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13. We Are The Night

無精髭の男はその日の朝七時過ぎ、『七星学園』普通科校門前路地で小指の第一関節より先がない左手に持った煙草を吹かしながら学園の内部の様子を伺っていた。

吸い終わるとあたりを気にせず茶色いフィルターのタバコをスニーカーの裏で踏み潰し、パーカーとジーンズ姿の無精髭の男は正門から見渡せる限りの『七星学園』の様子を確認しておそらく予測時間にかなりの誤差が生じることになるだろうということを確認すると後ろを振り返りどこかへ立ち去ってしまう。

テスト休み期間に入っていた学園はひと気も無かったけれど、しばらくするとこれから始まる『どうとくのじかん』の準備の為に少しずつ職員たちが生徒たちより一足先に集まりだしてきた。

期末テストをいつものようにそれなりにこなし、選抜試験対象者ギリギリのラインをこれまたいつものようにすり抜けるように対処して、ぼくはテスト休み期間に入っていた。

チルドレ☆ン選抜試験は大学入試において格段の実績に結びつく為、普通科の生徒でもやはり重要な試験になっていて、そういった将来に対する不安を一つ一つ解消してくれる試験制度を有効活用した事をテスト休みという束の間の休息で十二分に自宅で満喫することが出来ないのは、きっとこの二週間ほどで起きた様々な出来事の記憶が整理し切れていないからだろう。

何故か急に増加した家族? 兄弟? 同居人? かわからない連中とおそらく母や父や姉からすれば独り言としか受け取れないような会話を交わしながら通例ならば白河君とゲーセンに入り浸る毎日を送るはずが関節を超合金で出来た体をまともに動かすことのままならない『アースガルズ』とかいう話す玩具に苛烈なリハビリトレーニングを受けさせカクカクとしか動かない両手両足を自在に動かせるようにならないか試行錯誤する毎日を過ごしながらも謹慎中である為に白河君がいない休み期間を喋ることしか能のない無機物とツンデレ式応答術叩き込んだソフトウェアと陰湿な念仏を唱える概念上の存在である魔術師の三人? とありったけのお菓子とジュースで──食べるのは僕だけだけれど──パーティざんまいを過ごしたお陰で、又しても女子へのモテを遠ざけるように増えてしまった体重のまま夏休みに入る直前に実施される我が校の恒例行事、『どうとくのじかん』に登校することになった。

「おはようデござる。ずいぶんと久しぶりな気がするでござるが元気にしていたデござるか」

と、まるで何事もなかった半獣半人の白河君を正門でたくさんの生徒が恐れおののく光景をなんだか自分まで有名人になった気持ちになり堪能し、そんな友人と一緒に歩いていることに自信満々で校舎へと向かい、獣人化するとこんなにも気持ちの良いものなのかと休みの間、実は少し白河君のことで責任を感じ自暴自棄になり、『アースガルズ』を彼の金属的な無機物では飲めないコーラで満たしたお碗の中に突っ込むと、錆びるからやめろと嘆かれながらボトボトと床に溢しながらも無理矢理一気飲みさせるという暴挙に及んだことをちょっとだけ反省した。

「白河君はなんだか前より男らしくなったでござるな。頼もしい親友がいてぼくはとても心強く感じるデござる」

そうやってテスト前と同じようにして普通科棟へ登校し、まるでぼくと白河君の行く先を避けるようにして上級生グループが道を開けていくという事実に対して悦に浸りながら一抹の杞憂を抱えて2-Bの教室につく。

「この度はご苦労様です。いろいろ大変だったみたいだね、先生から預かっているプリントがあるから渡しておくね」

ざわざわと騒がしい他のクラスメイトと違い、特注サイズの制服からはみ出た両手両足を金色の毛並みに包まれて三角形のふさふさとした耳を頭のてっぺんから生やし狐としか認識できない顔の鼻と口に変化した人相で、優しそうな獣臭い鼻息と人の言葉を話している白河君をまるで安易に安直に髪型を変えた程度の扱いで白河君に接する三島沙耶は学級委員らしい模範的な態度でこちらが逆に戸惑ってしまう。

差別意識や偽善的な態度を露骨に出してくれとはもちろん言わないけれど、休み前とは顔も形もすっかり変わってしまった白河君の姿を見てまるで何も変わらない態度を示す三島沙耶の意図を少しだけ考えてしまった。

