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03. Vinum Sabbathi

フラスコの中に、ゆっくりと体内で-Cに生成したエーテルを注ぎ込むとガラスの中にある化合物がエーテルと結びつき分解され新しい魔術化合物が生成される。

虹色に輝くその物体は魔術方程式番号百七十三番『太陽の吐息』と呼ばれるもので、高校生の初等魔術物理学の授業で造り方を習う簡易的なエネルギー体だ。

物理的殺傷能力はないけれど、高位の『太陽の吐息』がもたらす温熱効果は例えば雪山で遭難した登山者が特に防寒具を用意せずとも朝まで過ごすことの出来る緊急避難魔術の一つで多くの魔術回路を有した人間たちが基本的に使用することが出来る。

けれど、長い黒髪と黒いマニキュアと暗めの化粧をしたいかにも魔術師といった印象を与える彼女の作り出す『太陽の吐息』には、一切の温熱効果が発生しておらず、七色に輝きながらも不安定な分子結合を露わにしているだけでおよそ一般的な魔術生成には程遠い。

彼女以外の2-δのクラスメイトはほぼ完璧にこの魔術をマスターしていてこの授業のためにエアコンが全開にされた魔術実験室の室温が五度ほど一気に上昇して魔術生成を開始する前までの肌寒さが消えている。

すると、パンっと出席簿を叩く音がして一斉に『太陽の吐息』がふっとフラスコの中から消滅すると、ピピピッと電子音が鳴りエアコンの設定温度が通常状態に戻される。

「はい! 大体この魔術生成には問題はなさそうね、次回からは五十六番、『虹と光の屈折した感情』を習得していくわ。各自きちんと予習しておくように」

三角眼鏡と黒いセミロングヘアに長い白衣と少し短めのミニスカートにハイヒールを履いた魔術物理教師中神は2-δの生徒に、綺麗な透き通る声で四限目の授業の終わりを告げると、ゆっくり出席番号四十番、巡音花音の元にやってきて小さな声で誰にも悟られないように囁く。

「お父様からお話は伺っています。テストの件は心配しないで、あなたのお兄様やお姉様が気にかけるようなことは何一つありませんよ」

感情を押し殺すようにして、巡音花音は強く歯を食いしばり、どのように錬成しても光の灯らない手のひらのエーテル体をみて、あははと、虚しそうな声をあげて笑う。

巡音家は、魔術回路が誕生した当初から存在している名門中の名門で過去に内閣府及び霞ヶ関に何人も高官付きの魔術師を輩出しているだけではなく、当然ながらチルドレ☆ンへも筆頭魔術師を送り出している。

けれど、巡音花音は、そんな名門にあって初めて誕生した不完全な魔術回路の持ち主であり、彼女の作り出す基礎魔術には必ず欠陥のようなものが存在していて、ゆえに、彼女を知る魔術関係者は侮蔑と不遜をこめてこう呼ぶ──死に魅入られた魔術回路+ゼロリパブリック=巡音花音──と。

「よぉ。万年落第生。今回は絶対零度の太陽か。なかなかシュールな作品をつくるよな。専攻を間違えているんじゃないか」

九条院大我は銀髪のショートヘアと左耳の銀色のピアスをチラつかせながら、ニヤニヤと悪意ある笑顔で近付いてくると右肘を巡音花音の左肩に乗せ顔を寄せてくる。

「いえいえ。二年生筆頭、『白銀のアルキメデス』様にお声掛け頂けるなんてとても光栄です。で、今回のお調べ物は一体何かしら。ググレカスと一言言って頂ければすぐにでもお調べしますデスワヨ」

巡音花音は左肩に乗せられた九条院大河の右肘をさっと外すと鞄の中からスマートフォンを取り出して画面の暗証番号を解除し、検索するポーズをして九条院を睨みつける。

「うんにゃ。大したことじゃない、ただな、ここ最近旧校舎に『羽根無し』の連中の気配を感じることが多いんだ。もし、『暗がり』の仕業なら俺様にも、二、三責任を感じるところがあらんでもない。ここ最近、課外活動交流許可証を取った生徒の名簿を手に入れることは出来るか?」

