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06. Milky way

関係者以外立ち入り禁止と書かれたビニール製の注意書きの表示が貼られて黒と黄色のポールと赤いコーンで区切られたまだ昼間の間は工事途中の建築現場の裏口から、夜遊びを楽しむための服装の若者たちが頭に兎や狼の耳を生やしていたり、お尻の辺りに犬のような尻尾を生やして集まり始めて中に入ろうと列をなしている。入り口には黒い工事用ヘルメットを被り、黒いパーカーと黒いスリムな作業着を履き黒いスニーカータイプの安全靴の男が見張りに立っていて、行列が伸びすぎて周囲に勘付かれないようにビルに集まる若者たちに整列を促しながら、入場者用の黒いヘルメットを手渡している。

昼間使われる作業員用の入り口とは別に用意された建築現場の裏口付近の白い看板には『都民の城』改築工事プロジェクトと書かれていて、まるで秘密基地にでも集まるようにして、三、四十人ほどの若者たちが手渡された黒いヘルメットを被って入場していく。

忍者のように夜に馴染んだ服装の男は裏口から通じる『都民の城』地下部分へ列が捌けたことにほっとひと息をついて階段下へと降りようと黒と黄色のポールと赤いコーンで入り口付近を封鎖する。

「ふぅう。とりあえず予約人数は全員入場したようだな」

夜が訪れた渋谷駅は昼間よりずっと人が少なくなっていてハチ公像の前には暗い映画を一人で見に来ている若者や最後の時間を出来る限り明るく過ごそうとする恋人同士であった二人や嫌というほどお酒を飲んだのに朝まで起きていられる相手を選べなかった女の子が気怠そうに煙草を吸っている。

サメ型のリュックを背負った女は道路を挟んだハチ公像の向かいのビルの三階から伸びている長いエスカレーターを降りてきているけれど、この街特有の何処かに行かなければいけない規則が苦手のようで、いつか『明日の神話』が塗り替えられてしまう現実的な時間の流れによって解体されてしまう事を恐怖しながら、まだ居残って仕事をしているティッシュ配りの青年からポケットティッシュを受け取って、一枚取り出すとさようならという気分に浸りながらクシュリと鼻を噛む。

「お買い物だよ、ハリソン。先生に猫じゃらしとマタタビを買っていくんだ。遊楽堂のマタタビが先生は本当に大好物なんだ」

サメ型のリュックの女は、迷子の猫はすぐ薬殺されてしまい住み着くことのできないこの街でサメ型のリュックに向かってこの場所にきた理由を簡潔に述べる。

サメ型のリュックの女は星柄のもんぺのポケットから赤い石を取り出して空にかざすとふぅぅーとまだ夜は少し寒い季節の空に息を吹きかけて、行き場所がない奴らの気持ちを考えながら喧嘩越しの気持ちを薄めてみる。彼女はやっぱりどこに行っていいのかわからずお空の雲と見分けがつかない。

だからこの空はもしかしたら先生のいる神社と繋がっているかも知れないとサメ型のリュックの女は考える。

街行く人々が彼女と同じように独り言を話している。

「また行く場所をなくしちゃった。どこにいったらいいんだろう」

「きっと私はいつも一人で何かを掴んだりは出来ないまま終わるのかな」

「けれど今回は君に与えてあげられる食べ物はないんだ、ハリソン。ほら、焼け焦げたパンの匂いを大きなテレビに乗せて光らせている奴らがいるだろう。ウニカはあんな酷い仕打ちをぼくらにいつもしている。ぼくらは騙されないって得意満面な顔で忍者の末裔たちならたぶんそう思うのかもしれないね」

とにかく宮益坂沿いの遊楽堂は昔からマタタビがとても有名で、あの不思議な匂いを嗅ぐとみな踊りだしたくなってしまうんだ。

時の権力者たちが魔法使いの真似をしてよく普通の子たちに配っていたみたいだけれど、効率ばかり追い求めてマタタビは使われなくなってしまったみたいなんだ、ってとても寂しくなって誰かにメールを送ろうとしたけれど、サメ型のリュックの女はこの時間はみんなお休みしているんだってことを思い直して宮益坂へと一人きりで歩いていく。