そんなぼくが些事に囚われている久しぶりの登校日とあやふやな対応をするクラスメイトたちとは裏腹にいてっいてっとおそらく後ろの席の中沢乃亜から正拳突きをくらい身体がふた回りほど大きくなったことを責められて無理矢理一番後ろの席に移動させられている白河君は十五分もするとすっかりクラスに馴染んでしまい、たしかに大袈裟に考えるほどではないな、誰も他人のことなど興味がないのだと改めて世間の冷たさと暖かさを思い知るのだった。

なので、彼のことなどほぼスルーのままいつもと同じホームルームを済ませるとチルドレ☆ンの超技術によって建造された軌道エレベーターと並び、『七星学園』の二大シンボルと言っていい、『大ホール』へと魔術科、普通科の全生徒が移動を開始する時間になる。

なんとなくだけれど、監視と記録が目的である──同じ顔をした神人──たちはきっとぼくらの前に姿を現すことはないだろう。

『大ホール』地下はバスケットコート四面分の体育館設備になっており、更衣室や室内部活動の部室、更には千席ほど用意された充実の学食まで併設しており、一階部の千五百人が収容可能なホール設備には、全天球型モニター『アースフィア』が中央に鎮座していて、球体周囲をぐるりと取り囲むように設置され、生徒用と職員用の座席の一つ一つに感情機能抑制装置が実装されている。

『七星学園』二代目理事長七星倫太郎の最大の功績といってもよい出来うる限りの彼の資産を注ぎこまれて建造された『大ホール』は『どうとくのじかん』だけでなく各種式典、地域住民を招いた講演会など多目的に使用されていて、学園の理念である──生徒個人の能力に従った独自教育とカリキュラム──は地域住民との協力の元、毎年のように修正を繰り返しながら最適解を求めるようにして『アースフィア』を機能させている学園のデータベースに厳重に保管され年次報告書には学園の魔術科と普通科、さらには──実在を担保された神──であるとチルドレ☆ンとの関係性に至る学園の功績が記録されていく。

「故に我々はこれから社会を構成する一人の人間としてより成熟を目指すべきなのだ」

という理事長のお決まりの台詞で、夏休み前の特別登校日は、お昼休みへと突入する。

その日のメインの一つである『どうとくのじかん』は二部構成になっていて午後からは第一部『古代地球史』の演目が実施され、一万年前にぼくらの祖先である旧人類が文明社会を築きあげ子孫を増やし地球と呼ばれる太陽系第三惑星を我が物として手中に収めたけれど、自らの発展速度に自然が対抗出来なくなった為に環境が悪化した母星である地球を捨て惑星船団『ガイア』に移民することになった過程を学習させられる。

お昼休みに入り、ひさしぶりの学食で堂々と中央の席に座り白河君とケモナーはどうやってセックスをするのかという話題でひとしきり盛りあがりながら、女子生徒たちの奇異な視線を独占しているという感覚に思わず勃起していた局部をひた隠しにしようとすると、自室に放置しておくのもなんなのでパンツの中に無理矢理押し込めていたアースガルズがひどく不快そうな声を出してひょっこり上半身を飛び出させて抜け出そうとする。

ぼくはこの年になっても超合金ロボットに夢中になる子供だと思われることが嫌になったわけではなく、単純に不可解な命を持った無機物が人目に出て混乱を与えようとするのを戒めるように彼をズボンの中へと再び押し込めようとする。

「臭うね」

「すまない。しばらくは我慢してくれ」

「ちがう。大規模な術式の匂いだよ、電磁波のようなものが漂っている」

「巡音兄がやはり何か仕込んでいるのか」

「あともう一つ。ひどく不自然な粒子だ」

「西野あるいは横尾先輩か」

「たぶんね、大ホールに戻ったら少し注意してあたりを見回してみて」

白河君のけむくじゃらの腕がモサモサと気持ちよくすりすりとさすっていると──やめるデござる、誤解されるであるよ! ──となぜか中国語になってしまった白河君にどやされながらも定刻通りにお昼休みを終え『大ホール』に戻ると各自割り振られた席に着席してから一息をついてゆっくりと『大ホール』全体を見回す。

