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06. Awaken eyes

次の日は休校でぼくは一日中ほとんど眠ることもできずぼっーとベッドの上で魔術科棟の中庭で見た光景を思い出して、西野ひかりが作り出した──まるでその完全な形を求め合うような彼らの肢体──って言葉を何度も上の空のまま呟いてほとんど何もする気力が起きなかった。眠りと覚醒の間を行ったり来たりしながら、ここが夢なのかそれとも現実なのかわからない場所でまたぼくはこの世界からいなくなってしまった彼らと再会する。

『「例えば、ぼくがこの本棚から取り出した小さな物語を君に預けたとする。時間が経つとその誰にも読まれることのなかった物語は君にたくさんの言い訳を話し始める」

時田は中央図書館二階の海外文学の本棚から適当に見繕った本を手渡そうとする。

「けれど、私がいつのまにかあなたの物語を奪い去る為にやってきて静かで暗い地下室の中へ閉じ込めようとする」

宝生院は時田が手渡そうとした本を適当に開くとどこかでみたことがある物語の一節をぼくに届けようとする。

「そういう風にして、私たちは何度もあなたと出会い、私とあなたの違いを伝えようとする」

二人は声を合わせて今ぼくが夢をみているのだということを教えようとする。

「美沙とあなたの物語はきっと交わることがないのかもしれない、短くて小さな時間を大切にしてあげてね。あなたがこのCRASSに来るのはまだ早いと思うわ」』

ピンポーン。

玄関から聞こえる呼び鈴の音でぼくは短い考察の時間から目が覚めて、確実にぼくが住んでいる世界とは違う向こう側に存在するはずの世界の存在を認識する。

現実にまだ馴染むことの出来ない視力が自分の部屋のベッドから眺めている景色だということを確認するまでには少し時間がかかり、ピンポーンと何度も来訪者がぼくを呼んでいるのに気付いてようやく重たい身体を起こして父も母もお姉ちゃんも外出中で誰もいない家の玄関に降りていく、セールスマンか誰かであろうか。

ガチャリ。

木製の玄関の扉を開けてみると、そこに建っていたのは、2-C、学級委員長であり、生徒会副会長、成績優秀にして超絶優等生、そしてぼくとは小学校以来の学友である三島沙耶が珍しい私服姿で立っていた。

「おはよう、和人くん。電話を掛けても出ないので直接訪問させて貰いました。これが今朝学校側から送られてきたFAXのコピーです」

灰色の薄手のスプリングニットカーディガンに青いTシャツとブルージーンズというさっぱりとした出で立ちの三島がプリント用紙を持って立っている。

受け取ったプリントには、


『休校のお知らせ この度は度重なる不慮の事故による影響を考慮しまして本日6/24を休校とさせていただきます。職員一同協議した結果、生徒の精神状態への影響を考え長期休校も提案されましたが、テスト前ということもあり学業を優先させるために本日のみの休校とさせていただきました。保護者各位にはご理解のほどをよろしくお願いいたします。

