨に集中しやすい環境が整っていく。この頃になるともう既に格闘ゲームの中の<ストーリー>に興味を持つ人間は非常に稀であり、メーカーからもその部分についてのこだわりは弱くなっていく。

キリスト誕生ー中世

ストリートファイター4(08)、鉄拳6(07)
プロゲーマー誕生。アーケードが下火になっていく一方で、インターネット配信の隆盛、またネット対戦も大いに盛り上がり始める。この10年程、主に地方で失われ始めていた対戦のインフラが形を変えて再び戻ってくる。ゲームを真剣にやるという事に夢と希望が生まれる。また、ストリートファイターシリーズが10年間不在であった暗黒時代にあっても、鉄拳シリーズはコンスタントに新作をリリースをし続けていた。海外ではこの時既にアーケードシーンは絶滅しており、これが海外の鉄拳プレイヤーの層を初めから厚くさせる要因となっている。時代はインターネット、パソコンの普及、海外旅行も身近なものになった事により、ゲームから感じるエキゾチズムなどというものは失われる。ただ、鉄拳シリーズは独特のSF的な世界観や最新の流行りのクラブミュージック風のBGMを取り込むなどして常に独自の世界を維持する工夫を凝らしている。

大航海時代

ストリートファイター5(16)、鉄拳7(15)
ついに主戦場がアーケードから家庭用、オフラインからオンライン(2021年夏現在)へと移行する。世界中のプレイヤー達の発掘。SNSのさらなる進化により地域的な知識差がほぼ無くなる。世界中で毎月のように高額賞金の大会が開かれ、スポンサードされたプロプレイヤー達が年間20回を超える頻度で海外大会に出向くようになる。配信インフラ、機器などもさらに身近なものとなり、一般プレイヤーの平均レベルも過去最高潮のものとなるも2020年、ウィルスの世界的パンデミックによって一旦プロシーンは停滞。これから新たな時代が来る可能性がある。ストーリーの魅力という面では、格闘ゲームのプレイヤー側でそれを求める層が少数派になる。100円を握りしめてとりあえず新作のラスボスを拝みに行くという時代は気付くととうの昔に消えていたのだ……。

産業革命時代(?)

様々な理由からまたシーンのあり方が変わっていく事が予測される。5Gの導入によって世界中でネット対戦がラグなしで出来るようになると言われている。地域間のレベル格差がさらに少なくなって産業革命のような時代の到来か?

次回から数回に分けてそれぞれの時代毎の特徴をもう少し詳しく掘り下げていこうと思う。

#自己紹介をゲームで語る


この記事が参加している募集

自己紹介をゲームで語る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?