三年の方を見ると、西田先輩と横尾先輩がひどく親しげに話しながら自分たちの席に向かうのを発見するが、西田先輩が横尾先輩の耳元で何か囁くと、後ろを歩いていた『スリーアクターズ』の三人組に何か言伝をし、そのまま横尾先輩は『大ホール』を出て行ってしまった。

魔術科方面の座席は『アースフィア』を挟んでちょうど反対側にあり、一番目立っていた白銀の姿を捉えると彼の隣に白河君の契約者である巡音花音の姿も発見する。

「ぼくのご主人様は──あなたに任せました──といっているデござる」

隣に座った白河君がぼくに囁く。

「テレパシーか?気持ち悪いな」

「いや、唇の動きを読んだデござる」

「もっと気持ち悪いよ! それ!」

相変わらずのござる言葉とまるで同期するような読唇術の体得に驚嘆しつつ巡音悠宇魔を白河君に探させる。

「三年の席は向かって右奥、その一番奥に悠宇魔と廓井がいるデござる。堂々とした立ち振る舞い、って」

突然白河君がガタガタと震えだし魔術科方面から目を逸らし下を向く。

「ど、どうしたの? また廓井が蟲飛ばしてきた?」

「いや。あそこから、あの距離から確実に小生をきちんと認識して見ていたデござる。ダメだ、震えがとまらないでござる」

そうか、悠宇魔は獅子、百獣の王、狐である白河君にとって彼は上位種族。

本能が危険だと察知している、捕食者に対する警報装置が鳴り響いているんだ。

「わかった、これ以上探索はやめよう、しばらく大人しくみていることしか出来そうにないな」

彼を落ち着かせた後で、西野のほうをちらりと観察する。

彼女の爪はいつもしていないはずのマニキュアのように色づいていてそれが水恩寺のいっていた『魔術検知』なのだろうと推測する。

彼女は手に持ったボールペンを指でカチカチと規則的におしながら、まるで数を数えるようにしてゆっくり本当にゆっくりと大ホール全体を監視している。

その隣には芹沢さんが座っていて彼女がほんの少しだけ何かの装置が作動するように笑みを零すと同時に場内の照明が落ち始め、ブゥィィーンという起動音とともに、全天球型モニター『アースフィア』が回転しながらゆっくりと太陽系第三惑星地球が誕生したと言われている四十六億一万年前の映像に切り替わり、当時の『地球』の姿が映し出されてクルクルと回転を始める。

「全生徒は速やかに着席してください。理事長よりの訓示終了後、『古代地球史』プログラムを開始いたします」

アナウンスが始まると座席の背もたれ部分から触手のようなものが飛び出し首の後ろあたりにチクリとした鋭い痛みが一瞬だけ走る。

『感情機能抑制装置』はともすれば、エンターテイメントとして捉えられた上、安易に処理されがちなかつての人類が残した歴史に介在していた戦争や殺人、ぼくらのご先祖様が当たり前に残してきた普遍性の外側に関わる映像や記録に対して興奮して過剰に反応する生徒を『どうとくのじかん』の間、強制的に抑制する為に倫理性の問題も考慮した上で開発され、脊髄から注入された特殊な薬剤によって扁桃体に代表される感情を司る脳の部位の機能を少なくとも二十年間の実績がある現段階では特異な副作用が出ることなく抑制している。

より単純にいえば、眠かろうがなんだろうが最後まできちんとみるんだということだと『七星学園』の生徒ならば誰しもがこの強制装置のことを受け入れている。

そのことは当然ながら利便的な一面も発生させて、チルドレ☆ンが保存してきたより広範な人類史の提供が可能になり、七星倫太郎が目指す──公明正大な社会に必要な二律背反性の獲得──に向けて大きな前進をしたといえるようだ。

白河君は事前申請していたのか第一部が始まる前に薬剤の入った透明な液体を直接与えられて獣人化した肉体へ見合うだけの量を経口摂取していたようで、入学時に保護者の承認の上、契約したいわゆる『十戒』について特別な意見を述べていた。

「世界は暴力によって制御されている、だから事前承諾された暴力は正義と認定されてしまう、人というのはとことん身勝手な生き物でござるな」

白河君の金色の毛並みが暗闇に溶け込んでいくと、『古代地球史』は、度重なる地殻変動の結果として誕生した人類が誕生した際の地球上の各大陸を映し出す。

個人的幸福度と効率的集団防衛の合理化を追求しながらも、集団における生物学的優位性と同時に劣性を担保しながら進化の可能性として選別を繰り返し、種としての人類を発展させつつ数々の外敵を排除して人類が発展していった様子を映像と音声によって投影していく。

