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02. I against I

フーフーフフーフー。
脳味噌が沸騰したように熱くなり適切な思考が維持できないはずの脳髄が、世界のどこかで歌われている小さく優しい歌を捕まえて腐食した左腕で金属の破片を手にした薄汚い男が建築現場のまだ舗装すらされていない泥の上で歌を歌っている。
「やっぱりいつも君はぼくの頭の中で歌を歌っている」
満ち欠けを忘れてしまった月を作ったことを後悔している訳ではきっとないけれど、YOUはずっと下の方で苦しみに喘いでいる手に負えない皮膚の病に侵された半分だけ死体の人形を見てそんなことを考えている。彼にはもう名前も必要なくて、もしかしたら腐りきってしまった左腕をうっかりどこかで落としてしまう時までおかしな歌を歌ってぼくに意地悪をしてくるのかもしれない。
だから、ぼくは君に名前をつけてあげることにする。君の名前は『真金』という。君にとってはとても必要な名前なんだろう、だから大切にするといいよってYOUは今日もまたとても忙しそうに頭の中をフル稼働して先週一生懸命作ったブランコまで星を見に行くことにした。
フーフーフフーフー。
沸騰した脳味噌で簡単なメロディーと呼ばれるものが作られて再生されていることを『真金』は知る由もなく、昨日降った酷い雨のせいでベトベトにぬかるんでいる泥の上を穴の空きそうなゴムの長靴を履いて、きっと、もしかしたら、塩ビ管を敷き詰めている平たい胸をした耳長の女の子からしたらとても奇妙でおかしく、それから苛立ちを感じるような出来事かもしれないけれど、やっぱり『真金』はどこかで楽しそうに、金属片や木片や、溶けかけて行き場をなくしているプラスチックや狼男が飲み残した機械油が混じっているアルミ缶を拾い集めて白いガラ袋の中に放り込んでいる。ガチャリガチャリと確率論的乱雑さが外に漏れ出してしまわないようにナットを締める音がして先見の明を手に入れたいが為に魔術師の血を飲み干して翼を生やすことになってしまった鳥の子孫では決してない鳥の顔をした人間がとても高い鉄製の足場の上でぼんやりとまるで思考能力を持たない脳味噌の沸騰した薄汚い男をみて笑っている。
「おい、土竜。こんなのは五十年ぶりか。お前たちがこんな早い季節に雪が降る日を知っている。教えてくれ、まだいじけたまま土くれと話しているんだろう?」
その翼は産まれた時からずぶ濡れでとても重くなってしまい空なんてとても跳べるはずがないことを知っているからか、鳥の人がとても手慣れた仕事をこなす鳶に混じって何人か高笑いをしながら青空を眺めている。
スコップを持った土竜や土で汚れた顔と手の土木作業員はとても口下手でうまく自分の頭にある出来事を言葉にすることが出来なくて一つずつ丁寧に土と鉄の間に差し込んで外と内を切り分けている木材の幅と数で鳥の人とそれからヘッドライトをつけたヘルメットをしている優しいフリが得意な現場監督にさっきの質問の答えを教えようとしている。
たぶん、それは真っ黒な土を毎日のように掘り起こしたりしているせいでいつの間にか気が狂ってしまったのかもしれない、だからあんな風に歌も歌わず難しい言葉を話そうとしているんだとスコップを持った土竜のそばで拾った中途半端に切り落とされた針金を拾って、ガラ袋の中に放り込んだ時に『真金』はそう思った。
うっかり覗き込んだ外と内を分けている土の中にはこっそり埋められた人の手脚が入り込んでいたらいいのになって『真金』が笑っていると、とても大きな声で怒鳴られて歌なんて歌っている場合じゃないことを気付かされる。
朝の空気はまだ湿っているからかきっと沸騰して歪んでしまったのはぼくではなく世界だなんて図々しい考えでこの後運ばなければいけないセメント袋の数を数えながら、あーあー、とイガイガした声帯でおしゃべりをして同じようにゴミ拾いをしている仲間が機械油の混じっていない少し甘い缶コーヒーを買ってきてそろそろ休憩にしようと怒鳴り声の目を盗んで座り込みにいこうと誘ってくる。