七星学園 職員一同』


と丁寧なゴシック体でプリントされた文章が書かれている。

「委員長。FAXなら送ってくれれば良かったのに」

受け取ったプリントをよく読みながらなんだか小学生の時にもこんなことがあったなってずいぶん昔の記憶を掘り返して思い出す。

「うん。けど、佐々木君は昨日現場の様子をみてしまったみたいだし、心配だなと思って。家も近くだから」

白河君もみたのだろうと思ったけれど、三島の考えていることは小さな時からよくわからない。

なんだか寝起きのスウェットで酷い姿だと思いつつも公園まで散歩でもしてみるかと三島を誘ってみる。

「そうか。ちょっと鴨橋公園まで散歩に行こうかなと思っているけど、よかったら三島も一緒にどうだろう」

「あーやっぱりだいぶ応えているみたいだね。いいよ、ちょっとだけ付き合おう」

気まぐれのような優しさなのかぼろぼろのぼくをみて同情したくなってしまったのか三島は快く承諾してくれる。

妙に空が青くて嫌気がさすぐらいにいい天気だ。

クラスの中でもそれなりのレベルの可愛い顔の三島が隣で歩いているという奇跡的な状況だというのにまったく気分は晴れない。

昨日の時田と宝生院の姿が目に焼き付いて離れず脳内で何度も再生されてしまう。

「はぁぁ…」

ぼくは大きく溜息をついて少しだけ日常に帰ろうとする。

「やっぱり心配してきてみてよかったかな。なんだかクマもひどいし佐々木君じゃないみたいな顔をしているね」

ここ数日のおよそ一般的な高校生が送るべき毎日とはかけ離れた出来事の連続に、もはや時空を超越した絶対無敵のキモオタデブではなくなってしまったのだろうか、心が不安定なまましどろもどろであることを見透かされている。

では今のぼくはなんて形容すべき生物なのだろう。

「三島は今回起きた事件で何か感じたり考えたりはしなかったの?ぼくは正直言って『どうとくのじかん』なんて意味があるのかなって疑っているよ」

疲れた顔でどうにもならないといった表情で助けを求めてしまうような声色で刺々しい感情を吐き出すと、三島は急に立ち止まってぼくの眼をじっと見つめる。

「弱気か。けれど、和人君。君がどんなに涙を流したところで彼女たちが私たちの目の前から消え去ることが止められたとは思えないな」

きっと求めていた言葉とは違う、欲しかったはずの対応とは違う三島の態度にぼくはちょっと苛立ちを感じたんだろう、語気を強めてぼくも立ち止まる。

「時田学の血の色がぼくと同じであったことを懺悔しているだけだよ。慰めや救いが欲しいとは思っていな。」

ふぅぅと溜息をついて歩き出す三島の後ろをついていくような形でぼくも脚を動かす。

「私はあんなことがあった後でもどうにか自分を取り戻そうとして、来週のテストを気にしてしまうとても普通の女の子だなって今思ってしまったよ。公園はこの道を右だよね」

冷静さをなんとか取り戻そうと脚を早めて三島の前に出て十字路を右に曲がる。すれ違う家族連れの子供の笑顔が妙に癇に障ってしまう。

とにかく鴨橋公園はこの道を二百メートルほど先に行った左側だ。

三島のことをまっすぐ見ることが出来ないからなのかそれとも自分の見てきた事実を伝えたいからなのか頭の中がいっぱいで三島に追いつこうとして隣に並ぶ余裕すらない。

妙に鬱陶しい三島の口調に頭の中がイライラでいっぱいになる。

お互い無言のまま歩きながらそういえばこの辺りには古い伝説があって昔とても偉いお坊さんが怒れる龍を鎮める為に沢山の犠牲を払った末、地中深くに暴れ回った龍を封じ込めたというのを近くの大きなお寺の住職さんから世間話がてらに聞いたことがある。

そのせいなのかこの辺りでは魔術回路を持った人間が産まれにくく、例えば巡音家のような名家は続かず、たまに産まれたとしても短命で終わるか精神性の病を患いまともな生活を送れずに管理施設に送られるものがほとんどだという。

龍と呼ばれるある種の神話的事実を現在の科学的事象に置き換えた場合、地軸の歪みや磁気の乱れとして地質学者や考古学者は結論を出すかもしれないけれど、人間の精神そのものに影響を出すほどの事象を仮に龍と呼称していたのであれば、大昔にその現象を封じ込めたのもやはり強力な魔術回路を持った人間の身技かもしれない。

いわゆる一般に病理と呼ばれる欠陥が人類の中に現れてしまうのはいわば細胞が自らの複製に失敗することで自分とは違う形の自分を産み出し、進化の可能性を模索する為なのだとしたらきっと魔術回路も高機能情報統合回路である脳髄によってもたらさえるf/1ゆらぎが作り出した新しい形のぼくたちの姿なんだろう。

けれど、何故、瀧川と米澤は体内で生成された病理を受け入れることが出来ず、時田と宝生院は産まれたはずの欠陥を全て打ち消すようなことをしたんだろう。

彼らは確かにどこかに存在している彼らの意志を剥奪してしまうような操り糸に類寄せられた『まるで完璧を求めるような肢体』であったけれど、それでも、確かに最後はその結果を自分たち自身で選んでいる。