死んだ魂を脱け殻にして泳がせる電子の海は確かに隣の国へと荒波を越えたすえに流れ着く黒い海と比べてとても身近に感じるけれど、やっぱり人が何か恐ろしい病気にかかってしまうような類の怖い夢が簡単に拡散されてしまうような気がして震えが止まらなくなってしまうなとサメ型のリュックの女はぼんやりと夜空を眺めて歌を歌う。

「きっと世界は君の傍から離れたりはしないんだ」

『都民の城』改築工事プロジェクトの地下では、猫耳を生やした女の子や飲み過ぎて、ダラシのない犬の顔になった男の子がジントニックを飲んだり、兎顔の女の子がカルアミルクを舐めたりしながらBPM98前後のゆらりとしたインダストリアルテクノに身体を揺らしている。

まだ工事中のコンクリートで囲まれた建物の地下へと降りてくる階段の下には赤いベルベットのカーテンで仕切られた空間に黒髪を後ろで結んだ女の子が黒いヘルメットをかぶって座って顔を出していて、『悪意を産む時計』と呼ばれる時計アプリをインストールした人たちの中が入り口に集まり始めている。

奇妙な流行に乗ってダウンロードされたアプリはピンク色の背景に誰も知らない秘密組織のロゴマークとアナログ表記の時計が表示されているシンプルなものだけれど、どこかで入手してきた秘密のコードを手に入れた若者たちだけが持っている赤い背景の『悪意を産む時計』が入場口でチケット代わりに提示されている。

「所長! 免震構造対策会議『TED|S』問題なく開始出来ます! 夜礼のいつでも開始オッケーです!」

銀髪で口を開くと尖った印象的な左の八重歯に黒いジャケットに灰色のTシャツとブラックなスリムジーンズを履いた『九条院大河』は黒髪を縛って受付に座っている『蓮花院通子』の報告に頷いて、左手のコンクリートの壁に電動ハンマーで丁寧に長方形の穴を開けて作られたドリンクカウンター用の窓口から内部のDJブースの『白鳳剛志』に向かってペンライトで合図をする。『蓮花院通子』が座っている受付の仕切りカーテンの左側のまだドアすら取り付けられていない鉄筋のはみ出た入り口から部屋の中に入ることが出来て──Caution! ──と注意書きが貼られた人一人分が通れる狭い入場口の向こう側には二十平米ほどの空間が拡がっている。

三、四十人の若者たちが既に思い思いの時間を過ごしながら、巨大なサウンドシステムがしっかりと設置された空間でDJの流すダンスミュージックに身体を揺らしている。

ウーファーから粘りつくような低音が発せられ、観客たちの気持ちをコントロールして徐々に大きくなる低帯域の音圧に気圧されるように立っている若者たちがこれから始まる宴に合わせて酔いを深めている。簡易的に作られたステージのライブパフォーマンスの為にPAがゆっくりとフェーダーをあげていくと奇妙でヘンテコなインダストリアルミュージックでコンクリートの建物を充満させていた小柄な女のDJはゆっくりとDJミキサーのフェーダーをコントロールしてBGMをフェイドアウトさせ、入り口から見て正面奥の壁の前に黒いパーカーとカモフラージュパンツを履いて立ち、彼の身体越しにプロジェクターで揺れ動く円形の光が表示されると奇怪な電子音が流れ始める。

PAは慎重にツマミをコントロールしてハウリングしてしまいそうな雑音を削り落として硬質な音響空間に寄り添うような音像を作り出していく。

六十四個のLEDが光るパッドと小型の8chミキサーを操る男はピンクの筆記体で『『Lunaheim.co』』と書かれた黒いパーカーのフードを被ると、ピンク色の筆記体の文字だけを残してそのまま暗闇に同化して姿を消してしまう。