けれど、ほらまた腐った目玉を落としてゴミと間違えて持っていかれないように落とした目玉を拾おうとしている半分死体の仲間がまだ急いで金属片を拾おうとしている。
逃げる場所がある訳でもないのだから、もう少しだけ合体ロボや変身ヒーローの話はお預けにしようと何故かとても難解で複雑だけど人に伝えやすい言葉を身につけてしまった『真金』は正確に詳細に自分の意志をぐちゃぐちゃの顔と髪の毛をした仲間にそう伝える。
「君の声は聞こえている。けれど、知っての通りぼくは君を見ているだけで何もしない。ただ、君が伝えた言葉が反響してさっきぼくの左腕に小さな切り傷をつけた。たぶんぼくはそのことをちゃんと人間らしく復讐するだろう。君が覚えてしまったものはそういうものなんだ」
宇宙の上では無数の星が光り輝いていて何の不満もないけれど、ぼくたちはぼくたちを進化させると決めてあの日地球と呼ばれる惑星から飛び出したんだ。
だから偶然繋がってしまった君の歌に関する機能が拡張されてしまった脳の部位に関してはしばらくの間そのままにしておこうと思う。
YOUはじっと堪えるようにして言葉を噛み締めてその分だけ本当に少しだけ彼女の知っている言葉を『真金』に与えることにした。
「入力された数値に間違いはありません。土地の形状、天候と気温、粘塑性流体が完全に固体化する迄の時間を考えれば彼への処罰と拘束・監視時間は適当であると言えるはずです。継続して労務に従事させる事を推奨します」
建築現場から少しだけ離れた五階建てにも関わらずエレベータのないビルの奥から三番目の部屋の現場事務所で明るい顔の新入社員が束ねられた報告者の束を所長に手渡す。
暗い顔をした新入社員は二世代ほど古いWindowsPCの前で予測より二日ほど遅れた工程と睨めっこをしながら確実に今日のデートには間に合わないことをいつものように簡単に受け入れてわざとらしく0.03だけずらした数値で負荷をかけてストレスを発散する作業員の名簿をマウススクロールしている。
いつもはニヤついた顔がとても人を苛つかせる副所長が昨日の夜から見当たらない電動サンダーのことを計上された予算の問題ではなく、それは例えば貼られたばかりの外壁タイルSOF―1がたった一枚だけ削られ傷をつけられたということを放置していることを許すことなど出来るはずがないのと同じ問題なんだと電話越しにどこかの派遣会社に怒鳴りつけている。
管理体制に問題が生じているからなのかそれとも置かれた場所が整理をつけ難い場所なのかそれともただ壊れてしまったから捨てられてしまっただけなのか、いや、先週の火曜日に営業にやってきた半獣半人の狐顏の男が持ってきた新しい方式を取り入れたパワードグローブと酷く高価な電子制御されたヘルメットに所長が危うく気を許しそうになったからなのか、二十分ほど電話で話してみたけれど埒が明かないことにイライラしたまま電話を切ると、またすぐに明るい顔の新入社員が嫌いなニヤついた笑顔に戻って自分の机に座る。
「あのですね、アンドロイドは完全な機械で所謂一般的にはロボットと言われるもので、サイボーグはそうですね、簡単にいえば義足や義手の進化した過程でもっといえば人体の一部を精密な機械で置き換えたもの、パワードフレームはいわば着る機械なんです、狐さんが言っていた最大で五百キログロムの重量までは電子制御されたパワードグローブの装着で一人で持ち上げられてしまう、というのはけっこう安い買い物だと思いますよ」
暗い顔をした新入社員はまるでロボットのように言われた命令だけを実行する現場作業員を想像している頭の堅い所長を見てちょっとだけ苛ついている。
「しかしだな、そんなアニメや映画の中に出てくるよう製品を何故こんな小さなビルの工事計画事務所に直接売り込みにくるんだ。明らかに詐欺紛いの眉唾ものだろう」