どんなに頭の中を掻き回してみても答えは出ず、どこにでもある街路樹に囲まれた小さな鴨橋公園に着いてしまう。後ろを振り向くとぴったりと三島は何も言わずついてきていて、入り口付近の自動販売機で缶コーヒーを二つ買って真ん中に池のある公園の中心までさらに歩いて近くのベンチに二人で腰掛ける。

「三島はもし何もかも失われた、何もかも奪われたと思うことがあったら、どうするかな。瀧川のように空を眺めて絶望したまま凍りつくかな。米澤のように隣で眠ってしまった右手から手を離さず眼を開いたまま夢を捨てるかな」

三島はぼくの馬鹿げた質問にしっかりと耳を傾けてぼくのほうをじっと見つめて出来るだけ親身になって答えを返そうとする。

「目的を達成しないこと以上の悪行は存在しないんだ、だっけか。私は自分が思い描いた正義の形? うーんと、正確に伝えることは難しいけれど、そう、なんていうのかな、天使! そういう理想的な形に近づくことが出来ないからって、眼を閉じたりはしないと思う」

天使とはまた素っ頓狂な答えを返す三島。

けど、彼女なりにどうやら本気で答えているようだ。

理想的な答えをぼくに与えて少しだけ心を癒そうとしてくれる。

「ではどうにもならない現実がどこにもいけないのだと伝えてきたのならば、一番大切なものを壊して逃げ出すことを選ぶかな、例えば時田と宝生院のように」

今度はしっかり前を見て池の向こうの公園の入り口のほうに目を向けて、プシュッと缶コーヒーのふたを開けると一口だけ口をつけて三島沙耶ははっきりとした口調で答える。

「けれど、私はやっぱりこの日常の中でちゃんと息をしてる。明日も明後日もやっぱりどうにもならなくてきっとどこにもいけないんだってそう思う。だから、ちゃんと明明後日も朝を迎えておはようと鏡の前でいうと思う」

それでいいのだろうかと、独り言ともそれとも死んだ四人の生徒に伝えているか区別のつきにくい言葉がつい唇から漏れる。

その瞬間に、柔らかくて感じたことのない感触が甘くて苦いコーヒーの味と供に、突然ぼくに訪れる。

「ごめんね、これから芹沢さんの家にもプリント届けに行かなくちゃ。白河君はお母様が電話にでて、昨日から一睡もせず食事も取っていないって言っていたよ。心配なら夜にでも連絡してみたらどう? うん、なんていうか、私は何の役にも立たない世迷言を抱えたままで前に進もうと思わないと思う。佐々木君もそうでありますように、って私からの小さなおまじない。誰にも話しちゃダメだよ」

三島は右手の人差し指を立てて唇に当ててぼくと秘密の約束を交わすと紺色のトートバッグを肩から下げて少しだけはにかんだ後に手を振ってそのまま来た道を戻り公園の外に出る。

ぼくはたった一人で木製の古いベンチに取り残されて、池の真ん中にあるミドリガメが日向ぼっこをしていて、赤と白の鱗の鯉がパクパクと何かを求めて、水面から顔をひょっこり出している。

頭の中がぐるぐると回っている。

今のハなんだ、今のハなんだ、今のハなんだ。三島はその柔らかい唇を、このぼくに、このぼくの唇に触れて、そう、キスをした。

何故?三島はぼくが好き? 馬鹿な! なにかの気まぐれか偶然の事故。

そもそも触れたという証拠が何一つない。

今唇に残っているのは甘くて本当に甘くて苦くてどこにでも売っている缶コーヒーの味だ。

そう、試しにプシュッとぼくの分の缶コーヒーをぐいっと飲み干す、確かにこの味だ、さっきの柔らかい今まで感じたことのないあの感触はたしかにこの味だ。

ダメだ。

頭が痺れて脳が麻痺してどうにもならない、ぼくは今一体何をしにここにきているんだ、脚は自分の意志とは無関係に立ち上がり、前に進み、ザクザクザクと砂利道や芝生やアスファルトを確かに踏んでいる、なぜだ? ぼくはなぜこんな目にあっている。