農耕技術の発展、国家の生成、文化や社会的インフラの確立、宗教や芸術文化の発展を拡大し拡散しながら、やがて『アースフィア』は地球上で最も優秀な種族としての繁栄を極限まで手にしていた人類が、狩猟時代原初に保有していた無意識に氾濫し続けていた概念的生殖を体系化することで純粋社会の特色である極端な合理性を取り戻していく過程、つまり人間同士の会話やコミュニケーション、伝達と伝搬という流通によって経済活動の発展が文明の洗練をもたらし知識と経験に基づくアップデートを通じて、原初社会に存在していた人間性を再び社会に浸透させていった様子を映し出していく。

戦争や飢餓、また殺人に代表される共食いによる遺伝子の衝突による個体の精査はより強力な個体を作り出す装置として機能し、古代社会以来文明の外側に追いやっていた死という概念の氾濫を利用して防衛機能を作り出すことで社会全体を覆い包むようにして確立されていった。

無意識という人類共通のデータベースが知識の洗練、技術の練磨といった変遷を通じて、病原菌やウィルスあるいは象徴として社会そのものに混入する異分子を流行する文化として拡散することで、バグそのもの脆弱性を修正することで淘汰と発展を繰り返しながら人類としての防衛本能の成熟を重ねていき、そうして突発的に訪れる大量死の発生を抑制するようにして文明をより純度の高い合理性の極致へと導くことに成功する。

まるで蟻や蜂が率先して人類の無意識の形を指し示すようにしていたかのように作り上げたシステムと同期するように自らの文明を保持していた人類もまた完璧な幾何学系を維持しようと社会構造を整え、経済的繁栄のために必要な潤滑油の効率的摂取を目指して成熟していくけれど、潤滑油そのものの製造と生産の為には、植物たちの王国がそうであるように素粒子レベルに分解されている劣化した普遍性を摂取し続ける必要性が存在するという矛盾を抱えてしまい人類という生態系の完全性を維持することが不可能になってくる。

つまり、純粋社会が持っていたはずのフラクタルシステムの復元には限界がある、ゆえに我々はもう純粋社会に回帰することが出来ない到達点まで行き着いた末、極限まで洗練されたデータベースを地球全体の生命と管理を持続できる領域まで発展させることが出来たのだという自負を慢心と嘲笑によって人類は獲得した。

生が完全に死を凌駕しかねない過剰な技術発展の速度を抑え込むためには仮想空間上のデバイスやスペースの確立は必要不可欠であるという考えにいたった旧人類はやがて東洋哲学が示した──一切は空である──という自己矛盾性を抱えた状態で対称性を保持し文明の発展を停滞させ続ける手法をある種の悲劇性を内在させたまま開発してしまったのだと、『アースフィア』は旧人類が宇宙移民政策へと移行していく過程を映像や音声などを通じてぼくらの脳にインストールしていく。

「ぼくはこれで二度目でござる、白河君。一万前の──実在を担保する神──の行いはまるでぼくらと変わらない、ぼくらは本当に進化したのかわからないでござる」

「あはは。ぼくは中等部からだからレベルの差異はあるけれど、ぼくは五度目になるでござる。読んで字の如く中二の頃にそういったモラトリアムは選択しなくなっていたでござるよ。理解の問題ではないようにも思うでござる」

「そういうものでござるか。まるでぼくらは生態系全体を動かす歯車の一つのように感じてしまうでござるな」

「そうでござる、歯車の動きは一分たりとも乱してはならないでござる」

「地球という惑星は一個の生命体でありながら複雑な機械であった、ということでござろうか」

「選ぶ答えは人それぞれでござるよ。そろそろ一部が終了するデござる」

やがて行き詰まった発展に業を煮やしたチルドレ☆ンたちが惑星船団『ガイア』を建造し、宇宙移民となった様子が映し出されると、古代種と呼ばれ地球に置き去りにされた人類の映像とともに『アースフィア』はゆっくり惑星船団『ガイア』の全体像を映し出していく。