まぁ、そうかもしれないですけどー、と暗い顔をした新入社員は口を尖らせながら狐顔の営業マンが見せてくれたWIFIと常時接続しながら保護ゴーグルに映し出されたウェラブルコンピュータヘルメットの未来的実演販売に少しだけ目を輝かせていたまだ社会人になりきれていない自分を戒めながらパソコン画面に目を移す。
「例えば、弊社の『オツトメクン』ならば、PC事務所のPCのCADで修正した設計図面をそのまま保護ゴーグルと一体化したモニターで修正前の設計図と整合させながら現場環境を拡張現実で確認できるでござる。御社の作業効率と合理化の導入の為にいかがでござろうか。今なら一つ三万円からでござる」
狐の顔をした男が人の言葉を喋るということ自体は建築現場のような社会階級に属する人間にとって珍しいことでは全くないけれど、狐の顔をした男が営業用の特注サイズのスーツに身を包み、とても流暢な営業トークを最新の技術の話題を挟みながらとてもわかりやすく説明している姿にいくら比較的建築業界で頭の柔らかいほうだと言われている所長でもまともに話を聞いていることが長時間出来なくなるほど、ショッキングな出来事だったらしく混乱しながらもすっかり彼のトークの魅力に巻き込まれてしまった新入社員二人を置き去りにして小一時間も話を聞く前に追い返してしまったことをもしかしたら副所長は苛ついているのかもしれない。
例えば、有り体にいえば食事や環境に関する面倒な問題を一挙に押し付けられて昨日も帰宅が二十四時を回っていたことなど問題ではないんだとうっかり仕事を早く終わらせて副所長の愚痴を聞くために居酒屋に付き合わされることにならないようにと暗い顔の新入社員はまたしてもわざと数値を〇・二だけズラして帰宅時間をコントロールしている。
ガチャリとスチール製の事務所のドアが開くと、ダブダブの黒いニッカポッカの裾が泥だらけでおそらく三ヶ月は買い換えていないと思われる作業用シャツのボタンがビリリと破けている汚らしい格好をした男が会議用テーブルを入り口まで手運びをしてきたようで、何一つ話すことなくただ黙って突っ立っている。
副所長が朝一番に頼んだ仕事をお昼前のこんな時間になって思い出して済ませにきたようで、副所長が特に咎める様子もなく手招きをすると、小汚い服装の『真金』がとても不器用に狭い入り口から会議用テーブルを中に入れようと悪戦苦闘してなんとか事務所の中に運ぶ際に、事務所の前を訪れたおよそ建築現場には似つかわしくない端正な顔立ちに梯子の刺繍された黒い眼帯をつけて一眼レフカメラを下げた女性が抱えた茶色い封筒をほんの少しだけ地面に向けて傾けてしまうと、現在進行中の設計図面がひらりと落ちて、『真金』はちょっとだけその幸運をあざとくしっかりと確認して会議用テーブルを事務所に入ってすぐの空いたスペースに置く。
奥の古いデスクトップマシンにアップになっている三○一号室のバスルームに施された悪循環の因子を見つけると、ゆっくりと丁寧に会議用テーブルの脚を広げてカチャリカチャリとズレたパーツをきちんと合わせるようにしてまた慎重にテーブルを裏返して空いたスペースに部屋に対して平行垂直に設置して『真金』は事務所から特に何も言わずに退出する。
暗い顔の新入社員が何かを言おうとしたけれど、そういえば今日はどうしても十九時三十七分には退社しなければいけない用事を思い出して、先程意図的にズラした〇.〇三と〇.二の数値を元に戻してちょっとだけヤル気を取り戻し明るい新入社員の妙に意識の高い嫌味に耐えてやるのだと決意する。
「そうか。君もそうやって歌うのを辞めてしまうんだね」
ブランコをちょうど千九百三十七回往復したところでYOUはそういえば千二百五十四回往復した頃に『真金』の歌が聞こえなくなってしまったことの因子を探る必要があるかもしれない。
