「#みちむち展」での学び
人工知能を活用した展示会
落合陽一さんが監修・指導する、デジタルハリウッド大学講義・メディアアート成果発表展示会【みちっとむちっと展】に参加させていただきました。
デジタルハリウッドといえば、CG、近年では起業、サービスデザイン等を連想される方が多いと思う。なにせ、スクールには2度通い、今は大学院にも所属している僕自身がそのような認識でいたわけだけど、今回の授業を通してデジタルハリウッドにはメディアアートに対するノウハウがかなり溜まっているという事実を知った。そういえば、大学院の授業でもメディアアートの授業も多く、僕が所属している藤井直敬さんによる現実科学ラボにもメディアアーティストが多数所属している。
話を今回の展示会に戻すが、この授業は年に1度、夏に行われているもので1-2週間でメディアアートに対するインプットから作品展示まで一気に行うというもの。基本は大学の授業なのだが、例年、大学院、過去にはスクールからも参加している。今回は2週間で各自が作品を仕上げた。
僕としては、このような施策に多数関わってきたことから、スケジュール的に、得るものよりも大失敗して失うことの方が多いリスクも感じたものの、個人的に落合陽一さんの授業に興味があったので参加させてもらった。
初回の授業で驚いたのは、トマトジュース片手に複数のドキュメントで解説し、複数のAIで企画を考え、AIを活用してプログラムを組み、AIで展示名を考え、その場でチーミングまで終わらせる、あれもこれも同時並行で繰り広げる超マルチスレッドな進め方に対してだ。普通の人なら、ひとつずつ片づけていくところ、同時並行でこなしていく。なるほど、これが、落合陽一さんの凄まじい活動量とクオリティにつながっているわけだ。
また、プロジェクトを支えるチームが素晴らしい。この授業を受講していた方々がTAとして入っており、各々の分野で受講生を手厚くサポートするシステムが確立している。落合陽一さんという希代のカリスマの存在はもちろん、各分野にいる秀でたTAの皆さんの存在、これこそ回数を重ねてきたデジタルハリウッド大学の財産なのだ。
今回の展示会の特徴は、各自が企画や制作にAIを活用しているというもの。「みちっとむちっと展」という名前もみんなでChatGPTと向き合い、授業の初日に作ったものだ。
「AIを使うとみんな似たようなものになるのでは?」と考える人もいるだろう。ひとつ言えることは、今回の展示は凄まじく人間的で、エッジが強いものだった。有名美術館でみるような隙のない100%ではないかもしれない。それはそうだ。設営はTAと参加者で行っているお手製だし、参加者全員、自分の作品は自腹で作っている。僕以外はみんな学部生であり、バイトをしていない学生は日々の小遣いを削ってなんとか今回の展示を実現している。そんな制限の中、展示されている作品はとにかくメッセージが強く、個性が詰まったものだった。
刻限界のゆらぎ
つづいて、僕自身が作ったものを紹介したい。
今回手がけたのは40年後の自分と対峙する 「刻限界のゆらぎ」という作品だ。このタイトルはChatGPTとの対話を通じて生まれたものだ。
■ステイトメント
暖簾の先に40年後の世界がある。
未来の姿はゆらいでいる。
未来は決断の積み重ねで描かれるものだから。
さぁ、前へ出よう。
自分の意思を信じて。
未来はたったひとつの壮大なキャンパスなのだから。
■目的
老化した自分と向き合う事で、今を大切にする気持ちを伝えたい。
過去は変えられないが、未来は自分の意思で変えられる。
瞬間的に訪れる未来に対して、私たちができることは何なのか?
気づきの瞬間を作りたい。
■クレジット
― Planning & Development
Ken-ichi Kawamura
― Sound
朝倉 行宣
― Fragrance
今井 麻美子
なぜ、このような企画になったのか?
当初は違う企画を考えていたのだが、展示期間が平日にも被っており、人が対面で説明できない場面も考えられたため、見ただけで体験できる企画に組み換え、今回の作品に落ち着いた。
体験の流れは以下の通りだ。
① まず、ブースの中に入る。
② 顔と目の輪郭がデザインされたモニターが1つ置いてある。
③ そこに顔と目を合わせて撮影ボタンを押す。
④ すると、40年後の自分が前方にある暖簾に投影される。
多くの方が説明無しでも体験できていたので、おそらくUX的には問題なかったように思う。
つづいて、なぜ未来の自分を見せたかったのか?