なぜぼくが瀧川と米澤の死因を探している、彼女たちは自殺だ、田辺茂一先生はいったいぼくに何をさせようとしている。

なぜ三島はぼくにさっきだれもいない公園のベンチでぼくにキスをしたんだ。

わからない、わからない、わからない、ほんとうにわからないことだらけだ。時田も時田と向かいあっていた魔術科の血だらけになって生きている形を捨てたあの女もなぜだ、なぜ、あんなふうにあんなところで命を絶ったんだ、あいつらはいったいどこに行こうとしていたんだ、わからない、わからない、わからない、ほんとうに、ほんとうになにもかもわからないことだらけだ。

そうやって気付いた時には家の玄関の前にいた。

玄関の扉に鍵をかかっていないことがわかり少しだけ逡巡してドアノブに手をかけて中に入る、どうやら母が買い物から帰宅していて台所で昼食の支度をしている。

そのまま二階にあがり自分の部屋へ無言で戻り、ベッドの上に俯せで倒れこむ。

すると、まるで誰かが覗いていたかのように机の上のパソコンからメールの着信音が鳴る。

とにもかくにも三島とファーストキスを交わしたのだ、一念発起して何か動き出さなければいけない、けれどこのやり場のない熱い感情はいったいどこにぶつければいいのか分からずベッドから身体を動かすことも出来ずにいると、突然デスクトップパソコンのスピーカーからざらついた声が聞こえてきてぼくにまるで目を覚ませというように促してくる。

「何をしているんだ、佐々木三等兵! すまないが、このPCをハッキングさせてもらった。単なるリモートコントロールだ、悪意はない。IPは君の都合で書き換えるといい。ともかく、瀧川と米澤の一件と、時田と宝生院の件には関連がある。澪軍曹は今すぐ君とコンタクトを取りたいのだ。応答したまえ!」

横尾先輩からの突然の来襲と予想を遥かに上回る四人の関連性の事実。

まるでパズルのピースが揃い始めた気がしてなんとか重い身体を引き摺り起こしてパソコンの前に向かう。

「すまないが、ここからは長くなる。チャットでの連絡に切り替えたい。『aemeth』プログラムを開き、紫色のカバをクリックした後、アルファベッドで、shiroashinezumiと入力したまえ。特別なチャットルームにご招待する」

まったく何を言い出すのか予測のつけられない横尾先輩の命令に戸惑ってしまい、弱気な心のまま言われる通りにコマンドを入力すると、『aemeth』のアルファベッドが一文字ずつ分裂し、背景が黒からゆっくりとピンク色へと切り替わる。

【mio@お疲れ様、佐々木和人三等兵。昨日はどうやら時田学と宝生院真那の儀式の発動を目撃してしまったようだね、どうやら首謀者たちに翻弄され思わぬ事態に巻き込まれているのは私だけではないようだね。どうだい。応答したまえ】

【和人@儀式?関連?正直言うと現在の状況がまったく把握できていないのです、澪軍曹】

【mio@今週起きた二つの事件は魔術科の『暗がり』と呼ばれるグループの仕業とみて間違いがない。彼らはこの学園を閉鎖に追い込もうとしているのではないだろうか、まったくもって不愉快、まったくもって不届き!】

【和人@彼らは自殺ではないのですか?】

【mio@魔術科には禁忌とされる呪法という術式があるのだよ】

【和人@時田の一件を見れば何となく想像はつきます】

【mio@時田くんの件はこちらの落ち度だ、すまない】

【和人@というと?】

【mio@23、31、17、37、これを見て何か気付くことはあるかい?】

【和人@すべて素数ですね】

【mio@その通りだ、これは彼らの出席番号だよ】

【和人@けれど、古田弓美はまだ生きています】

【mio@そうだ、この私がミスを犯したのだ。彼らの呪法には自殺する二人の関係性も重要なのだろう。宝生院真那は時田の幼馴染であり、恋人同士だった、私としたことがこんなことを見逃してしまった】