それはもしかしたらぼくたちが進化に取り憑かれて生きようとすることと何か関係があってあんな風にまるで地獄のような場所でとてもステキな歌を歌っている楽しそうな『真金』が拾い集めた金属片と関係があるのかもしれないなってまたうっかり地上に希望を落としてしまい、焼け焦げるような感情をサイコロの目を振るみたいに悪い感情に気持ちを委ねてしまってとても気分が悪くなったのでYOUはブランコを漕ぐのを辞めてしまった。
フーフーフフーフー。
煙草の匂いがあまり好きではないのでお昼前に既に耐火ボードを三十四枚貼り終えたことに満足していつもだったら簡単に撃ち殺している弟の顔を思い浮かべてヘラヘラと笑っている若くて丸い大工の真横を通るのが嫌でたぶんきっと彼が嫌がらせで落とした電動ドリルの刃を拾わなかったことを『真金』は後で思い知らされることになる。
「五十年前に、『夷』は居場所がなくて道に迷い、『稀』はいつもと同じ場所で失敗をして、『微』がやっぱり選ばれることになった」
「ふん。結局機械油の味はずっと同じだ。なにも変わりなどせん」
「けど、昨日の配線工事は黒い部分と灰色の部分がうまく重なりあってとても綺麗な道筋が見えていました」
「玄翁が言い訳をせず、真っ直ぐに金属同士を叩きあわせて透き通るような音を空まで駆け抜けさせていたな」
「そうだ、結局のところ青空まで手に入れることなんて出来やせん。ずっとこのままいられることにしがみつくだけじゃよ」
そうやって赤い灰皿の前で難しい話をしている職人たちの誘惑されそうな煙草の匂いを避けるようにして、沸騰した脳味噌に染みついた電動ドリルの刃が罪の意識を増幅させていたことに気付けなかった『真金』は、もしかしてさっきから小さな声で何かを伝えようとしている声の主はチルドレ☆ンと呼ばれる御伽噺の中に出てくる神様の声なのかもしれないと考えると、仕方なく喫煙所の小さな丸椅子でとても疲れ切った表情で座り込んでいる太った解体工に何か声をかけるべきだろうと迷った挙句、ゆっくり唾を呑みこんで何も言わずただ黙って座り込んだ。
とても耳がよい『真金』は八階で鉄筋工たちが鉄筋を縦と横を交互にとても規則正しく組んでいく時に産まれる鉄と鉄が擦れて空気を振動させる微かな音を聞き取ってちょっとだけ笑顔を零す。
その様子を遠くの方でクレーン技師が見つけたようで積載量を五キログラムオーバーさせた鉄屑を入れたトン袋がぐらりぐらりと百九十三センチほど地面から持ち上げたところでガードマンが一瞬だけバックするトラックから目を離す。
『真金』はガードマンの鼻先百九十三ミリの所でトラックが急ブレーキをかける音を聞いてびくりと眼を覚ます。
眠りと死は友達であるのだし、特段大騒ぎするような問題ではないのかもしれないと黒いランドセルを背負いながら道端を歩いていた小さな子供が見つけたてんとう虫の羽の拡がりを見て気付いたけれど、ガシャーンととても大きな音がして鉄で出来た足場材を放り投げられた音と供に救いもしてくれない神様に願いを捧げるなんて奇妙な考えはどこかへ消えていってしまった。
まだ買ったばかりなのに薄汚れたデジタル時計は十一時四十五分でほんの少しだけ壁を平らにするためにコンクリートをこっそりなぞる音はビルの何処かで聞こえてくるけれど、お腹が空いて耐えられそうにない、一足早く仕事を終えた職人たちがいなくなって工事現場の空気が柔らかくなった隙をついて『真金』はお昼ご飯を食べに行くことにする。
一番ゲートに止まっている四トントラックの真横は何か不安定な気持ちが充満しているので、ドラムリールの電源コードをめいいっぱい引き伸ばして三十メートル先で電流を取ってきている裏口のブレーカーまで跡を辿っていき、こっそりと建築現場の外に出よう。
それならばもしかしたらぼくの先を歩いている坊主頭の職人さんのように右に行くべきか左に行くべきか迷うことはないかもしれない。
ブイイーンという電気音と共に十九本の支保工がロングスパンエレベーターから三人の職人と一緒に七階から降りてきている。