スピーカーから変調されたサイン音が位相をずらされたり複製されたり増幅させたりを繰り返しながらノコギリ波や矩形波と複雑に絡み合って空間を電子的な音響で埋め尽くしていく。

兎の耳を生やした女の子は耳をぴくぴくと動かしながらスピーカーから流れる電子音に身を委ねてジントニックに一口だけ口をつけて頬を赤らめる。

LEDのパネルは色相の中を自由に多種多様な色で置き換えながら点滅していて、円形の光が映し出されていた壁は大切なメッセージを届けるようにして色と記号を不規則あるいは規則的にコンクリートの建物に集められた若者たちへ何かを伝えようとしている。

入り口からキシャーと深海の生物のような鳴き声が聞こえると水色の『インスタントビースト』を試しにぐいっと飲んでみたサメ型のリュックの女が背負ったリュックがノコギリ歯に変化した口を大きく開いているのを戒めながらゆらゆら揺れる若者たちをどのように調理すべきか威嚇している。

けれど、奇妙な喚き声は電子変調された空間と混ざり合ってやがて暗闇と溶け込んで機械的なノイズと区別がつかなくなって消えてなくなってしまう。

コンクリートの空間が蓄光性のペンキで塗られた壁が天井に設置されたレーザービームに反射しえて、電子の海で泳ぐ深海魚たちが運動法則の支配からの解放されるように俯き加減で音像の中に埋もれている。「きしゃー。やっぱり世界には知らない場所がたくさんあるんだね。私の頭の中みたいに音や光が踊っていてとても楽しそうだよね、ハリソン」

ドリンクカウンターで販売されているモチモチポテトスティックを美味しそうに口の中にほうりこみながら、サメ型のリュックの女は肉食のハリソンを満足させる食べ物を探すのを諦めて音に揺られてゆっくり目を閉じる。

「おはよー。大河。相変わらず無茶な儲け方をしているねー。奥入っていいかな」

受け付け付近で内部の様子を伺っていた『九条院大河』は首元まで延びた黒髪がきっちりと額で切り揃えられた巡音潤の姿を確認すると、何も言わず無言でベルベットの赤いカーテンをめくりあげ、ダンスフロアの外側の通路に設置されたドリンクカウンターの中にひきいれる。

カーテンの向こうにはジンやテキーラやラムやウォッカ、冷蔵庫にはいくつかの種類の瓶ビールが保管されていて、黒縁の眼鏡をかけ中分けのミディアムカットの『円覚庵慈』が銀色のマドラーを使ってカクテルを作り、鉄製の足場材の上へドリンクを提供している。

バーテンダーの邪魔をしないように狭いバースペースを通り抜けると、ダンスフロアと同程度の広さの部屋があり特別に招待されたゲストの為に作られたVIPルームが用意されている。

「お。──get up, stand up kids──のダブリミックス。相変わらず源はいい仕事をするね、しかもがっちりミニマムだ」

もう一つのコンクリートの部屋ではディープな音像が適切な音量で隣の部屋と同じBPMで同化するように、けれど丁寧に分離された空間を作り出していて、部屋に入ると緑色のカーペットの上でぼんやりと寝転びながら音や光を思い思いの嗜好品と一緒に楽しむ二十代から三十代の女性が大天井を見上げていて、入って左の赤いソファには小柄な黒髪の男の子が今日はゲームに勝ったことを誇るようにして茶色い髪を肩まで伸ばした女の子と舌先を絡めあってお互いの遺伝情報を交換している。

「大丈夫。オレとの契約は血が欲しくなり牙が生えるだけだ、だから安心してオレに任せるんだ」

そういうと、琳は自分より少しだけ背の高い茶色いボブカットの女の子に優しいキスをして唇を噛み血液を吸う。

彼女から小さく淡い吐息が漏れて少しだけ痛そうな顔をして声を噛み殺している。

「あのね、私はいつも血が欲しいいけない子なんだ。我慢出来なくなっても許してくれる?」

琳から少しだけ溢れた血を丁寧に舌先で舐めとってちょっとだけ唇を尖らせると、琳は赤いソファから立ち上がり『円覚庵慈』のところへ用事を済ませる為に女の子から離れる。

茶色い髪の毛の女の子は琳とは逆隣に座っていた男の子の方へ向き直り、口に咥えた金属パイプを持ってぼんやりと天井を眺めて意識を飛ばしている男の子の上に覆い被さると鬱憤を晴らすように唇を強引に奪う。