「『古代地球史』プログラムを終了します。三十分の休憩後、『ガイア』級記録保全プログラムを開始いたします」

ぷはぁと、ぼくの股間から顔を出したアースガルズがキョロキョロと大ホールを見回している。

「どうしたんだ、『アースガルズ』。いくらなんでも戦争映像で勃起はしないぞ」

『アースガルズ』は右眼のサーチアイで熱源のようなものを探している。『アースフィア』の中央付近に照準を合わせると、ズボンの隙間からぼくを見上げる。

「『アースフィア』周辺に高エネルギー 反応!ママ、解析よろしく!」

『金色か。作動し始めているな』

「大ホール一帯に重力波が観測されているのと同時にラグランジアン密度が上昇しているの、これじゃあここが心地よくて誰も気付かないまま精気を吸い取られるだけね。オナニーはママに隠れてするのよ、『レゾンデートル』」

『右手の力を忘れるなよ、我が分身よ』

「それは和人の仕事さ、まずは外に出る必要があるね」

不完全不健全家族、無機物とデータと概念の三人組のキャッチボールで『大ホール』全体を包み出していた不穏な空気を察知するように『アースガルズ』はぼくに外の世界を確認するように促してくる。

周囲を見回すと、魔術科方面に特に動きはないが、いくつか空席が存在している。

西野は先ほど変わらない。

三年の席のほうを見ると、ちょうど横尾先輩がホール内部に戻ってきていて西田先輩と何かを話し一緒にホール内をでようとしている。

「あの三人組の一人、お団子頭が小瓶のようなものに入った液体を検査しているでござる。おそらく学校側がなんらかの処置をしていないか調べているのでござろう。お団子は涙でぼろぼろで感情が不安定だ、おそらく自分に摂取されるはずの薬剤を回避して感情機能を暴走させる事で行った調査をしているのでござろう」

こんな時、白河君の動物的直感はとても頼りになる、

ぼくがホール内の怪しい動きをチェックしてくれたようだ。

「了解したでござる。残念だけど、二度目の『ガイア』記録保全プログラムは見ないで済みそうでござる。気分を高揚させすぎて判断を感情に左右されない為に実行されるあの冷たくなりすぎる体温が、ぼくはちょっと苦手でござるよ」

ぼくは白河君と一緒に席を立ち、休憩にまぎれてホール内を出るために座席と座席の隙間を遠慮しながら歩く。

途中、中沢乃亜の前を通り過ぎるとき、彼女が脚を前に出してぼくらを通せんボしようとする。

「コーいうのは命を賭けてこめかみに弾丸が発射されるかどうか試してみるのがかっこいいと思うんだけどなー」

とニヤニヤしながらぼくらを見つめている。

「ふん。お前みたいに筋肉オバケと余裕しゃくしゃくで誰でも戦える訳じゃないでござるよ!」

あははと笑いながら中沢は脚を引っ込めてぼくらを通す。

後ろで西野がボールペンをカチカチと音を立てて数を数えるのを辞めた気がする。

『大ホール』の共用廊下へ向かうと、横尾先輩が西田先輩と話しているのを見つけて、彼女たちもこちらの動きに気付いて目を合わせる。

「おはよう。獣人の友人達も一緒かい。思ったよりずっと事態は深刻だ、念の為、彼女の同伴をお願いした、出番がないといいんだが」

「まったくいう通りや。うちはあくまで公平に物事を判断する。夢を壊す連中がおるんならきっとうちの出番やローな」

西田死織に気圧されないように白河君に力が入るのを感じる。

獣人化の影響は思ったより広範に出ているようで本能に忠実であるという点で一般的な人間とはかなり差異があるらしい。

「君が横尾深愛だね、ぼくが『アースガルズ』さ。今回は君主導の作戦に乗ろうと思う。クリームシチューのレシピはもう完璧なんだね?」

横尾深愛は少しだけ驚くとぼくの小さな友人を受け入れる。

「まさか機械生命とは。銀色の鍵の形に少しだけ不安があったが、もしかするとこれで問題はなくなりそうだ。ブーケガルニはこのレシピの大切な肝だからね」

「彼に何かあったらたとえ横尾先輩でもぼくは許しませんよ、もしもの時には、ぼくらは自分たちの判断で行動します」

「もちろんだ、佐々木和人。選択は常に自分の銘に従うべきだよ」

少しだけの沈黙の後、ぼくらは第二部が始まる前に、急いで『大ホール』を出ようとする。

出口のいくつかには職員がいて通ることが出来そうになく、慌ててあたりを見回し、確か職員棟から直接第二職員棟へ向かう『緑の回廊』側の地下に非常用出口があったことを思い出す。