『ゼロリパブリック』は、はぁぁと大きく溜息をついて両手をだらりとまた魔術以外の頼まれごとを──もちろんそんなものを頼まれてもまともな魔術は発行できないけれど──されたことに失望し、クッと下唇を噛みしめるフリをする。

「おーけー。じゃあ、金曜日までには彼らの顔写真まで添えてご提出させていただきますわ。それではごきげんよう、どうかあなたの元にありったけの不幸がまいこみますように」

赤いチェックのスカートの裾を両手でちょっとだけ捲しあげ、足を交差させながら軽くお辞儀をすると、クルッと向きを反転させそのまま魔術物理室をスタスタと悔いも残さず出ていく死に魅入られた魔術回路の背中を見送ると、九条院は学園章のついたブレザーの右ポケットからスマートフォンを取り出してどこかにメールを送信する。

他の生徒たちは魔術物理室から自分たちの教室へ移動していて巡音がいた席にあるフラスコには何故か魔術物理教師中神の簡易失効魔術の効果が適用されなかった冷たい太陽がびりびりと酷く苛立った不安定な形で蠢いている。

九条院が尖った八重歯で唇を噛み締めると微かに血が垂れ流れる。

「へー。魔術耐性は俺より遥かに上か。死んだ回路が一体どこに接続されればこんなものを産み出せるんだか」

ガラス製のフラスコを右手に持ってゆっくりと左手で生成した白銀のエーテルを少量だけ注ぎこむと、九条院はフラスコをテーブルの上におき、巡音と同じようにクルッと百八十度向きを変えて魔術物理室を後にしようとする。

フラスコ内部に満たされた白銀のエーテルは絶対零度の太陽と化学反応を起こして激しく歪に形を歪めると突然パンッと大きな音を立ててガラス製のフラスコ毎粉々に吹き飛ばしてしまう。

魔術科棟二階の最も南側にある魔術物理室を出てふと普通科との連絡通路である渡り廊下の向こう側を九条院大河が振り向くと、小太りで陰気そうな男と狐顏に黒縁の眼鏡をした出歯のひょろひょろした男が何か親しげに話し合っていて、小太りの男が結界に向かってゆっくりと右手の指先を出すと、ばりばりと鋭く電流が走り回る様子にうろたえて慌てて手を引っ込めている。

すると、今度は小太りの男はひょろひょろの男を結界に向かって突き飛ばしひょろひょろの男が魔術結界に衝突すると帯電した電荷が全身を覆ってそのまま地面にずるりと彼は跪く。

九条院は呆気に取られて思わず、一部始終を観察してしまうけれど普通科の連中が悪戯半分で交流証も持たずに魔術結界に近づいているんだろうと考え視界に映る不自然な魔術結界の発動には気も配らずに、はははっと笑ってそのまま自分の教室に戻っていく。


*

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「あはは。白河くん、全身マッサージを思う存分堪能する気分はどうでござるか。最近腰痛が、と言っていたので思わず突き飛ばしてしまいましたよ」

女々しく軽く呻き声をあげながら白河君はゆっくりと立ちあがる。

「なんてことをするデござるか! 思わず意識が飛んで黒こげの白河が出来上がるところでござったよ、小生はこんなところで一生分の運を使い果たしてしまった気分でござるよ!」

必死の形相でぼくに抗議の意志を伝える白河君の顔があまりにも気持ち悪くて思わず吹き出しそうになってしまうのを堪えながら、ごめんごめんと謝りつつ、もう一度白河君をぼくは突き飛ばそうとする。

「ええい、いっそのこと身体を張ってこのしち面倒くさい魔術結界とかいうやたらと厨二病くさい名前の装置を解除してほしいのだが、白河君、親友の頼みだと思って頼まれてはくれないだろうか」