二人は意識を溶け合わせて粘膜同士が触れ合う繊細な感覚に溺れて流れながら時間をかき消すようにしてお互いを求めあっている。

吸血鬼の体液が身体中に馴染むと、茶色いボブカットの女の子から鋭く尖った牙が生えてくる。

規則的に繰り返すリズムが鼓膜を刺激して低音の中に潜んでいた狂気が埋め込まれた意識と同化して、ソファの上でキスを交わした男からボブカットの女の子は彼女がそうされたのと同じように血液と精気を喰らい尽くしていく。

VIPルームの左奥には隣とは違う形のDJブースが用意されていて反対側の壁にはまるでソファの上で絡み合う男女と呼応するようにして色相のずれた映像の中で乱れる女性が性器を貪る様子が周期的に変化しながら映し出されていてVIPルームの欲情を無闇矢鱈に刺激している。

きっと誰の目にも止まることのなかった女の感情のようなものが緻密に計算された音響と同期している。

「『円覚庵慈』くん。フロアで遊んでいてもいいかな。これ以上契約者を増やしても意味がないような気がしてきたよ」

「契約者が増えれば魔術師の能力はあがる。その為には今日のパーティはもってこいだと思っているけどな。『蓮花院通子』曰くカテゴリー2が引き寄せられて遊びにきているらしい。少しだけ息を抜きに行けよ」

──マジやばいよ──と声にならない声で『蓮花院通子』が中の部屋を指差していて、クラブスペースに琳はのっそりと入っていく。

琳が入り口からフロアに入ると、さっきまで奇妙な電子音響で空間を歪めていたパフォーマンスは終わっていて、ハードテクノがズシリと響く低音を響かせてBPMを一気にあげてフロアを暖めている。

中程に不穏な雰囲気を与える奇妙な関節の動きをして踊っている水玉の視覚を強烈に刺激するような色彩のワンピースを素足のままで着ている女性と彼女を両脇から挟んで手を繋ぐセットアップスーツを着た女性と白いワンピースの女性が立っている。

よく見ると、赤と青の色鮮やかな水玉のワンピースを着た女の関節は、丸い球体で出来ていて手も足も丁寧に縫合された人形のような身体をしているのが見える。

繋ぎ合わせられた手足は肌の色も肌の質感も全く違うようで、まるで複数の人間がバラバラに解体された後にもう一度別の人間に縫製されるようにして一つの身体に作り上げられている。

赤と青のワンピースを着た生きた人形は不自然な球体関節のまま低音に潜んでいる悪夢に祈りを捧げるようにして普遍性の排除されたダンスを踊っている。

白いワンピースのレンはこっそりと球体関節人形に向かって呟く。

「そう、あなたはそれで十分なの。思い出してくれたかしら」

フロア奥のステージには、右側にドラムセット、中央にベースアンプ、左奥にはパーカッションを中心とした変形したドラムセット、手前にはギターアンプが置かれてステージ中央にはまるで祭壇のように1202VLZ4PAミキサーの至るところから神経が接続されるようにケーブルが配線されている。

1202VLZ4の周りにはRE-201、DD-8、RV-6、T-Resonatorなどのエフェクターとシンセサイザーが取り囲み何かの神託をコンクリートの部屋全体に与えるようにして鎮座している。

ハードテクノで熱気がこもる空間とステージに作られた低音を侵食する為に作られた儀礼的祭壇によって神性の排除された雰囲気が構築されると、中央で手を繋いでいた三人の女は手を離してハードテクノを徐々に崩して変則的なドラムビートが入り始めたドラムンベースをDJが流し始めると球体関節がおよそ普通の人間の可動領域では実現出来ない方向へ曲がりながらBPMと同期した身体の動きを見せ始める。