さっき拾い忘れた電動ドリルの刃を無視した罪はもう許されたのかもしれないと、白い囲い枠で囲まれた建築現場の外に出る。
右に曲がってまっすぐ進むとうどん屋がある。とてもコシのあるうどんだと昨日一緒に働いたお爺さんが言っていた。
六百八十円ぐらいならばどうにかお昼ご飯に使っていいお金なので今日はちょっとだけ贅沢をして食べに行くことにしてみよう。もしかしたらいつもみたいに一人きりで働く寂しさは紛れるかもしれない。
フーフーフフーフー。
そうやってYOUは月の上でブランコを漕いで『真金』が歌ってくれている歌を口ずさむ。
笑顔が溢れてつい癖になってしまうので他のとても優秀なチルドレ☆ンに見つからないように、今年はパイロットにも選ばれることもなかったのだし、一年前に宇宙空間で覚えた奇妙な踊りでぐるりと一回転をしてちょっとだけ心を和ませることにした。
例えば『古代種』と呼ばれるぼくらが故郷を捨てたことを恨んで、捨てたはずの環境が完全に破壊された太陽系第三惑星『地球』で生き延びることに成功したけれど、肉体と精神を人類とは違う生き物に変化させてまで時空を超えられるだけの構造変換を遂げると、熾烈に苛烈にぼくらを追い掛けてくる。
だから、『白い閃光』は先祖とすら呼べる『古代種』たちからぼくらの新しい故郷である惑星船団『ガイア』をもうずいぶん長いこと守り続けている宇宙で一番輝いている星なのだ。
フーフーフフーフー。
YOUは今年もまた地上からたった一人だけ選ばれたとても複雑で珍しい回路を持ったニンゲンがチルドレ☆ンに招き入れられて、『白い閃光』が率いる『遠宇宙絶対防衛独立艦隊』に入隊したと聞いたけれど、YOUは今日もまたブランコを漕いで『第十三古代種殲滅部隊』の演習をサボっている。
もしかしたら、もう『古代種』を殲滅したくないと心の何処かで思っているのかもしれない。
夢にまでみた鮫型機動兵器『シャークネード』に搭乗出来た夜はとても眠ることなんて出来ず──やってやるやってやるやってやる──って用意された寝室で何度も口にしたけれど、鮫の歯が食い散らかした『古代種』の肉片は消化されることなく食べられることもなく宇宙の塵になって消えてしまった。
YOUがブランコまで頻繁に通うようになったのは多分その頃からで『真金』の歌が聞こえて来るようになったのも同じぐらいの時だったような気がしている。
しーしーしーしー。
奥歯に挟まった万能ネギがとても気になるので爪楊枝を咥えながら国道沿いを一本だけ入った裏路地を歩いていたら神宮前五丁目児童遊園地の黄色と赤の滑り台のてっぺんで梟みたいな形をしたロボットを肩に乗せて座り込んでいる男の子と滑り台の下で黒いスケボーを抱えた男の子が楽しそうに仲が良さそうにたぶん眠ってしまった三つ目の眼のことを気にかけておしゃべりをしていたからこんな時間に小さな子供だけで二人きりでいるのを不思議に思いながら、『真金』はやっと左の奥歯から取れた万能ネギの小さな欠片を人差し指に乗せて──じゃあね──って、二人に大人に変わる合図を送った。
彼らはもしかしてとても頭の良い兄弟なのかもしれない、ランドセルからはみ出ていた不思議な文字の教科書はきっと弟さんからお兄さんへの贈り物で、薄汚れたデジタル時計はもう十二時四十七分を示していてあとちょっとで休憩時間が終わってしまうから少しだけ急いで建築現場に戻ることにした。
フーフーフフーフー。
真っ白な大理石で出来た滑り台と下に広がる砂場では今日もサボるのが大好きな『ポケ』と『チケ』がとても仲よさそうに遊んでいて、ちょっとだけ背の高い『チケ』がまた『ポケ』をこっぴどく虐めている。
どうやら原因は『ポケ』のいつもの悪気がたっぷり染み込んだ悪戯のせいで『チケ』が恥をかいたせいなのかもしれないけれど、あの二人はとても仲が良いことで有名だから本当のところはあの二人に聞いてみたとしてもわからないかもしれない。
