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03.田園都市線三軒茶屋駅

「パパさん!ポロが話したよ!あんなに見てくれが悪いのに人の言葉を喋る!ポロに私は生命を与えたんだ!」
なんの悪気もなくなんの罪も感じずどこにも後ろめたい気持ちも作らず、横尾澪は最初の人工生命"ポロ"を友人の潮凪雫との共同研究で作り出した、いやより正確に言えば作り出してしまったというべきかもしれない。2人の研究室の主任教授であるミスターデビエバーは無邪気な研究生の報告とおよそ人間の領域をあっけなくはみ出してしまった成果に簡単な称賛など与えることが出来ずに少しだけ思い悩んだけれど、持ち前の天性の明るさで彼女たちの実験をこう評する。
「トゥルーリービューティフルディザスター。君たちは確かに人類の歴史に新たな第一歩を刻むことが出来たようだ。コングラッチュレーション、ミオ。君はアポロ計画の第一人者として永遠に科学の世界で名前を残す存在となったのだ。どうだい、神になった気分は。」
横尾澪はまるで相棒でありパートナーの潮凪雫の精気を全て吸い取ってしまったような天真爛漫さでデビエバー教授にハグを求めて周りなんて気にせずはしゃぎ回っている。横尾澪の隣の潮凪雫が自分たちがしてしまった罪の重さに耐えきることが出来るのか分からず言葉を失い、ポロのぐにゃぐにゃと形わの整っていない身体にある瞳のようなものにじっとり溜まっている涙をみて軽く指を差し出し拭い去ろうとするけれど突然噛みつかれて痛みに耐えたままポロの尖った剥き出しの歯が人差し指に食い込んでいるのを堪えようとしている。
「雫!痛くないのかい。ポロに精神安定剤を打ち込む。きっと産まれたてでとても気が立っているんだね。母親にも等しい存在であるのに、こんな仕打ちとは。君のDNAが少なくとも半分は入っているのだし、血液が混ざり合うことに問題はないだろうけどね。」
潮凪雫が静止するのも聞かず、横尾澪は実験室のビーカーから注射器を取り出して薬剤を抽出すると、針先から軽くぴゅっと飛びだした緑色の液体をそのまま不定形の生命体ポロに注射針を突き刺す。
「ねえ、澪。私はさ、もしかしてしてはいけないことをしてしまったのかもしれないと少しだけ躊躇っている。歴史を歪めてしまうことに戸惑いはない?」
「私が私として産まれてきたことを後悔しているかどうかという質問に聞こえるな!確かに私は天才として産まれた。誰にも追いつくことのできない考えで常人を置き去りにしている。けれど、なぜ私が常識に囚われて人類が未来を掴み取ろうとすることに遠慮しなければならないのだい?」
「私にはそこまで割り切ることは出来ない。塩基配列を解析するためのプログラムを72時間不眠不休で作り出した時の高揚感に包まれていた時は確かに私の中に罪の意識なんてものはなかったけれど。」
「声あるものは幸いなりか。古い諺ではあるけれど確かに真理の一つと言える。魚も草も確かに人間に踏みにじられて叫び声はあげない。釣り針の痛みを私が知っていたらポロは確かに産まれていないな。」
横尾澪の注入した薬剤がポロにしっかり聞いてきたのか身体の中にまばらに散らばっている2つの目をゆっくりと閉じてポロは眠りにつき、噛み付いていた潮凪雫の人差し指を口元から離す。彼女の人差し指にはポロの突き刺さった指先から血液が流れ出ているけれど、致命傷には至っていない。後、13日で生命に幕を閉じるポロの刃先が溢れて人差し指に突き刺さったまま一本だけ机の上に落ちる。
「お前たちは確かに人とは違うことをした。偉人たちと同じ道を辿ってしまったのじゃ。お前たちの行いが正しいかどうかは毛沢東がいうように100年後の人類でしか判断することは出来ないだろう。フランス革命がもたらした大衆の喜びは貴族にとってストレスそのものでしかなかったからだ。いずれ、答えはやって来る。今はその喜びをただ噛み締めるべきだ。」
ミスターデビエバーは自らトゥルーリービューティフルディザスターと名付けた歴史の一幕を潮凪雫の悲しみと横尾澪の喜びの瞬間をカメラに収めてデジタルデータに還元する。
「何もかも0と1でしかこの世界が表現出来ないんだとしたら、私はきっとこの左眼の存在ですら見えないとしか伝えることが出来ないんだなって少しだけ寂しくなってしまった。私は量子の世界に漂う信号に置き換えられた魂のことを少しだけ羨ましく感じてしまった。」
きっと、小さな小さな世界では電流の流れだけが全てなんだろうって黒い眼帯をつけた女の子は少しだけ涙を流して恋をする。どんなふうに恋をすればいいのかなんてもう忘れてしまったけれど。

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