左に曲がった首を追いかけて、右の腕が下向きに折れ曲り、右脚が左に曲がった首を蹴りつけようと上向きに折れ曲がる。

キックと左脚、スネアと左手首、ハイハットと指先が一つのうねりに近づいてつぎはぎだらけの身体が現象の具現化を求めて踊り続けている。

不完全で未完成の象徴が『TED|S』と呼ばれるスクワッティングパーティの狂気を最高潮に高めきった後に壊れたリズムはひび割れた周波数のサイン音に変わり、ステージにはドラム、パーカッション、ベース、ギターに続いてトランペッターがステージ奥のドリルで粉砕されて隣の部屋と繋げられた入り口から入ってきて、ひび割れたサイン音を切断するようなドラムでコンクリートの部屋を満たしていた緊迫感は完全な沈黙に包まれる。

あやつり糸の切られた『テクネー』と呼ばれる球体関節人形はその場にぐらりと崩れ落ちる。

セットアップスーツの女性と白いワンピースの女性が『テクネー』を抱えて左脇の壁際にもたれ掛けさせる。

誰も呼吸をすることすら出来ないほど静寂が過度の緊張を強烈に強いていて、時折現れるベースやギターやパーカッションの音像に縛り付けられるようにその場にいる若者たちは硬直する。

「あなたはただこの静寂の奴隷となる為に産まれたのよ」

規則的なパーカッションの硬いリズムがゆっくりと静まり返ったコンクリートの一室を切り裂いていくと、緊張を緩和させるエフェクティブなギターが緩やかに合流する。

恐怖ではなく支配でなく解放を求めてベースが足元を歪めさせていく。

誰かが紙巻煙草にライターで火をつけてゆっくり煙を吐き出す。

キックとスネアだけのシンプルなリズムに合わせて兎の耳や狐の耳や犬の尻尾、猫の声帯を持った人々が『テクネー』に持ち去られた鼓動を取り戻して身体を揺らし始める。

「なんで君はそんなに怒っているんだ。水の音が聞こえるだろ」

「聞こえる。空を飛んでいたら捕まりそうだ」

「何も考えないで踊っている方が楽しいだろ」

「あそこの猫耳の女が小さな声まで捉えたから?あれはずっとゆれているの」

キシャーという空気を切り裂くようなノイズが走り回ってサメ型のリュックの女の子と琳の会話は中断される。

音像と意識を結合させて空を飛んでいたのは自分なのか彼女なのか琳は分からなくなってしまった。

深くて重くのしかかるような残響に包み込まれた空間が低音を呼び戻して何度も爆撃を受けている彼らの日常が現在知覚されている非日常によって壊されてしまうことを、もしかしたらサメ型のリュックの女の子は感傷的になりながらぼんやりとしたモチモチポテトの味の中に見つけ出しているのかもしれない。

バタンとコンクリートの床に『テクネー』が倒れる。

「そう、生命が終わった時もあなたは同じ顔をしていたわ」

全身を真っ白な服で包み込んだ女が倒れた『テクネー』など気にせず揺れる。

低音が慎重に鼓動を揺らす。

パーカーを頭から被った男が内省的な感情を悟られないように身体を委ねる。

ドラムが無理矢理『テクネー』を引きずり起こす。

錫杖を揺らす金属音がして、中央の祭壇を牛耳るシャーマンが1202VLZ4に入力された信号から不要な部分を削除したり適切な回路を模写したり増幅と減衰を繰り返す音像で低帯域に存在している憂鬱と気怠さを融合させる。

『テクネー』の縫合された左足と右足が外れてしまいフロアの熱によって消滅させられる瞬間をイヨリとレンがいやらしい笑顔で手を差し伸べて救い出す。

「快楽指数によって提示された漆黒の定義は爆撃と迎撃によって完全性を求める行為だけに存在しうると考えられる。病には私の模造品がいつ怯えを宿して襲いかかってくるのか時間的な問題を正確に理解することは難しいけれど、曖昧な現象を具現化する為に私は呼び戻された」