「──強制的に眠らせて行動不能にする──などの処置は後々対応が面倒な上、まさか戦後を生き延びた魔術回路を持つ職員に喧嘩を売り無傷で済むとは思えないな。急がば回れ、地下へ急ごう」

横尾先輩の提案に応じて階段に移動すると、あいにく地下へと通じる階段はひと気も少なくすんなりと『大ホール』地下へぼくらは降りていく。

静寂に包まれた『大ホール』の地下の東側にぽつんと光る非常用出口の灯りがみえぼくらは時間を惜しむようにして走り出す。

だからなのか、階段を出た所にいた暗闇と同化するように佇む男の存在には誰も気付くことがなかった。

ぼくら四人がうっかり見落としていた男子生徒、3-A、出席番号22番、手塚崇人は、『どうとくのじかん』、第一部の『古代地球史』と統計によって記録されたデータとの誤差を確認してスマートフォンをポケットにいれる。

「全校生徒1001名、選抜対象者26名、前期末評価点数1054点+内申換算自己採点93点、日照時間のズレ-67秒、プロジェクトの修正案を可決」

『大ホール』地下の階段脇にいた手塚崇人はぼくら四人が通り過ぎるのを確認するとそのままホール方面へ戻っていった。

非常口には案の定職員はおらず外に出るとまるで重力から解放されたように身体が軽い。

「あれはなんでござるか。『大ホール』上空に真っ黒なドーナツが浮かんでいるデござるよ」

あいかわらずの動物的直感で上空の異変にいの一番に気付いた白河君が空を見上げて指差した先には一キロメートル四方の円が浮かび上がっている。

「例の大型ハドロン砲でござるか。『大ホール』全体をすっぽりと覆い尽くしているデござるな。巡音悠宇魔の術式、あんなものまで作り出してしまうなんて確かにぼくらが解析出来ていない領域があるデござるな」

「そうだ、だからこそ私たちは彼の術式の対消滅を考えていた。しかし、西野ひかりがいた。彼女はなんらかの呪法を巡音悠宇魔の『猛る暴力と大いなる覇道』に混入させていたものと思われる」

「だから『ガイア』の運行に誤差が出ているんだ、和人。月の位置を確認したい」

ぼくらは空がよく見える第一グラウンドまで走って向かう。心なしか午前中は雲一つなく晴れていた空が少しだけ暗く感じる。

「ほんまや。上の連中もこんなんみたのは初めてやロ。太陽と月が一緒に空にあがっとる」

西の空へと移動している人工太陽ともう一つ東の空にはチルドレ☆ンが住んでいると言われている『ムーン』が浮かんでいる。

古代地球では月は恒星である太陽と衛星である月の位置関係により、地表から見える月の形がおよそ十六パターンに渡って空を彩り、明るい夜と暗い夜を作り続けていたらしい。

けれど、ぼくらの住まう惑星船団『ガイア』では太陽と『ガイア』の位置関係によって月の満ち欠けが作られるのではなく、『ムーン』自身が発光して夜空を照らしている。

「『ガイア』の自転にアクセスしているのだな。西野ひかりは巡音悠宇魔の術式のエネルギーを逆に利用することで『ガイア』級機関部自律制御自己完結型エネルギー生成機関、通称『EVE』の働きを一時的に制限しているんだ」

横尾深愛は瞬時に現在の状況を的確に分析する。

「だから、『ガイア』衛星軌道上を回る人工太陽『アポロ』と『ムーン』が同時に確認出来る状態なんだ」

『アースガルズ』は『少女地獄』のデータベースを利用して不可思議な天体ショーの影響と解決方法を探っている。

「『ムーン』はなぜ暗いままの夜ではなく自身を発光させて空を照らしているのでござろう」

「月に照らされていた夜が恋しかったのではござらんか」

「いや、違うな。きっと我々の神は『ムーン』が存在しているという事実を知らしめたかったんだ」

横尾先輩の言う通りだとすると、『ムーン』の光は機械的に管理された船団が未だに月の光を必要としている『ガイア』システムにとって効率的な夜を作りだそうとしているのかもしれない。

