90年代柔道部レポート

筆者自己紹介と前書き

はじめまして、ケニオと言います。自信の様々な体験をもとにエッセイのようなものを書いています。ここでは学生時代の柔道部での体験を書いてみたいと思います。初めに、一応柔道部について語るので自身の柔道の経歴を簡単に。

プロレス(とゲームとオカルト)好き男3兄弟の末っ子で小学校4年の頃に学校の柔道クラブ的なものに入部。道場に通っている子にいきなり勝ったので「中学に入ったら柔道部かなー」と何となく思い始める。
→地元の中学が柔道の盛んな所で、兄が県大会覇者だった事もあり、誘われて何となく入部。止めようと思った事もあったが続けて、部長を務める。最終成績は個人戦の軽量級で県4位。次の近隣県代表の大会前に怪我で引退。もうやりたくないと思った。
→今考えると非常に不純な動機が原因で、高校も何となくまた3年みっちりやる事になってしまう。やはり辞めたかったが一応やり抜き、副部長を務めて最終成績は県大会で軽量級個人戦2位。
→以降20代は数年に一回のペースで柔道着をきた程度。最後は20代の後半、一度だけ旅先のメキシコの大学でしたのが最後。現在は色々あってフランス在住(柔道とは完全に無縁)。

本当に、動機はいつも<何となく>であったのにも関わらず、何であんなにツライ学生生活に耐えていたのか今は不思議に思う。
自分も柔道時代の仲間もアラフォーになって当時の事、そこで出会った人達の話をする事が未だにある。懐かしいからだとかそう言ったノスタルジーというより、今考えても理解できないような事柄が多かったから。自分としてはいくつかの<異文化>の中に身を投じてきたし、色々な個性的な人と接してきた実感も多少ある。仲間達も人生経験をそれぞれに積んだ。にも関わらず、今考えてみても学生時代の柔道を通して出会った人間には<圧倒的な狂人>が多かったなぁと思うのだ。当然、そこには<時代性や風潮>の違いもあるので、必ずしも現在の価値観に当て嵌めて単純な断罪を出来るものではない。ただとてもエクストリームな人間がゴロゴロいたのは事実だし、全員が狂人だとは言わないが、たまに本当に神話のモンスターのような人間がいて多いに笑わせてもらった。また、いくつかの学校の伝統には外から見て非常に奇妙に移る風習も存在していた。ここではポジティブな点とネガティブな点の両方について自分なりの考察もたまに混ぜつつ、なるべく楽しい読み物になるように心がけていきたい。一部、当時の先生方の<生徒の怪我へのオカルトな対応>等については、そのせいで後遺症を抱えている人も現実にいるので多少の物言いをつけさせてもらうつもりではいる。具体的には整骨院原理主義のような指導者が一部おり、成長期の子供に対して怪我の後遺症のリスクを広げるような判断をしていた(自分も一応それをくらった一人だ)。詳しくはおいおい説明していくが、まずこれについては一言

「怪我したらとりあえず接骨院じゃなくて、レントゲンとらせに行け!」

と厳しく言いたい。あと人が医者に下された診断をからかうような風潮もやめた方がいい(流石に今はないと思うが……)。

自分はここ数年、色々あって世界2位の柔道競技人口(50万人)を抱える国でもあるフランスに住んでいる。1位はブラジルの200万人で日本は16万人程らしい。全体の人口比や成績を考えてもフランスは世界トップと言ってもいいレベルだ。こちらに住んでから柔道に触れることなどはもうない。ただ、根性論的なものをあまりよしとしないであろうこの国が、日本の3倍以上の競技者人口をどのように生み出しているのかは一考の余地があると思う。対して日本は減り続ける一方、そして実際それには身に覚えがある。悲しいことではあるが。それなりに成績を残して色々見てきた人間程「状況が改善されていないのであれば」自分の子供には奨められない要素が多いと感じているという。

90年代半ばという時代の強さ信仰

オウム真理教の地下鉄サリン事件以降、日本は本格的にバブル崩壊後の不景気の実感を伴った<暗い雰囲気>が立ち込めはじめる。不良の種類にしてもツッパリ的なものは下火になり、それぞれに好きな格好をしたチーマーのようなモブ的な形が主流になりはじめていた。ファッション雑誌が多様化し、学生の服装にも変化が出始めた頃だ。以前の不良のボンタンや短ランのような<改造制服>は時代遅れとなり、その代わりに各々が好きな服装で個性を発揮するようになっていた。一人の圧倒的なボスを中心にした縦社会のようなノリが不良から薄れて行き、どちらかというと何となくの集まりのモブ的なものが増えてくる。また、当時はグレイシー柔術を中心に「ほぼなんでもアリの喧嘩のような格闘技」として盛り上がった総合格闘技の黎明期にあたる。これにより「結局スポーツマンが本気になったらヤンキーなど目じゃない」という見方が広まって、タイマンを好みそうなツッパリヤンキーが非常に肩身を狭そうにしていた(これは、我々のA県(仮名、中部のあたり)の地元においてだ)。それまでヤンキーが担っていた<強さや根性>の象徴は<スポーツマン>達に移っていき、その前の時代であればツッパリヤンキーになっていたであろう層の中から格闘技を習い始めるものが増えていったため、ツッパリの数もとても少なくなっていた。チーマーは「スポーツマンでも暴走族でもなんでも武器使って人数でボコしゃ勝ちっショ」のノリだったので(自分個人の強さには執着がない)、両者からも<常識の通じない不良>としての立場を確保する。また、週末に<ヤンキー狩り>と称して素人の不良相手におもむろに格闘技を路上でひけらかすようなタチの悪い<半グレ格闘家>も出てくる。スポーツの世界の中に(これは今も多少いると思うけど)、時には<や○ざのような半グレ師範>も沢山いた。