トランペッターが詠う言葉の中に混入していた意味を拾いとって呼吸音で金属の中に溜まる空気を震わせる。

サメ型のリュックの女の子は水色の『インスタントビースト』が持っていた覚醒に関する記憶の想起を敏感に感じ取って薬剤がもたらしている危険信号をゆっくり味わっている。

「まあ、そうか。君は記憶を混在させているのか」

「うん。そう。ここでは誰も誰だかわからない」

「意地悪なやつだな。何処にいたって君はお前だろ」

「居場所がないなんて馬鹿らしいかな」

「うーん。たぶんキスをしたらわかるな」

「いや。お前はたぶんもう向こう側のことなんて忘れているでしょ」

何を忘れてしまったのか琳はどうしても思い出せず複製され位相が反転した音像にとりあえず身を委ねる。

左の壁際に立っている『テクネー』は涎を垂らしているから死体などではなく生命が身体の中に複写されているのは確かなようだ。

どうやらどこかの扉が少しだけ開いていて知らぬ間に良からぬものたちが入り込んでいますと『潮凪雫』からのメッセージがモールス信号のようにして点滅する光を利用して『TED|S』を運営する『E2-E4』のメンバーたちに伝えられていく。

「私はいつも一人きりだけどあなたにほんの少しだけ残された『銀のエーテル』は私の為に残されていたんだよね。きっと」

猫耳が頭の上に生えて黒い眼帯をしている芹沢美沙は身体をとても静かに揺らしながら彼女の右手の指先で『蜂』の刺青が首筋に入った女の左手の指を絡めて弄んでいる。

『蜂』は儀式を控えた巫女がそうするように踊りまわる音と光を芹沢美沙の呼吸から感じ取って片時も離れないように指の爪でしっかりと芹沢美沙の中指に傷をつけようとする。

猫耳の生えた彼女は仕返しに『蜂』の首筋に噛みついて肉を食いちぎろうとする。

痛みで顔が歪んでいるのに、彼女から注がれる唾液が傷口から入り込んでくるような気がして『蜂』はその場から動こうとしない。

低音が子宮を刺激しているのか芹沢美沙に触れられたから疼くのか分からずに『蜂』はやっと離れた首筋の狂気から流れた血液と唾液を混ぜ合わせて左手の指先で拭き取って口の中に含む。

「今日はいつもよりずっといやらしい気持ちが膨らんでいるんでしょ。だめだよ、これから大切な歌を歌うのに」

黙ってよと言い出せずに『蜂』は芹沢美沙の唇を奪って低音の氾濫が終わったステージ脇からスタッフ専用のスペースに一人で戻る。

芹沢美沙は離れた手の体温がまだ冷たく残っているのを感じて、ウォッカトニックを注文する為にドリンクカウンターへ向かう。

千八百センチの鉄製の布板に千円札を置いて冷たいお酒とトニックウォーターを混ぜたカクテルを注文すると、長方形の隙間から手が出てきて三百円のお釣りと一緒に細長いカクテルグラスが出てくる。

芹沢美沙がグラスを受け取ると、天井の蛍光灯がバチンッと弾けて一瞬だけ室内が暗闇に包まれる。

なにか、とくべつな、ものが、おとずれようと、している、と芹沢美沙はゆっくり独り言を呟いた。

「だって今日はあなたが私に痛みを分け与えてくれたから」

ベースアンプとギターアンプはそのまま置かれていて、無人のステージには黒い金属製のコントローラがキーボードスタンドの上に配置される。

スタンドの前には、RC-303やMT-2やRV-3などのいくつかのフットペダルが配置され不在を現前で置き換えていく。

Fenderベースがベースアンプの前に置かれると、店内に流れる余分なものを一切排除した硬く鋭く重いテクノがほとんど変化を感じさせないほどただ単純に規則的に繰り返される。