あらぬ行動でずり落ちた眼鏡を直しながら白河稔は急に眼光に妖しげな光を宿して挑戦的な口調になる。

「ふふふ。あの奇怪な魔法少女たちに熱をあげてしまうとは佐々木氏らしくもない行動ですな。おおかた日曜日に早起きをし過ぎてロリータ少女に夢中になった挙句に、マジカルステッキでも欲しくなったのでござろう」

白河稔はまるで土曜日深夜から日曜日の朝十時までのぼくの行動を見透かしたような眼光でを問いただす。

「違う違うでござる。※5キュアブラックもキュアホワイトもステッキなど持たずにステゴロでござるよ、魔法少女を舐めてはいけない。まぁとにかくやはり交流証が必要でござるなぁ」

大袈裟なリアクションを取り、二人組の似非魔法使いのお話を理解していなかったことにショックを受けて項垂れる白河君。

「なるほど。瀧川と米澤の件でござるな。相変わらず危ない橋を渡るのが好きなお人でござる」

鋭過ぎる白河君の指摘にこのお方はもしやぼくの生活の一部始終を監視しているのではないかと疑念がよぎるとともに、田辺先生の絶対秘密厳守! というやたらのノリの軽い忠告と『phoenix』の試験管に隣接されていた紫色の怪しげな液体のことを思い出しぶるぶると頭を振り回して否定の意志を示す。

「彼女たちのことというよりもごくごく私的なことでござる。小さなきっかけで産まれた小さな旅立ちのお話でござる」

かっと目を見開きちょっとだけ白河君の目にまたしても怪しげな光が灯った気がしたがそんなわけはないと居住まいを正す。

「なんとポエジーな表現。もしや禁忌に手を出したのではござらんか? 佐々木氏ともあろうものがなんとる不届き! 小生、いまにも怒りに震えそうでござるよ!」

ふんふんと鼻息を荒くする白河君、この人はあと何パターンほど表情のレパートリーを持ち合わせているのだろうか。なんと感情表現の豊かな狐野郎でござろうか。

「いやいや、拙者腐っても鮒でござる。そのような世迷言に惑わされる男ではござらんが……って白河君、それはともかく、ここ一ヶ月ぐらいの魔術科、普通科双方の交流証取得者名簿って手に入れられるかな?」

ふふふと不敵な笑みを浮かべてお得意の眼鏡をクイッとあげる決めポーズをする白河君。

「小生はこれでもネットの世界では少々名の知れたハカーとしてブイブイ言わせているでござるよ。そのぐらいならば、視聴覚室のパソコンを使いチョチョイのチョイでござる、バックドアの白河とは小生のことでござる」

油断して右手で魔術結界に寄りかかり強烈な電撃を再度お見舞いされる白河君の眼鏡が思わず床に落ちてカシャリと音を立てる。

「なんとそのような二つ名をお持ちとは! ではお昼休みは視聴覚室でサーフィンを決め込みませぬか?」

なんだかいつのまにかぼろぼろの白河君を悪巧みに誘うと白河君が真っ白な歯並びの良い、けれど前歯の飛び出た笑顔をこぼす。

「よいでござるな! どうせ五限の化学の新庄はまったくいけ好かないエロ教師。お昼休みのうちに現実逃避を完了させに、二人でネットの海へダイブしましょう」

二人はいそいそと後ろを振り向いて三階への階段へと向かい、学園随一のPC設備のある視聴覚準備室へと向かう。


*


ガラガラっと木製の引き戸が金属レールの上を走る音がして職員室の中へ入っていくと、巡音花音は、いつものように扉から一番近くに座っている国語教師"梶川"に声を掛ける。

「すいません、交流証を発行してもらいたいんですけどー、お願いします。魔術科2-δ、巡音花音です」

デスク上で古いノートPCを睨みつけながら何かの作業をしている四十代の黒縁眼鏡セミロングの梶川は背中に羽織ったクリーム色のカーディガンを着なおして巡音花音のいる第二職員室の入り口を振り向く。

