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落葉掃く折れた腰故に兵隊

今日から新シリーズ。テキスト文字起こしアプリを使った文章。編集は一切なしなので精度次第では結構誤字脱字があります。よかったら読んでみてください。

時間がもったいないので、えー、話、言葉をメモに変えて、ゆっくりと、今日の気分をお記していきたいと思います。

夢の形がわからないので、えー、とりあえず、少しずつ浮き彫りにするために、 頭の中に浮かんでくる言葉を、あー、ゆやかな、あー、そう、装置。装置とは一体なんだろうか。その装置の存在を探求していいるはずで、 私は、システムに基づいた、理論的、えー思考体系を を模索していると。そのシステムに基づいた、えー理論的思考体系というのは、えー、ある文化圏では、神と呼ばれていて、 とある、えー文化圏では、愛と呼ばれていて、えと、ある、 うー、企業では、それは、あー、金と呼ばれているんですが、まあ、この、この状態はですね、全は、1であり、1は、善であると、えーと、11という、 えー、ワンですね、えー、まあ、かみは1人しかいないわけだし、基本的に、ま、多神教ではなく、一神教の世界では、その、1 1位である神であ、が、えー、全である私たち社会全体に、内包されていると。つまり、神と私は、同一であると同時に、その、えー、その、 善の中に、神という位置があったとしても、前の中には、愛や、金や、えー、 えー、都市や、えー、文化や理論みたいなものが、えー、ま、コーヒーも含めてですね、あると。つまり、神という位置は、えー、全という状態に、すでに内包されていて、えー、全 と同時に、その全社会、私君、えー、愛 か神。ま、これも全て全ですよね。全体の全と、その1である私、もしくは神、もしくは愛。はい、同一であると。ま、この、この問題についてね え、これを理論的に説明することができないだろうかということを、ひたすら、えー、 えー、追い求めているんですけど。なんでもいいけど、それね、あの、あ、い、いや、まあ、ここで問題。ここでギャグに走ってはいけない。今、今、今、必要なのは、これも文字起こしされてしまう。

私はこの文字を、ブログと、ブログになっている、ブログとして記録していいのかどうかわからないんですけど、ここでね、あの、今、 一連の問題を、文字くとして書き起こすメモを使っているんですけど、ここにはね、声のトーンが、えーと、記載されていないんですね。えー、 えー、これは全て、1バイトの文字として、えーと、テキスト情報に変換されていくわけですけど、えー、 えー、私はね、その、空気の震え、響き、響きですね、これこれ、昨日か。お、昨日か、一昨日ね、あの、ゆうー、知り合いの、知人のね、あの方と話していて、魂とは一体なんであるか、それは響きであるというはではないかとね。魂は、その響き、 えー、空気が震える、音の振動によって得られる、存在を、か、存在を知覚できる、 近くっていうのは、まあ、あれですね、聞いたり、聞いたり、感じたり、触れたりすることができる。それに対して認識。認識っていうのは、見たり、感じたり、聞いたりはできない。してるわけではないけど、頭の中でそれだとわかる。うー、例えば、優しさ。 優しさは形は存在しないですよね。あのコーヒーカップを優しさだと。それは定義できないですけど。