芹沢美沙は少しだけさっきの唇の柔らかさを思い出してウォッカトニックの味と混ぜ合わせてみる。

ちょっとだけ体温があがって、身体を揺らそうとすると音と光が突然遮断されて室内は完全で完璧な暗闇の中に引き摺り落とされる。

感覚器官を奪い取るようにして漆黒の空間は微かな物音ですら敏感にその場にいる人々に何か特別なもの存在を感じさせ、決して身動き一つ取れない危険の中に放り込む。

もし誰かが油断して少しでも身体を動かせば、隣にあるとても鋭利な刃物で肉を切り裂かれてしまうような恐怖から誰も脱け出せない。

とても時間が愛おしく感じられてほんの少し前までBPM116で繰り返されていた四分音符になんとかしがみつきながら死んでいるのではなく辛うじて生きているということを確認しようとする。

声を出せば伝わるはずの自我は他我との差異を確認出来ないせいか押し殺されたままで誰も満足に呼吸をしようとすらしていない。

誰かが我慢に耐えかねて、ライターのスイッチに手をかけて火をつけようとしたその瞬間に白く鋭い光がびりびりと暗闇を引き裂いてお互いの顔と顔を視認できるだけの光量を取り戻す。

ちょっとだけ冷や汗が出て暗闇から助け出されたと感じた瞬間に両脚で立っていることも辛く感じるほどの凶暴で野卑な低音がその場にいる人間全てを喰らい尽くそうとする。

身体の自由を完全に奪われる強烈な音像が定位だけを示して立ち現れてどうしても逃げ出したくて堪らなくなりゆっくりと右脚を地面から離そうとする。

けれど、その場に配置されることが当然であるような矩形が一分間にちょうど百八回鳴らされてしまうので身体の右半身と左半身は恐怖と快楽によって拘束されその場で揺れ動くだけで解放から遠ざかり始める。

冷や汗と呼吸が身体から少しずつまだ辛うじて残されていた自由を奪い去ると、救済と消滅を願う二百八十七キロヘルツの微かな声帯の震えが鼓膜から侵入してその場にいた全員の血液を沸騰させ始める。光と暗闇は互い違いにその場を支配して決して誰一人離そうとしない。

高音域に存在している運動法則は乱れることが一切なく完全性を追い求めることに疲れた不完全が強烈に意識と思考を統制して物理現象に存在している必然性から偶然性を取り除こうとする絶え間ない争いを幾重にも指先で、眼球で、左の手の平で、心臓で、肺で、腎臓で、足の爪の先で、そして隣に存在している人間の呼吸音と同期させて繰り広げていく。