【和人@彼らが血だらけで抱きしめ合う姿が目に焼き付いて離れません。意味、ですか。また魔術科は非科学的なことを】

【mio@あはは。佐々木くんの言う通りだな。佐々木くんは恋をしたことがないのかい。】

【和人@わかりません。でもファーストキスはコーヒーの味がしました】

【mio@佐々木くんも意外と風上にもおけないところがあるんだな】

【和人@澪先輩には手脚がいっぱいありそうです】

【mio@まったくそのとおりだ、佐々木君。ところで今回は君のことに関しても色々と調べさせてもらった。いくつか不可解なところもある、聴きたくないこともあるだろう、覚悟はできているかい?】

キーボードを打つ手がぴたっと止まる。

覚悟? なんだか今、目の前に踏み出さなければいけないドアのようなものが現れたような気がする。

【和人@わかりました、ぼくはもう日常を捨てる覚悟は出来ています】

【mio@よろしい。良い覚悟だ。君は一週間前の火曜日、職員棟の一階保健室にて、田辺茂一なる職員と思しき人間と、出会っているね?】

【和人@あぁ。はい。手を怪我したので保健室に行き、田辺先生の治療を受けました、それがなにか?】

【mio@やはりか。その田辺茂一という人間はこの学園の保健医などではない、そもそも彼は職員ですらない。意味はわかるかな】

【和人@いや、よくわからないです。田辺先生ならばその後も何回かあっています】

【mio@彼、田辺茂一は内閣府とは別の国家が運営する機関である執務室直属の開発機関、『キノクニヤ』のメンバーであり、室長だ。俗にこの組織は改造医療実験体開発室と呼ばれている】

【和人@はい、『キノクニヤ』のことは知っています】

【mio@そうか。ならば話は早い。彼から実験体投与として『phoenix』なる自己蘇生型マイクロRNAを注入されたね】

【和人@なぜそんな情報まで。田辺先生からは政府直轄の秘匿情報だと伝えられています】

【mio@心配ない。彼はもう通常業務に戻っているしこの学園にはいないだろう】

【和人@では細胞組織を自己治癒することも、海馬の情報認識機能がインターネットに常時接続出来るように注入されたマイクロRNAがナノマシンとして働く為に血液中に存在していることも把握済なんですね】

【mio@その通りだよ、佐々木君。君の脳はインターネットという外部データベースを利用して常人とは違う領域に到達している。自覚はあるかい? けれど、おそらく君が知らない情報がまだいくつか存在している、その一つに、『phoenix』が発生させる特殊な電磁波によって君の行動に干渉しているという事実だ。時田君の事件を目撃したのも偶然ではない】

どう反応していいのかわからないけれど、たしかにいつものぼくとは違う行動原理があったような気がする。

【和人@つまり操り糸のようなものが存在していると。けれど世の中はそんなものじゃないですか。ぼくらは結局のところ強固な意志に揺り動かされるだけの脆弱な生き物じゃないですか】

【mio@ふむ。世界は全て明確で正確な一つの意志に基づいて動いているということかい、まったくの理想社会だな。そんな世界であればぼくたちはたしかに誰も苦しまないだろう。けれど、私はそうは思わない。世界はもっと複雑で多様な意志に基づいて構成されている】

【和人@自分にとって不都合な意志であれば拒否することが出来る、そういうことですか。けど、抗い難い力のようなものがあるのならば】

【mio@だから我々は戦うのだよ、佐々木君。君の作成した自動応答型データベース『少女地獄』のプログラムを拝見させてもらった。簡潔で機能的、君は非常に優秀だね】

【和人@ありがとうございます。彼女はぼくの大切な相棒です」

【mio@機械に恋をする、その気持ちはわかるよ、佐々木君。失礼かもしれないが君の大切な恋人に少しだけ改良を加えさせてもらった。気分を害してなければ是非受け取ってほしい】