「だから、ぼくたちの祖先は満ち欠けのない月と明るいままの夜を作ったのでござろう。バランスを崩した生態系は魔術回路を創生してしまい、そしてとうとう人類そのものを分割してシまったんデござるよ、きっと」

「佐々木殿、ぐずぐずしていると第二部が始まってしまうデござるな」

「そうだ、巡音と西野の術式の強度が増す前に我々も準備を急ごう」

第一部と第二部の間の休憩時間は四十五分あり、『大ホール』外の共用部では生徒たちが思い思いに話している。

中には職員の許可を得て教室に戻る生徒などもいて『ムーン』を一度出る際に点呼などチェックを受けて無断で校舎外部には出ないように、速やかに用事を済ませて五分前には戻るようにと注意をうけている。

巡音花音は兄である悠宇魔のドラッグスターが今朝方告げてきた奇妙で意味深い金言について九条院と相談をし、もしもの時は通子の空間転送を使おうという意見からスマートフォンを教室に置いておくことにした。

術式の発行を事前察知していた巡音は庵慈の施してくれた特殊魔術偽装『隠れ身』によって『大ホール』全体を包み込んでいた結界に触れてしまうことなく抜け出して、悠宇魔の側近である廓井の魔法蟲で目を盗まれずに済んだようで、魔術科棟から『大ホール』へ通じる渡り廊下から異変の起きた空を見上げる。

「あなたのことは心配いらないわね。あなたの覚悟がどうであれ、私は私の恋を成就するよ。戦って勝ち取りなさい、私の刀よ。死は常にあなたと共にあるわ」

夕方の気配に少しずつ染められ始めた空に一筋だけ走っていく彗星をみつけて巡音花音は胸に右手を当てて静かな祈りを捧げる。

『大ホール』内部では休憩時間を特に利用せず、着席したまま『アースフィア』が移す幽玄な映像に魅入っている生徒たちもいて西野ひかりは新しい空の色を描き続けている全天球型モニターをみて笑みを零しそうになっている。

「お祖母様のボールペンのインクが私のことは守ってくださるわ。ありがとう、小さな吸血鬼。悪意こそこの世界を正常に保つ術なのよ」

西野ひかりが黒く光る右手の人差し指を触れながら囁いている様子をちょうど席に戻ってきた芹沢美沙が見つけて西野ひかりの赤と青の爪の色を褒め称える。

「西野さんはたまに爪の色を変えるよね。とてもかわいいと思う。私もやってみようかな」

「美沙ならとても似合うと思う。このマニキュアはお祖母様から譲ってもらったの」

「それは素敵だね。まるで魔法みたいなお話」

「そう、小さな魔法なの。きっとみんなを幸せにしてくれると思う」

西野ひかりがそういうと、『アースフィア』がとても明るく光り、まるで夜空を埋める花火のように『大ホール』内を照らし出す。

「つまり、佐々木和人。問題はオペレーションとアルゴリズムによって規定された言語をコンパイル、翻訳する動作が必要なんだ」

深愛先輩は校庭の隅っこで中央図書館の時計を利用した回路にエネルギーを経由させ、『大ホール』上空の魔導を相殺する方法に関する図面を地面に簡単に指で書き、ぼくに彼女の考えを伝えようとする。

校庭の中央には陽が落ちてから使われるキャンプファイヤーの土台が綺麗に薪で組まれて作られていて、まるで正しさを追求した『どうとくのじかん』から解放された生徒たちの笑顔を待っているようだ。

「それが横尾先輩の導き出したエーテルと魔術回路の秘密ですね。魔術回路を持った人間はウェアラブルなコンピューティングそのものだと」

「私の仮説で、OSとロジックボードに関する問題はクリアしたと言える。けれど、これだけ大量の演算が必要になるとメモリ、つまり触媒が必要になってしまうだろう。それが君、『アースガルズ』だ」

コクリと頷くぼくのワイシャツの右ポケットに移動した『アースガルズ』がなんだか機械には似合わない不安を増幅させているような気がする。

「算出した計算結果を一時的に保存出来る場所が必要ということですね。しかし、彼の身体がそれを全て受け止めることが出来るのですか? なにせ『ガイア』の自転を狂わせることになり、予測上はマイクロブラックホールを作り出すほどの演算です」