優しさというものを見ることはできないけれど、例えば、それぞれを、その人々の所作での優しさというものを認識できる。えー、それに対して、コーヒーカップ。コーヒーカップはね、知覚と認識がね。ま、同一ですけど。あのー、知すること、目で見ると コーヒーカップと知覚できることで、認識情報としてもコーヒーカップの頭の中でそれをきちんと理解できるようになる。 えーと、えー、話が、あの、あっちこちら言って、何を話していたたかちょっとわからないんですけど。まあ、何を話していたかわからない、私は、何について話したいのか ということが 今問題であってね、それが、えーと、やはり、えーと、問題となっていて、それを理論化した思考体系とよ、呼ぶわけですけど、えっと、2000年から3000年前に、ブッタは、この、この理論化した思考体系というのを、一切は空である、え、空洞であり、そこには、えー、何もないのだと、無の状態があるのかもしれないと、空であると、 おー、定義したわけですけど、その、ぶったのね、あの、その、人間が何かを求めている、 その、じゃあ、それは愛なのか、神であるのか、恋人との、まあ、結論としては、確かに、恋人とのsexで、そのsexを通じて、その理論化した思考体系をの実態化を、知覚、認識に至るまで、えー、人はそれを、お お得ることはできるんですけど、た、で、も、とは、とは、いいですね、今日の3時54分にsexを始めましたと。えー、4時5、 えー、4時37分にsexが終わりましたと。じゃあ、4時38分から何をするかというと、当然ながらsexはできないわけですよね。よその、その4時38分から5時14分まで、ま、もう1度sexがしたいと思う 段階に至るまでのあいだも、私は、私は思考を続けていて、 その思考が、えー、4時38分から5時14分までの間、止まるわけではないと。私たちは、その時間ですら、その理論化した思考体系を求めている。では、その sexをし終え、し終えた後に、私たちは一体何を求めているのか。というその葛藤について、考えれば考えるほどわからなくなり、 では一体その結論が出た後の私は何を得ればいいのだろう。という、えー、堂々巡りに入ってしまう。と、まあ、ここね、問題をね、解消するために、ブッタは、えーと、一切はであると説明したわけですけど、 まあ、おでっさん、ブッタの中にはね、おでっさんがいて、素晴らしいです。ブッタと、ブッタの話がよ、理論化、そのされた思考体系を 理解できた人たちがいると、とは。とはいえ、一切は食うでやると。何を言ってるんだこのおじさんはと。意味がわからないよ、あなたの言ってることは、と。そんなことはどうでもいいから、金でもくれと。飯でもくれ、ご飯でもくれ、女でも犯させろと言ってる人たちはたくさんいたわけですけど、えっと、それをね、あのお、まあ、頭のいい人の中には、それを、きちんと、頭に理解して、 は、はあ、なるほど、あなたの言われていることは、こういうことなのですねと、や、やってきた方々達が、ま、日連であり、診断であり、 え、空海でやり、と、それぞれ、えー、ぶたのおっしゃっていることを、きちんと解釈して、それを、お経にまとめていったと、あー、で、それを、さらに多くの人に伝える努力をしてきたというのが、仏教ですけど、えー、ま、その仏教 おは、科学に先駆けて、意識の中で、えー、それを理論化して、体験させていたと。

現代科学においては、えー、相対性理論、万遊引力、量子力学と呼ばれている問題は、それを、お経にまとめていったと、あー、で、それを、さらに多くの人に伝える努力をしてきたというのが、仏教ですけど、えー、ま、その仏教 おは、科学に先駆けて、意識の中で、えー、それを理論化して、体験させていたと。

現代科学においては、えー、相対性理論、万遊引力、量子力学と呼ばれている問題は、うー、思考、少なくとも思考状態の中では、しあのか、完全に理解することができた。それを、 そして、世界の成り立ちとして、結論は一切は空であるという結論に至ったわけですけど、 その後ね、何千年も経って、人間は、その、ブッタが至った思考体系の中に、うー、思考、少なくとも思考状態の中では、しあのか、完全に理解することができた。それを、 そして、世界の成り立ちとして、結論は一切は空であるという結論に至ったわけですけど、 その後ね、何千年も経って、人間は、その、ブッタが至った思考体系の中に、あー、私とは一体なんのだろか。哲学的な問題ですね えー、どんどん、どんどん、科学や数学によって理論化したし、とされた思考体系そのものを浮き彫りにしていく うーことを始めたわけですね。これは、文化圏の成立、社会の成立、科学の発展という、えーえー、名目というよりね、こう、名目っていうのか、なんていうかな、えー、を通じてね、えーと、発展させてきたわけですけど、えーと、 まあ、そういうわけでね、ちょっと待ってね、これね、音楽を聞きながらじゃないと意味ないから、この、メモを使っていて、タイピングす、 タイピングするも、めんどくささがあって、もう眠いから、あの、できるだけ、えー、手、手をは省いてね、えー、 メモに、メモを文字起こしてしていくと、ま、とりあえず10分間話せているので、これを、こ、 これ、ブログにすると、どのくらいの長さになるのかな。ちょっと、め、メモに文字起こしだけしておきたいんだけど、あの、とにかくですね、あの、あー、こういうこともどんどんメモっていかれるわけですけど、 まあ、そういうわけで、異論化した思考体系というものを考えれば考えるほど、私たちは、えー、 えー、何かよく分からないものに取り付かれて、心という問題のおーが、えー、迷いを生じてね、生きることに対しての障害を生じてされてる。なぜこのような不都合な、えー原理に基づいて人間が形成されているのか。