YOUはそんな風にいつも離れたところでも傍にいる時でも一緒に遊んでいる二人のことをとても羨ましくなってしまった。
どうしたらあんな風に『ポケ』が笑うのだろうか考えていたらやっぱり『お父様』のいうとおり進化の道筋はぼくたちチルドレ☆ンには途絶えてしまっていて、見つかるかどうかわからないと言われている宇宙の果てを目指してぼくらは旅を続けなければいけないのかもしれない。
『真金』は頭が悪そうだからそんな難しいことは知らないだろうし、そんな歌を歌ってくれたりはしないだろうけれど。
フーフーフフーフー。
──さあ、号令の時間だ。ぼくの出番はもうすぐだ──
何処かで誰かが列車の発車する合図を送っているのが聞こえたけれど、集合時間を間違えていたせいで電動サンダーが実は盗まれていたことに気付いた副所長が激怒しているのをうっかり発見してしまう。
確かに技は盗むものだし邪魔者は排除して疑うものは信じることを捨ててしまえるように世の中は出来ているけれど、虫唾がはしる様子を具体的に相手に伝えるべき手段を間違えている可能性があることを所長から教わってここまで来たということも含めて副所長はどうしても抑えられない憤りを言葉足らずの脳味噌たちへ熱心に埋め込めもうとしている。
『真金』の脳味噌が沸騰して千五百三十八度を超えてしまうと考えていることが傍の人だけではなく気を抜いてしまうととても遠くにいる人にも伝わってしまうということが彼の生まれつき持っている不治の病と言ってもよく、だからとても微細に脳味噌が沸騰しないような繊細な操作が必要なんですと『真金』はようやく繋がって居場所を突き止めた星の上でいつも一人でブランコを漕いでいるあなたのためにこの歌を実は作ったんですよって周りの声から逃げ回って意識を宇宙へと飛ばす。
フーフーフフーフー。
お前はただの馬鹿だからそんなことで鉄の融解温度を超えるような苦痛を受け止めてまで生きようとするのだろう。
決して冷めることのない熱で焼け焦げているというのに、それを伝えようともしない。
フーフーフフーフー。
それは違うよ、だってやっぱり隣のおじさんも獣の顔をした解体工も同じようにその鉄が溶ける温度に耐えている。
だから、ぼくの沸騰した脳味噌はきっと特別なんかじゃないはずなんだ。
フーフーフフーフー。
お前は私に今もこうして歌を届けている。
特別であることから逃げようとしても『古代種』たちはずっとお前のことを追い掛けてくるんだ。
『白い閃光』がやってきて守ってくれたのだとしても同じ事だろう。
トンカントンカン。
ギリリジリリ。
ガチャンガチャリ。
パタリ。
グサリ。
ドバッー。
ダダダダダダ。
ヒューン。
ドカーン。
街の音はいつものように静かさを取り戻していてぼくが作った歌はきちんと伝えるべきところに届いている。
箒と塵取りを手にしたので四階で始まる置き床前清掃を隅々まで丁寧に始めてもしこのビルが出来上がった後に一人暮らしを始めた女の子がこっそり床の下を覗き込んだとしても機械油の空き缶が転がっていることにがっかりしないように片付けておこうと思う。
そうして、例えば〇・三ミリだけずれした軽量鉄骨が摩擦するガリガリとした感触を使って脳味噌の沸騰する音を陽の当たらないコンクリートの建物の中でこっそり収集するのが趣味な女性のリクエストに応えるような歌を歌うことは出来ないとはっきり伝えることにしよう。
フーフーフフーフー。
『真金』もYOUももしかしたら足りない部品をかき集めて出来たまがい物かもしれないけれど、地上と月の少しだけ外れた曖昧な場所で簡単な歌で繋がってこっそりと通じ合っている。
フーフーフフーフー。
産まれたばかりの狼の子供はその純粋な気持ちで飛び跳ねる兎の耳を引き裂き、流れ出る血液を一滴残さず飲み干すと、まだ手足が逃げようと足掻いているのを右前脚でぴたっと抑えてゆっくりと腹の中心あたりから多分生きる為に与えられた前脚のとても鋭い爪の先で可愛らいしい毛皮なんてものには目もくれずぐさりと突き刺してしまうだろう。