「彼の性能に不安があるのならば、ハードディスクには彼の力を借りよう。最大限度の電荷であれ獣人ならば耐え切れるはずだ」

白河君は何の迷いもなく頷いて場に存在している不安感を吹き飛ばす。

「そして、エーテル、つまり肝心のソフトウェアには君の『少女地獄』がぴったりだろう。アプリを立ち上げ、右隅を三度タップしてみたまえ」

横尾先輩の言う通り、アプリを立ち上げると、右眼につけていた眼帯が取れ、裸になった右眼が赤く光っている。

「起動準備完了よ。私たちの子供が独り立ちするところ、しっかり支援させてもらうわ」

「これで君の『phoenix』経由で私のノートPCと無線接続が完了し、情報限界数値に達した場合自動的に彼女に組み込んだ質量係数破壊プログラムが発動する。エネルギーを分散させる為に校庭全体をロジックボードに見立てた。演算結果が経由すべき回路に関しては事前に私の手脚たちに準備をさせておいた」

彼女は本当に一人でこの実験を成功させるつもりだったらしい。

しかし、『白き魔女の善意と我侭なレシピ』はこれだけで本当に完成するのだろうか。

「あなたの仮説では、詠唱の問題を簡略化しているように感じます。肝心のプログラムそのものはどのようなソフトウェアを使用したとしても個人の技量に関わる根本なのではありませんか。魔術術式と呼ばれる基礎概念をぼくらだけの簡単な処理で実行出来るでしょうか」

「では、君が一時的に『ガイア』の干渉を受けない状態いわば余剰次元へと転移する実体いわば霊素へと変換される役割を担ってくれるかい。私の発案に一定基準の理解が必要なのは事実だよ。君の理解が十二分だったとしても今作戦の成功の保証は五分五分だろう」

やはり、二つの本には意味があったのだろう。

彼女はつまり『phoenix』を通じて二つの本から摘出した該当箇所を『少女地獄』を利用して適合させ、一つの大規模な術式を完成させようとしている。

『白き魔女の善意と我侭なレシピ』に加えたブーケガルニはぼくだったということだろうか。

「もちろん。横尾先輩が導き出した答えに異論はありません。選択が必要であるのならばぼくは自ら掴み取ろうと思います」

横尾先輩はホッと一息ついた顔をして西田先輩をみつめる。

「保険のつもりだったが、君の『虚実一体』は取越し苦労だったようだね、シオリ。さぁ、我々凡人は準備に取り掛かるとしよう」

横尾先輩は右手を差し出し、ぼくは左手で彼女の手を握り返す。

「『アースガルズ』も問題ないね、白河君、彼を校庭の中央に連れて行ってあげてくれ」

『アースガルズ』を白河君に手渡すと彼は右手の平に『アースガルズ』を乗せ、ぼくらと一緒に擬似魔術回路の生成地点として設定された第一グラウンドの中央で四方形に組まれたキャンプファイヤー用に組まれた薪のある場所へと向かい、まだ投下されるべき火が投げ込まれていないことをぼくらは確認する。

「すごいね、みんなパパの言う通りだ。ならば迷わずぼくが触媒になろう。これで『白き魔女の善意と我侭なレシピ』は位相反転を引き起こして、変異した『猛る暴力と大いなる覇道』をきっと対消滅させることが出来るよ!」

『アースガルズ』は自らに訪れる運命をまるで受け入れるようにして、ダイキャスト製の身体をカクカクとさせてぼくに存在する理由を知らしめる。

「そうか、神人たちの予測を上回る結論なんやナ。なら、そうか。たぶん深愛だけで十分だ。なら、わしゃ、もう帰って寝る。たしかにウチならこんなもん一発で解決できるやローが大ホールや校舎ごと吹き飛ばしてまうわ。そーなったら元も子もないな。あとは深愛。お前に任せたでー」

コンパイルされた出力結果がどのような処理を導き出すのかもしかしたら西田死織は勘付いていたようにぼくらを後にして『大ホール』方面に向かう。

たぶん他の生徒と同じ二度目の『どうとくのじかん』を受けに行くのだろう。

ぼくらは校庭中央キャンプファイヤー周辺に集まり、白河君は右手の平に『アースガルズ』を乗せて薪の南面にぼくは横尾先輩と手を繋いで彼ら二人の向かいの北面に並んで立って、術式が発効される準備を始めていく。

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