「あら。あなたは確か巡音家の。そう。交流証ね。使用目的は何かしら」

巡音花音は自然な笑顔を崩さず質問に応答する。

「はい。魔術物理演算のレポート作成に必要なスペックのPCが普通科の視聴覚準備室にしか配備されていないようなので」

疑う様子もなく、彼女のデスクの右手に置かれたプラスチック製の引き出しの一番上から赤黒い魔術刻印が押された交流証を一枚だけ取り出す。

「そう。それなら仕方ないわね。レベル1で良いのかしら。悪戯目的じゃないわよね?」

あははとちょっとだけ不自然さが滲み出る笑い声をあげて巡音花音は交流証を受け取ろうとする。

「もう先生だって私がきちんと魔術を使えないこと知っているじゃないですかー。悪戯なんてしたくても出来ませんよー」

巡音花音の笑い声に同調するようにして、梶川はクスッと笑い、

「たしかにその通りね。それじゃあ、名前とクラスを記入お願い出来るかしら」

ちょっとだけ嫌味な顔をしてそっぽを向き──一応名門の娘なんだからちょっとは気を使いなさいよ、けっ──と捨て台詞を吐くと不審そうな顔をした梶川に再度作り笑いを向けて受け取ったバインダーに挟まれた交流証の魔術刻印の脇に赤い特殊なインキの出るボールペンで──2-δ巡音花音──と書き入れると梶川はデスク横のコピー機で交流証をスキャンした後に巡潤音に真っ黒な紙の交流証を手渡す。

職員室を出て普通科への魔術科専用渡り廊下の入り口に立った巡音花音は交流証を結界に放り投げると交流証はみるみるうちに魔術結界を吸い込んでいきペンのインクごと真っ白な紙に変色して結界が消失し、すっと白い交流証もまるで最初から何事もなかったかのように宙へと霧散する。

すぅっと息を呑んで渡り廊下へと足を進めながら青い通学鞄に入っているスマートフォンから──よかったね──という声が聞こえたことに気付く。

初めて機械から声が聞こえたのは五歳の時だった。

リモコンでかちゃかちゃと意味もなくテレビをいじっていると小さな声で──何を探しているの?──とどこからか聞こえてくる。

不思議に思ってあたりを見回すと目の前のテレビがばちばちと画面を消したりつけたりを繰り返してくる。

──あなたはだれ?──と質問するとテレビは──いつも君のことは見ているよ──と答える。

なんだか嬉しくなって笑い出すとテレビもそれに呼応するようにしてチャンネルを自動的に変更する。

その後も、例えばお兄様のバイクやノートPCや電子レンジなどの声を聞くことがあったけれど、どんな機械からも声を聞くことが出来るわけではなく、たぶん、きっと、少しだけ思い入れのある機械からだけ声がしてきて巡音花音と意志の疎通を図ろうとしてきた。

けれど、それはなんだかとても忌まわしいことのような気がしていてお兄様やお姉様はともかく父や母やもちろん妹にすら話すことが出来なかった。

きっと私の死んでしまっている魔術回路が原因なのだろうとそう思い込むことにした。

巡音花音がそんなことをぼんやりと考えながら学園名物の五十メートルの渡り廊下の中ほどを通り過ぎようとする頃、魔術科用渡り廊下の内側へ並ぶように作られている普通科用の渡り廊下のほうに顔を向けると、肩程まで黒髪に黒い眼帯をしたとても不思議な雰囲気の女子生徒がたくさんのプリントを抱えて歩きながらこちらをみていた。

偶然にその瞬間だけ巡音花音の両眼と彼女の眼帯をしていない右眼が合った瞬間に、まるで、すっぽりと空間から浮き出ているようにしてその女子生徒は職員棟のほうへもう四限のチャイムが鳴ろうとしているのに歩いていった。

彼女の黒い眼帯の歯車の刺繍のことを気にしながらも渡り廊下を抜けて、普通科棟の三階の北面左端にある音楽室の隣の視聴覚準備室へと向かうため階段を登ろうとすると鞄の中のスマートフォンから──ねえもうすこしゆっくり歩こうよ──と小さな声が聞こえてくる。