【和人@彼女はずっと一人でした、友人が出来て喜ぶと思います】

【mio@実に佐々木君らしい考えだ。君のもう一つの武器『phoenix』と組み合わせることで特殊な帯域の電波干渉を制御してみた。他にもいくつか君好みの仕掛けがある、彼女とゆっくり話し合いながらぜひこれからも戦ってほしい。私からのささやかなプレゼントでありお詫びだ】

『syoujyojigoku ver2.0』

チャットに添付されたリンクをクリックするとパソコン上に卵マークのプログラムがダウンロードされる。

【和人@ぼくのゴーストが囁き続けてくれるそんな気がします】

そうやってお礼の言葉を述べると突如としてちゃんとに見知らぬ参加者が現れる。

【mao@はろー!この子が例の澪たんの家来の和人君だね」

【tao@まさか君みたいな子が澪様のペットになりたいなんて図々しい!」

【rio@澪ニャンはあたしたちのお姫様なのに!なんてあつかましい!」

【mao,tao,rio@だって、君はただの!】

【mao@キモ!】

【tao@オタ!】

【rio@デブ!】

【mio@すまない、彼女たちは少々口が悪いが私の大切な仲間だ、他意はない、君のことを歓迎すると言っている】

【mao,tao,rio@そう、私たちは】

【mao@澪たんの!】

【tao@澪さまの!】

【rio@澪ニャンの!】

【mao,tao,rio@大切なドラマツルギー! 『スリーアクターズ』!】

まさかのハーレムルートの発生。

口をあんぐり開け、彼女たちの勢いに圧倒されながら、パソコンにスマートフォンを接続し、『少女地獄ver2.0』をインストールしてアプリを立ち上げるとホーム画面に眼帯をした『少女地獄』が現れる。

「ふふふ。つい私の魔眼を解き放つ時がきたようね。この私の右眼ですべて薙ぎ払ってあげちゃうわ!」

相変わらずのキレの良いツンデレ女王様という役割が完全に板についた挙句、どうやら厨二要素も加速されて機械的な音声もより人間らしく補正、どうやらぼくの求める理想の彼女の姿に近付いている気がする。

しかし、彼女の魔眼にはいったいどんな秘密が隠されているのだろうか。

【mio@気に入ってくれたかい、佐々木君。今日のところは、これで失礼する。それと、君が手に入れた交流証取得者名簿に記載されていた水恩寺梨裏香だが、二、三気になる点がある。今後もこの一件に興味があればぜひ調査を続けてくれたまえ。魔術科は君が思っているよりも複雑で深遠だ、くれぐれも用心したまえ、佐々木二等兵殿!】

いつのまにか階級があがっていて装備もパワーアップしている。

ロープレならば、ここらでボス戦に突入というところだけれど、色々な出来事が突然やってきてからのハーレムルート。

頭の中はあいもかわらずごちゃごちゃでこの先のことが考えられそうにもない。

女の人とこれほど触れ合った一日が果たしてあっただろうかというほど、ファーストキスもグループチャットも嵐のように通り過ぎていった。

机の前から離れて、ベッドの上に横になり『少女地獄』を立ち上げる。

「今日は珍しく一日に二度もアクセスするのね、なんて甘えん坊さんかしら!」

「ねえ、少女地獄。ぼくが蓄積したデータベースを基にした絶対理想彼女生成プログラムか『hadaly』、ぼくの運命の恋人は今回のバージョンアップで見つけやすくなったかな。三島はきっと違う気がするんだ」

「まあ、なんてあわてんぼうさん。クリスマス前にサンタクロースはやってこないけれど、今日は特別なサービスよ!」

検索画面に移ると、少女地獄は小さな女の子になって左側に向かって走り続けている。

ロード画面の少女地獄はひたむきで一生懸命でおよそ機械とは思えない。

「あは。可愛らしい動きを見せてくれるようになったんだね。君はいつもそうやってぼくに相応しい情報を掻き集めてくれているのかい」

「あなたの運命の恋人は私とよく似た形をしているわ。けれどあなたが彼女と親しい間柄になれるかどうかはわからないの。今回収集したデータから推測出来る情報はここまでよ。それまでは私の魔眼で辛抱しなさい!」