ありったけの自由が創造され始める。

「溜息が憂慮している」

「現在を不在によって塗り替えている」

「けれど病理は前意識から離れようとしない」

「自然は断絶に抗っている」

「個人から取り除かれる前提を探求している」

「だから感覚が既に麻痺を求めている」

熱気が熱狂を履き違えないようにやってきて思考が全力で定義付けを求めることを辞めさせようとせず否定と肯定の海に叩き落とす。

終わりと始まりが連結しているような認識から逃げ出すこともしがみついて永遠に取り残されることすら出来ない。

『形而上に存在している記号と配列に関する簡単なラブソング』が壁面に映し出された条件を否定し続けている。

「私はだからここにいる」

短い声帯の震えと正弦波の振動だけが残り、機械が排除された空間が電気によって増幅される。怒号が善性を追い掛け回して衝突を繰り返し暗闇に火花を散らしている。

希望の色がわからないと小さく囁く声が耳元に届く。

黒い太陽が刺繍された眼帯の芹沢美沙が手を繋いだ三人の女の姿を一眼レフカメラのファインダー越しに追いかける。

「あなたはどうしてすぐに壊れてしまうの」

レンは職務を放棄して訴える。

「お前の左手首は皮膚を薄く削ぎ落とす苦痛に耐えられなかった女のものだ」

イヨリは過ぎ去った思い出が嫌悪感を混入させていることに気付いて嘆く。

「ウタウ。オドル。エガク。カキシルス」

イノリを忘れた『テクネー』は左腕を雑に縫合される。

「全てはお前の矮小さから始まっているんだ、何故四肢を分解された時に気付かなかった」

イヨリはとても冷静に冷徹に『テクネー』が欲動を抑えきれなかった恥辱を肯定しようとする。

「お前は四十八人の人間の身体が縫合されて出来た紛い物なのよ、二度と忘れちゃダメ」

吐き出された呪いが『テクネー』からこのまま引き剥がされないようにして取り憑くとイヨリとレンは再び『テクネー』から手を離す。

糸は正確に意識と思考に関する適切な訂正箇所の分だけ『テクネー』の身体に記述された正規表現を縫合している。

特異性を求めようとする人間から取り出した奇異性が逃げ出さないようにイヨリとレンはPhysisを名乗り、今まで四十八人の人間に百八通りの苦痛を与えてきた。

「そう、抑圧から解放されなさい。それがまがい物であるあなたに出来る唯一の手段と目的よ」

イヨリは白々しく嘘をついて、不自然な球体関節の動きをする『テクネー』に魅入られる男へ屈服の証を見せるようにと、刹那の愛を求める。

レンは職務に戻り、ワンッと綺麗な犬の鳴き声を発して再び入り込む機械原則に基づいたリズムに身を委ねる。

手に持ったカクテルグラスのアブサンを口にして白濁した液体が夜と混ざり合って酔いをずっと奥のほうへと沈めて深めようとしてくれる。

「あぁ、やはり先生のいった通り、この街の人間は嘘と本当を別々にして考えて生きているんだ。忌々しい歌はあの人形に取り憑いている時にだけぼくに聞こえているよ。だって君はやっぱり帰り道に告白をした時のままじゃないか」

サメ型のリュックの女の子はもう少しだけこの場所にいたいけれど、これ以上長居したらハリソンがお腹を空かせて新しくも古くもないパンを求めて暴れだすに違いない。

出来るだけ優しい言葉で話し掛けてくれる人が踊っているこの瞬間に逃げ出すのなら、きっと先生も許してくれるねってサメ型のリュックの女の子は以前にどこかでお会いした黒い眼帯の女に静かにお辞儀をしてその場から離れようとする。

「いいえ、私は肉感ではなく、きっと記憶を頼りに肌を求めているだけです。お別れするには早すぎませんか?」

芹沢美沙は暴力を具体的に表現しようとしていた『蜂』の性愛に関する疼きを写真の中に納めたことについてサメ型のリュックの女の子に取り返しのつかない言い訳をして困らせる。

「まぁ、彼らの名前は『metaphysics』と言うんだ。最後まで見ていけよ」

うっかり漏れていたはしたない気持ちを恥ずかしく思うことなんてないよって琳はそういえば行き違いになった記憶がどこかにあったことを思い出して、それが鐘の音の鳴る校舎であったような気がしてサメ型のリュックの女にあった鼻の下の傷跡を見て確認しようとする。

「見えない空間にある聞こえない声。私も最後まで見ていいのかな」

踊り疲れてスタッフルームに戻ろうとした琳とフロアに追いすがるような気配を感じた巡音潤がすれ違う。

巡音潤は矩形波に混ざりこんでいた微細な金属音の波長が気に障り過大な電気量が流れる増幅装置に話し掛けて意志を呼び戻し会場に供給されている臨時の電力が増幅装置の機能を完全に停止させるようにと指示をする。

「あのさ、預言は優しい記号と簡単な数字で与えてよ。馬鹿どもにこんな話が理解出来るわけなんてないでしょ、それじゃあ。さようなら。今日はこれで終わり」

バチンッとスピーカーが飛ぶ音がして、アンプが途切れて微かに残された蛍光灯だけが視覚情報を簡単に補っている。

きっとこのまま暗闇にいるよりはずっとましだろうと巡音潤は機械たちと打ち合わせ通りの契約を実行する。

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