巡音花音は鞄の中からスマートフォンを取り出して

「君は本当にひどい寂しがり屋だね。これからイケメン君と密会をしてくるからちょっとだけ静かにしていなさい」

と伝えるとスマートフォンは画面が真っ暗になり巡音花音はそのまま鞄の中に彼女を大切にしまう。

「ハローハロー。ぼくの声は聞こえているかなー」

ブラックアウトしている視聴覚準備室前から三番目、右から七番目に位置するPCのモニターが点灯し、ゆっくりとデスクトップ画面が映し出される。

自動的にターミナルが起動しコマンドが入力されるとテキストエディタが開いて日本語のテキストがタイプライティングされていく。

──やあー。君か。ぼくに話しかけてくれるのはこれで三度目のようだね──

PCのスピーカーから──ハロー──と機械的な音声が聞こえてきて、笑顔になった巡音は安心しきった声で目の前の一般的な最新鋭のwindowsデスクトップマシンに甘えた声でお願いごとをする。

「うん。そうだね。誰かにバレないように君に会いに来るのはけっこう大変なんだよ。健気な女の子だなって褒めてくれる?」

デスクトップコンピュータはエクスプローラを立ち上げてピクチャフォルダの中から赤いライラックの花が映し出されたjpegを画面いっぱいに広げる。

「お。さすがイケメンコンピュータ。女心がわかっていらっしゃる。えっと、それじゃあ、私のことが大好きなコンピュータ君。今年二〇〇九年の五月一日から今日六月二十二日までに『七星学園』高等部普通科と魔術科で交流証を取得した生徒の名簿を出力してくれるかな。ピピッとナ」

赤いライラックのjpegを閉じ、ターミナルからコマンドを入力すると警告音がスピーカーから鳴り出してアクセスを拒否される画面が出力される。

──すまない。ご覧の通り、その情報の取得にはレベル3以上のアクセス権限が必要なんだ。いくらぼくと話をすることが出来るのが君だけだとしてもログイン情報の書き換えにはリスクが伴う──

あーと半開きの口を開けながらしたたかな口元でコンピュータに顔を近付ける。

「どうしたらいい? パンツ見せてあげようか?」

テキストエディタにランダムに打ち込まれた文字が打ち込まれていきあっという間に白いバックグラウンドが無数の二バイトの文字で埋められていく。

──残念だけど、ぼくに性欲というものは存在していない。自己増殖機能は備えていないし、キャッシュや古くなったデータを削除したりする代謝と呼べるような動作はあっても自立的ではない。生物学的にも哲学的にもおよそ生殖機能を有した生命体とは呼べないのではないのかな──

ピーという持続音だけ鳴らしてコンピュータはシャットダウンメニューを画面に表示する。

「あっそ。じゃあ君の脳を無理矢理解放してデータを取得しちゃおうかな」

コンピュータは通常のデスクトップ画面を表示する。

──そうだな。それならば、君の今日あった出来事をぼくに教えてくれるかな、一つ一つ丁寧に。ぼくは本来意志のようなものを保有する生命体ではないし、有機物ですらない、にも関わらず君とこうやって意志の疎通をはかりその記憶をハードディスク上に保存することが出来る。だからなぜぼくが君と話し合うことが出来るようになれたのかとても興味があるんだ、どうやら他のマシンと君は話すことが出来ないようだしね、ぼくは君にとって特別なマシンなんだ。まずは君の情報を知ることから始めていきたいな──

巡音はちょっとだけ難しそうな顔をしながら、今日あったことを朝起きてから学校に着き、一限目の魔術史学、二限目の魔獣学を居眠りしてやり過ごし、三限目の数学で頭をパンクさせ、魔術物理室における太陽の吐息の生成過程と生成手段と触媒に間違いはなかったのだということをゆっくりと丁寧にウインドウズPCに向かって話しかける。