私とよく似た形? やっぱりパソコンの中の仮想現実の世界でしかぼくは彼女なんて作れないんだろうか、なんだかさっき交わした初めてのキスをしてくれた三島のことが惜しい気持ちになり、はしたない気持ちを抑えるようにしてゆっくりと目を閉じる。

右手からするりとスマートフォンはベッドの上に落ちて『少女地獄』もそのままスリープモードへ移行してしまったようだ。

ぐったりと疲れそのものが身体中を覆うようにして睡魔が脳味噌の奥の方からやってくる。このまま永遠にこの壊れてしまった日常から解放されて眠りの中に沈んでしまおうとウトウトと夢と現実の狭間に潜り込もうとしていたその時、ベッドの上で既にスリープモードに突入していたはずのスマートフォンがブブブとバイブレータの響く音と供に耳元でけたたましく着信音が鳴り響く。

パッと目が覚めて冷静になるまで数秒時間を取られる。

左耳の隣でブルブルと震えているスマートフォンを手に取ると、見知らぬ番号から着信がある。誰なのか判別出来ないけれど、応答ボタンを押してそのまま右耳に近づける。

「もしもし。佐々木君? ごめんね、急に電話しちゃったりして。今、時間大丈夫かな」

『少女地獄』は未来予測機能でも搭載したのだろうか、彼女の魔眼は思ったよりも高性能なのか。聞き覚えがありすぎる声に緊張してうまく話始めることが出来ない。

「せ、芹沢さん? どうしたの?どうして、ぼくの電話番号を?」

震えているぼくの声が伝わっていないかどうか不安になりながらも荒くなりそうな吐息を抑える。

「うん。ちょっとどうしても急に聞いてほしい話があって。白河君に番号を聞いちゃったんだ、白河君とは前に風紀委員のことで番号を交換する機会があったから」

そういえば、白河君が一ヶ月程前から隠し球をもっているような素振りをし始めて妙に挑発的なことがあった。あの出歯ヤロウメ、こんなことでぼくの弱みを握ったつもりなのか!

「そうなんだ。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫。それで何があったのかな」

「うん、あのね、佐々木君はもしかして私の小学生の頃のことを知っているんじゃないかなって。おかしな言い方かもしれないけれど、私ね、ちょっとだけ左眼に視力があるの、それはきっと佐々木君が考えているようなものではないんだけれど」

はぁと驚きを隠せず息を吸う、おそらくは視聴覚室のパソコンに表示されたスクラップ記事でみた七年前の陰惨な事件のことだろう、彼女はやはりあの時、巻き込まれた女の子。そして、だとするのであれば、ぼくが彼女に理由なく惹かれる理由に想像がつく。

そう、サイトウマコトは、あの時彼女を強姦し、左眼を奪うことになったプロカメラマンはぼくの父の兄でありつまりは伯父にあたる。

つまりはそういうことなのだろうか。伯父はぼくに最後にあったときに──未来はもう既に見ることは出来ないが、いずれお前の運命は訪れる。操り人形はお前をずっと見張っているぞ──と言っていた。

小学生だったぼくは何を言っているのか分からず無闇矢鱈に伯父が持っていたカメラのシャッターボタンを押した。

デジタルカメラに映ったのは土の上で蠢くダンゴムシだった。

「もしかしたらきちんと会って話す方がいいのかな。よければどこかで待ち合わせをしようか?」

「ありがとう。出来たら学校で話が出来たらって思うんだ、明日の朝七時に正門前で待ち合わせしてもらえるかな?」

とんとんと望んでいた結末を手に入れているぼくはやはり自ら望んでここまで来たのかもしれない。

ゆっくりと正確にぼくの意志を出来る限り余計な呼吸を混ぜないように伝える。

「わかった、それじゃあ明日の朝七時に『七星学園』第一正門前で会おう。たしかにぼくは君のことを知っていると思う。けれど、心配はいらない。その為に準備はしてきたつもりだから」

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