ガチアスリートの義務的自問自答

「あの時のあの労力、本当に見合っていたのだろうか?一体どんな意味があったのだろう。もっと他の事に時間を費やした方が良かったのではなかろうか……」

運動部漬けの学生時代を過ごした人が一度は自分の人生で問いかけた質問だと思う。自分の身の回りには学生時代、柔道に身を捧げた事に<ネガティブ>な意味しか見出せてない人間しかいない。特にこれが実力者である程その思いが強い事が多いのが何とも物悲しかった。令和に変わり、時代があの頃と確実に変わっている。今は恐らく、運動部でも当時のようなブラックな部分は大分なくなっていると思うがそれでも時には色々な問題話が出てくる。オリンピックというブランド自体も失墜していると言ってもいい。今やスポーツよりe-sports(ゲーム)の方が注目を集め始めているし、そっちの道の方がよっぽど即日的に自活出来る選択肢(ストリーマーなど)も多い時代だ。対して、本気で体を酷使するスポーツの最高峰は未だにオリンピック選手、批判を恐れずに言うのなら企業の広告塔を数年という事になる(あるいはのちに指導者)。後遺症が残る程に身体を酷使し、爽やかで品行方正な振る舞いを大衆から求められ、風潮に合わない発言をすれば炎上、結果が出なければお払い箱で一体誰のためにやっているんだかわからない。炎上するのは当然それはそういう人格の部分があるからなのだが、これはある意味で結果至上主義の弊害とも見て取れる。メリットが見えづらくなればやる人は減る。正直、「それは減るよな」と思うところはすぐに目に付くが、アラフォーになって自分なりのポジティブな要素もいくつか見出せるようになった。とりあえず3つ思いつくところであげてみよう。

柔道で得たもの

1、受身

これは一番分かりやすくて最もポジティブな点と言ってもいい。受け身のおかげで恐らく何度も身を助けられている実感があり、これは恐らく一生忘れない護身術だと思う。実際、車が一回転して廃車になるような事故に巻き込まれても完全な無傷だった事があるのだが、受け身を知らず、恐怖からへんに体を強張らせたりしていたら、結構な怪我をしていたなぁと思った。後々考えてみても実はあれは結果から見る程安心な出来事ではなかったように思うし、こう言うことが人生に沢山あった。なので、ここにおいては純粋に「柔道を少しはやっても損はない」と皆に奨められる点だ。

2、モノによっては徴兵訓練ぐらい過酷な体験ともいえる

日本の運動部体験は場合によっては徴兵レベルの体験とも言えるのではないか」と言う新仮説が最近、日仏ハーフの友人との間で出てきた。これは徴兵が良いとかではなく、年齢を考えてもそのぐらい辛い共同生活の経験を乗り越えた事に値するのではないかと言う意味である。
日仏ハーフの友人は、中学の頃日本の学校へ短期間の体験入学をしたそうだ。アニメの中で描写される部活ライフへの憧れもあり、ワクワクした気持ちでテニス部に入部した。初日の練習は容赦ない<外周5周>で始まり、ウォーミングアップが終わる頃には全ての憧れのイメージは粉々に吹っ飛んでいた。その想像を絶するつらさ、不可解さから友人は1日で退部したらしい。率直な感想として「何の為にこんなにマジになってんの!?楽しくやれないの?!何でそんなにマジになれるのかが理解できない。」と感じたと言う。フランス人らしいと言えばフランス人らしいで片付けられるのだが、この最後の「何でそんなにマジになれるのか」と言う部分には考えさせられるものがあった。
まず、フランスには部活のような制度は学校にないので専門的にスポーツを習いたいという事になると学校外の活動になる。体育の授業にしても日本と比較してソフトだし、そんなにつらい思いをするような運動は学校の活動にない。なので活躍したところで<学校の誇りにはならない>という事だった。学校の代表という形で中高6年もあれ程激しい事に耐えさせ、尚且つ教員の待遇もほぼ無給のブラックという日本の環境に軍国主義っぽい匂いすら感じてしまう。「なるほどなぁ。ヨーロッパ育ちだとそれ以外にも軍国主義っぽくてギョッとする風潮なんて数え切れないほどあるな……。」と、改めて思った。ちなみに体育座りというのは、海外では奴隷や囚人にさせる姿勢である(戦後に何故かこれが日本の教育現場で取り入れられた)。でも、実際日本人の我慢強さが世界で有名なのはそういうところにもあるのだろうなとも思う。この我慢強さが良いか悪いかは見方で一長一短かもしれない。

3、奇人と奇習に沢山出会えた

漫画のような人間が当時沢山おり、彼らがその後、どのような大人になっていったのかの報告を受ける度「これはもしかして、後世に残すべき文献なのではないか」という思いが強まった結果、今こうして新しい趣味が出来た。先程述べたように、国によっては理解不能と映るぐらい日本のマジの部活は”つらい”。環境がエクストリームなので、面白い小話がゴロゴロあるのにあまり世には出てこない。学校の運動部というのは閉鎖的な世界ではあるので、その事にすら時として自覚的になれないのだ。

2、は半分ネガティブな事のようになってしまったが、ここで見られる「何の為に」と言う問いは今になって考えると凄く面白い。ただちょっとシリアスな部分なのでこれは後にとっておいて、まずは3の自分が柔道部で出会った奇人、奇習について紹介したい。初回はその初級編として、俺が中学校に入部したての時の話だ。人物名や学校名は全て仮名、舞台は中部あたりのとあるA県とします。

#部活の思い出

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?