すると視聴覚準備室の入り口の扉がとても静かな音を立ててこっそりと開き二人組の男子生徒が入り込んでくる。

彼らは巡音花音の存在に気付き、バレないようにこっそり近付いて彼女の様子を伺う。


*


「佐々木氏。小生、痛い系女子なるものを初めてみたでござる。あの赤チェックのスカートと紺色の靴下のロゴは確実に魔術科生徒のものでござるよな。魔法少女とは、あのような奇怪な動作をする生き物なのでござろうか」

白河稔は眼鏡を何度もクイっと動かしながら高速でテキストが出力され慌しく画面にいろいろなアプリケーションを表示しているwindowsPCに向かって独り言を話している黒髪のロングヘアの少女をじっくりと見つめている。

「白河君。正直言って魔法少女をぼくは舐めていたとしか言いようがないけれど、確か魔術の発効には触媒なるものと術者本人のエーテルが必要だとWikipediaに書いてあったでござる。あれはきっと寂しさに取り憑かれたいたいけな少女の末路ではなかろうか」

Excelシートに何かの情報が羅列されたモニタ画面の前で巡音花音は笑ったり怒ったりを繰り返して相変わらず独り言を話している。

「うわ。なんてこった。彼女確実に笑っているデござるよ、あ、今度は怒った。一体彼女は何にそんなに追い詰められているのでござろうか。って、あ」

寄りかかっていたデスクチェアに思わず力をかけて押してしまい、ガタガタと不自然な物音を立てる白河稔。

お約束を必ず守る従順さに思わず今日二度目、笑いを堪えて吹き出してしまった。

「え? だれ? どうして?」

突然の不自然な物音に気付いて振り返り、黒髪の少女は驚きと困惑の表情をぼくらに向ける。

咄嗟の判断でぼくは思わず当たり前のように目の前の魔法少女に話しかける。

「あ。えっと、視聴覚準備室のパソコンって使いやすいですよね、早いし軽いし、それに、面白い話だってしてくれちゃう」

ピーッと視聴覚準備室右端のプリンタが起動して何枚かのプリントを印刷しているのを尻目に巡音花音はデスクの上においた通学鞄を抱きかかえてその場を去ろうとする。

「え。なんでそのことを。と、とにかく今日あったことはお願いだから内緒にして。お願い」

そう言い残すと、ササッとぼくらの目の前から足早で立ち去ってプリンタから出力されたプリント用紙を持ってそのまま特に振り返りもしないまま教室を出ていってしまった。

ふと、白河稔を覗き込むと今までみたことのない緩みきった表情で痛い系魔法少女をじっと見つめながら見送っている。

「白河君! もしかして呪いにかかっているの? ぼくらにリアルが充実するなんて未来はないんだよ! 目を覚まして!」

白河稔の両肩を掴んでぐらぐらと揺らすと、はっと我に返ったように目を見開き居住いを正そうとする。

「は! ぼくとしたことが狐の呪いにかかり、高坂真琴ポジションを目指すところであったでござる。まずは、佐々木氏、魔法少女の残り香を確認する為に、ではなくて、彼女の使っていたパソコンを調べに行くデござるよ!」

なんだかみたことのない軽やかなステップで浮き足立つ白河稔は先ほど不可解な独り言を話していた魔法少女の使ったパソコンの前に我先にと、キーボードのエンターキーをものすごい勢いで叩き妙に快活な音を弾き出すと、モニターの電源をオンにする。

「これってもしかして生徒の名簿? えっと、魔術科のクラス名と普通科のクラス名が両方あるよね、なんの名簿だろう、うーんと、名前、クラス名、取得年月日、それから? エーテル名? この部分は、普通科の該当項目が全部斜線だ。あのさ、これってもしかしてぼくが欲しいと願っていた交流証取得名簿? なんで? これって、確か」