勢いよく溢れ出た血液が狼の子供の顔に吹きかかるけれど、もしかしたら明日はきっと目の前で酷く苦しそうな最期の声をあげている兎には出会えないかもしれないということを肝に銘じて鋭い前歯で思い切りお腹に噛み付いて中にびっしりと詰め込まれた兎の内臓をとても卑しくけれど猛々しく食いついて決して他の狼や獣には一つ足りとも与えないのだという意志を断行する。
兎を食べるために備えられている前脚の鋭い爪と尖った前歯でたとえ血の一滴でも、肉の欠片でも逃すつもりはないのだとこの世界に兎が生きていたという痕跡を含めて一つ残らず狼の身体の中へと取り込んでいく。それは産まれて初めて狼が食べる食事で母親にも父親にもおそらく兄弟にも分け与えようとも思わないウサギとなるだろう。
フーフーフフーフー。
『真金』とYOUは同時に同じことを頭の中で考えていたことがとても嬉しくなってしまいたまらないので笑顔がすっかり溢れて溢れ出てしまいそうなので、クククって声を抑えるように右手を口に添える。
月の上では、『第十三古代種殲滅部隊』の予行演習がとうとう始まっていておそらく後数十時間で訪れると観測オペレーターが警報を鳴らしたもはや人類とはかけ離れた形を選んでしまった『古代種』たちがぼくたちの捨てたはずの地球へ帰れとまたとても長い時間をかけて何度も歴史の中で繰り返されてきたように襲いかかって来るはずだ。
フーフーフフーフー。
建築事務所では暗い顔をした新入社員が十九時三十七分にどうしても退社したくていつもの二倍、いや三倍の仕事量をこなしたお陰で二日遅れていたはずの工程が一日半に短縮出来たと副所長が今日初めて漏らした笑顔を向けてきたのでうっかりお酒に付き合いなさいと誘われないようにもっともっと一生懸命時間めいっぱいまで仕事を頑張ることにした。
十二階建の鉄骨造コンクリート仕立ての二十平米のビルは今九階の立ち上がりの為に二十四名の職人さんたちが八時から十七時まで自分たちに与えられた職務を出来る限り一分の乱れもないようにこなしている。
『真金』はとても頭が悪く鉄の融解温度まですぐに脳味噌が沸騰してしまうぐらいに簡単に怒りに囚われてしまうけれど、この後四〇二号室の床材を貼りにくる職人さんたちの為というよりは、もし拾い忘れてしまった電動ドリルの刃の時と同じように錆びた鉄が軋む音が千九百三十七回も響いて鳴り止まずに永遠を教えようとやってきてくれるよりはずっとましなんだろうと思いほんの少しだけ外れてしまった『真金』の気まぐれが明日もYOUに歌になって届きますようにと、とても丁寧に、ううん、とっても適当に、力の加減を間違えないように掃き掃除をしてまた怒鳴られたりしないように十七時丁度になるまで働くことにした。
十五時の休憩の時にガードマンさんが淋しさを堪えきれなくてぼくにお団子を一つだけ分けてくれた。
お喋りが止まらない彼のことはすぐに沸騰した脳味噌が全て溶かしてしまったけれど、今日食べる夕食の時にもしかしたら彼が言っていた大して面白くもない世迷言を思い出したとしても思い出さなかったとしてもぼくが彼と出会ったという事実はきっと宇宙のどこかに記録されているはずで、きっともうそれは確かにどうでもいいことであるはずなんだ。
だから、ぼくはぼくが思う故にぼくであるのかもしれないと建築現場を出る時にYOUにいつもの歌と一緒に届けようと思って、十七時ちょうどに白い鉄製の扉を開けた。ぼくが残したコギト・エルゴ・スムという言葉が口から飛び出していって空を舞う様子をさっき建築事務所で見かけた黒い眼帯をした女性が大切に抱えていた一眼レフカメラで捕まえているのを君は決して見逃したりしなかったね、YOUが初めて空の上から優しく教えてくれたんだ。

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