えー、じゃあ、その、と、という問題を排除してさえ考えれば、その迷いは生まれず、その迷いによって 選択を見誤ったり、えー、手段を、おー、履き違えたりはせずにね。万人が当然ながら、同様、同一の方法によって幸福という、えー、人間が目指すべき理論の統一、到達点に、えー、 えー、最短距離では突き走ることができるわけですけど、それを、理論化した思考体系と、仮に名付けておく わけですけどね。理論化された思考体系。えー、それ、それさえあれば、私たちは、その心によって惑わされることなく、常に最短距離で、ま、1は全である。前は1である。まー、紙が欲しいのであれば、カ。 えー、神という絶対者ですね。この世界を創生した神。えー、私たちが作ったわけではないと、この、えー、責任放棄ですね、ある種のね。

この世界は私が作っているのではない。私自身の意識や行動や言葉や、えー、えー、意志によって私はこの世界を作っているわけではなく、常に最短距離で、ま、1は全である。前は1である。まー、紙が欲しいのであれば、カ。

えー、神という絶対者ですね。この世界を創生した神。えー、私たちが作ったわけではないと、この、えー、責任放棄ですね、ある種のね。

この世界は私が作っているのではない。私自身の意識や行動や言葉や、えー、神がこの世界を作っているのだという責任放棄さえあれば、少し楽ですよね。

なぜ私はこのような不幸にまみえるのだろう。私はなぜこのような 障害にぶつかって苦しめられるのだろう。これは実は神という存在がいて、私を試しているに違いないと。あー、どのような努力を重ねたとしても、そこに、え えー、ひどく悪らつな瞬間や、ひどく悪らつな、ひどく問題のあるうー瞬間が断続的に続いていることを神と呼ばれているかもしれませんが。

えー、まあ、そうではなくね。神に責任放棄をせず、自分が、あー、到達するべきじ、時間をね、えー、作って。このこの世界は私自身が作っているのだ。

私自身の悪らつな行動。例えば、タバコを吸う。ご飯がまずい。えー、友人との喧嘩してしまった。

えー、感情に任せて世界をはね返されてしまった。これは私自身が作っているのであって、神でも、あくまでもなく人間である私自身が社会を創生している。世界を創生している私自身が、 世界そのものを書き換えていくことができるんだ。という話ですね。えー、まあ、神の存在を認めるかどうかに関しては当然ながら科学的問題があってね。じゃあ、神というのは実は言葉ですよね。

私たちは、猿ではなく、えー、カブトムシではなく、言葉を通じてコミュニケーションをしていくわけですけど、えー、例えばコンピューター、このコンピューターという言葉は300年前には存在しなかった。では、どこからそのコンピューターという言葉が生まれたかというと、 およそ、えーし7、80年前の人間が、えー、コンピューターという機械を作って、ではこれを、このこの機械にはなんと名前を名付けよう、コンピューターという名前をたず、 つまり言葉そのものを作ったわけですね。では、そのコンピューターと同じように、りんごという言葉も。あと、ある1点で、まず、木になっていた赤い木の実を見つけたと。これをなんてみんなで呼ぶ。と話し合った結果、これをリンゴと名付けてみんなで共有。じゃあリンゴの木を取りに行こうと。で、その時点でリンゴという言葉が生まれたわけですね。