僕は「ちいさな絶望」を作りたかった。
現代は、一人ひとりに最適化された「盛られた人生」を生きる時代だ。
嫌なことを見ないように、蓋をしながら日々生きている。
いまだに男女格差は無くならず、少子化問題も解消されない。
所得格差は広がるばかりで、TVを見ても本当に大切なことは報じず、刹那的な話題で持ちきりだ。
多くの人が今という時間は永遠で、自分では何もせずとも、キラキラとした日常が一生続いていく。そのように感じているのではないだろうか?
そんな現状認識を前に、今必要なのは自分自身に最適化された「ちいさな絶望」だと考えた。
思えば、日本は「絶望」と「繁栄」を繰り返している。黒船来航からの明治維新、第二次世界大戦での敗戦からの高度成長期、バブル崩壊、これらはおよそ70年のスパンで訪れており、今はまさに「絶望」のフェーズだ。今の「ちいさな絶望」は未来の「繁栄」を生む一歩となるという想いが今回の作品につながった。
難しかったポイント
今回の作品を作るにあたり、難しかったことは2点ある。
1点目はコストとのバランスだ。PCや暗幕等の一部の備品は大学側が貸してくれるものの、多くは自分で揃える必要があった。今月は他にも支出が続いており、最小限のコストで最大限のインパクトを狙いたかった。
2点目はスケジュールだ。実は演出自体は早々に作り終えていた。黙々会にてベースを作り、ブラッシュアップが完成していたのは以下の映像だ。
予定が詰まっていた関係で「続きは会場で設営しながらシステム開発をやろう。2日あるし余裕でしょ!」と思っていた。
実際、何も無ければそれで余裕だった。
いざ組んでみると、APIの反応がたまに遅くなるという問題が発生した。画像の生成に5分ほどかかる場合があるのだ。
原因の特定と改善が済んだのが本番当日の朝。
控えめにいってギリギリだった。^^;
※どんな対応をしたのかは、Derivativeのサイトにて。
今、メディアアートに取り組む意味とは?
「そんなものつくって意味あるの?」
効率を重視する現代社会では、このように感じる方は少なくないだろう。
メディアアートに取り組む意味とは、あえて言語化するなら(※)、世の中をみる解像度を上げることにあると考えている。
(※ ほとんどのアーティストは、こんなに左脳的に考えず、内発的欲求から無意識に凄いものを作っているのだが)
私たちは現実を見ているようで見えていない生物だ。
ニュートンはリンゴの木から果実が落ちる瞬間を見て重力を発見した。それまでにも物が落ちるということを見ていた人は沢山いたが、重力に発想が及んだのはニュートンが初だった。
変化が求められている今、一人ひとりに重要なのは「課題感を持って世の中をみること」にある。課題感があれば、世の中を自分なりの角度から見ることができ、それこそがその人の個性になっていく。
また、メディアアートにはアイデアだけでなく、見る人にメッセージを届けることが求められる。アイデアがあっても形にできなければ一切の価値が無い世界なのだ。
アイデアと実現力。これらの接点を高速に探る行為こそメディアアートであり、訓練、創作、批評、発表の場として、メディアアートはこれからもなお価値あるものであり続けるだろう。
さいごに
今回の作品を作るにあたり、朝倉 行宣さんにサウンドを提供いただき、今井 麻美子さんには香りを提供いただいた。お二人とも、超テクノ法要でお世話になっている方であり、今回は計らずも超テクノ法要的な作品になったように思う。
杉山学長や周囲の方が手がけたデジタルハリウッドという大きな器の存在。そして、朝倉 行宣さん、今井 麻美子さんをはじめ、ニコニコ動画のカルチャーが育てた超テクノ法要というプラットフォームの力に「作らせていただいた」形となった。
「次世代に貢献できる人でありたい」
今回もそのように感じる機会でした。
ありがとうございました。