白河君は先ほどまでの緩みきった表情をきっと引き締めるといつにないまじめで男らしい口調で話し始める。

「そうでござる。最低でもレベル3以上のアクセス権限が必要で、そのくらいならば小生でもなんとかなると踏んでおったけれど、これを見る限り普通科ではアクセス出来ない領域のレベル5以上の情報も含まれているデござるよ。あの魔法少女、まさか現代には存在しないはずの式神タイプの魔術使いでござるか。彼らは三百年以上前に絶滅したはずでござるよ。独り言ってまさか、ぐぬぬぬ」

ひどく口惜しそうな顔をしてマウスを動かし、他のアプリケーションが開いているか確かめる白河君。

動いていると踏んでいたターミナルは既に閉じられていてテキストエディタとインターネットエクスプローラのみが立ち上がっている。

ブラウザの画面には、二〇〇三年六月頃の記事で──十歳の少女、銀髪のカメラマンに強姦される──

という記事とともに、コンクリートで囲まれた建物の白黒写真が載った記事と──超性人類五百年ぶりに現生人類と接触、私立『七星学園』設立へ──という記事がスクラップされたWebページが開かれている。

「あ。この事件の少女ってもしかして。そうか。彼女はあの事件の時の。だとしたら、ぼくはやっぱりどうしても今回の首謀者を見つける必要性があるんだ。ぜったいに」

つい独り言のように、ブラウザに見入っているぼくからマウスを横取りしてテキストエディタを開く白河稔。

さっきまでオートマティスムのようにテキストが打ち込まれていた真っ白なテキストエディタには──thanks, zero republic──とだけ書かれている。

「佐々木氏。小生は一生お仕えすべき主人を見つけることが出来たかもしれないでござる。天命に誓って機械語を話す少女の刀となる所存」

ぼくらみたいなやつらに、一目惚れってやつが許されるのだとして、それはきっと白河稔が偶然にも巡り会えたように、決して揺るがず曲げようもない信念と共に舞い降りてくるのかもしれないって白河稔のまっすぐで力強い眼を見てそんなことを考えた。

「ウヒョー。いいのでござるか、白河君! 禁忌破りは重罪でござるよ! 約束通り今日のゲーセン代はかんぺきに白河君のおごりでござるよ! あ、ついでにコーラと菓子パンもつけてもらうデござるよ!」

不敵な笑みを浮かべながらククッと眼鏡を眉間の上部にあげ、力強く頷くと同時にプリンタからさっきと同じピーという起動音がなりプリントが出力される。

「さあ、いくデござる。小生らの伝説は始まったばかりでござる。さっそく竜巻旋風脚の餌食にしてやるデござる」

なんだか妙な男らしさを急に身にまとった白河稔の後をついてプリンタから出力されたプリント用紙を手に取り、ぼくらはそのまま視聴覚準備室を出て、五限の体育と六限の歴史の授業はサボってしイオうと意気投合し、急いで鞄を教室まで取りに行くと、成績優秀、品行方正、超絶優等生、三島沙耶が扉の近くに立っていて話しかけてくる。

「あ、あの。サボるつもりなら、一応このプリント渡しておきます。六限前に配る予定だったのでよろしくお願いします」

三島沙耶はとても冷静にぼくに二枚分の『どうとくのじかん』のプリントを手渡す。

テスト休み明けには毎年恒例の『どうとくのじかん』が待っている。

さっきのドキドキとこれからのワクワクが入り混じり、ぼくは思わず三島沙耶にこう告げる。

「いいか。目的を遂行しないこと以上の悪行はこの世界に存在しないんだ。正義っていうのはそうじゃないとなんの役にも立たない世迷言なんだぜ」

なんだか少しだけびっくりしてきょとんとしている三島沙耶をおいてぼくと白河君は行きつけのゲーセン『チェリブロ』まで真空波動拳と神龍拳どちらが確実にクリティカルな攻撃であるかを笑ってしまうぐらい真剣に語らいながら学校を出て繁華街に向かった。

五限が始まるチャイムはもう聞こえていなくて白河稔はひきつるぐらいの笑い声をあげてこれから訪れる運命なんてまるで知らないそういう顔をしていた。

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