で、神も同様であって、あるとある一点とあるある時代、何時代に、ど、どのタイミングで、その神という言葉が生まれたかどうかは別として、 私たち人間が、言葉によって、ある意識の状態に対して、神という言葉を、えー、作り上げたいですねえー。ところが、それは1000年、2000年、3000年以上昔に作り上げられた言葉であって、例えば暗闇。目を閉じた後に何も見えないその空間に対して、 人間はある種の恐怖を感じた。そこに、現代のならば電気をつければ簡単に問題題は解決しますが、電気のない時代、火を起こすことがない、できない時代には、 その暗闇そのものを神と名付けて、えー。私たちは未知の状態、わけのわからない状態を神として解釈するしかなかったと。もう、現代においてね。そのお暗闇の多くは、相対性理論、もしくはライターの日、電気の明かり、友人とのあの おコミュニケーション、恋人との愛のささやき、笛のね えーピアノの旋律といった問題で、その暗闇の中にある恐怖を解消することができてるわけですね。つまり、神と呼ばれる言葉の領域に存在する意識の段階は、ほとんど隙間がなくなっていると。

すでにね、あの お解明されていた時点で、神と呼ばれるような、えー意識の状態はほとんど未解明であると。ところが、私たちには当然ながら、えー、相対性理論はわからないです。私は高卒であり、大学を専門教育は受けて、相対性理論を理解しているわけではない。

いいイコールmc事情。エネルギーは質量をかける光の速さの2倍で、 えー、求められると、そのエネ、それを、相対性理論と呼ぶわけですけど、その、と、相対性理論が実際はどういった結論を通じて得られる問題なのかは理解できていないというわけですね。


あー、その理解していない問題に対して、私たちは、あのー、分かるというけ、あの、適当な話をして、相対性理論の問題を、 えー、適当に解釈しているわけですけど、当然ながら、それは、相対性理論がわからない、つまり分からない問題が存在しているわけですね。その分からない問題に対して、私たちは、神という言葉を 医薬的に名付けて、医薬的というか、死意的というか、なんというんですかね。あのー、とりあえず、気まぐれに名付けることで、その神という問題を定義してきたわけですよね。その神を定義してきたことで得られる思考体系は、 私たちにとって責任放棄を届ける。私はわからないという言葉をわからないと定義することができないかも。かもしれないと。

分かるという問題が、ど、どれほど大きいのか。それは、世界最高の天才であったとしてもわからない。むしろ、世界最高の天才であるからこそ、そのわからないという部分がどの部分であるのかを理解していると。1足す1は2。本当なのか。と。 1足す1が2ではない可能性も実は存在してるんだよ。なんか、1と1の間には、実は0.3ミリ0.333333という、 あー、細かい単位が入っていて、本当は1足す1は2.22.333333なのかもしれないと。このプラス記号の中に存在してる1足す1という定義を覆すだけの理論が現れるまでは、神にその座を1足す1は、2は奪われないわけですね。

まあ、そういった問題を複雑に解釈していく過程で、私たちがこうやって、え えー、言葉を紡いでいく段階でね、えーえー、では結論とは体なのか。理論化した思考体系とは一体何か。という問題をね。金で解決する手段もある。それは電子レンジに置き換わる可能性もあるし、車に置き換わる可能性もある。

人生という結論に対して何を1番欲するべきなのかということを一生懸命結論したところで、それは単純に個人の自由であり、どうにもならないと。まー何が便利であるのかなんていうことはね えー人によるもので、個人差という問題を受け入れられない人間の愚かさがそれを、そういった問題を定義しているわけですけれど。まあそういうわけで、とりあえずそろそろ終わろうかな。ま、20分話したからそれでいいのかな。

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