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抜け出せないロードムービー 特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」

 小説でも映画でも、大団円を迎えるエンディングよりは、そこから先を想像させられるものの方が好みだ。それらはどんな作品かといえば、物語としては一応の終わりを見せるにせよ、それとは無関係に進んでゆく登場人物たちの時間を改めて意識させてくれるようなものである。「何年後––––」のように後日譚を明らかにする(ことで本篇の結末を語る)のでなく、また、余韻があるとかないとか、そういった話でもない。映画や小説といった枠組みを越えて、登場人物たちのそれからの人生に引き込まれてゆくような作品、とでもいえばいいだろうか。7月17日(土)からシアター・イメージフォーラムで特集上映が組まれているアメリカの映画監督、ケリー・ライカートの作品が、まさにそれである。

ケリー・ライカート監督

Kelly Reichardt

 ケリー・ライカート(Kelly Reichardt)は1964年、フロリダ州マイアミ生まれ。“現代アメリカ映画の最重要作家”と目されているが、日本では上映機会が極端に少なく、したがって知名度もそれほど高いわけではない(実際、私も最近まで知らなかった)。映画監督としての最初の長篇作品は『リバー・オブ・グラス』(1994年)。サンダンス映画祭やベルリン国際映画祭にもセレクションされたこの作品は注目を集めたが、その後の12年はごくプライベートな作品のみを制作し、2006年『オールド・ジョイ』を発表した。最新作はA24配給の『First Cow』(2019年)で、こちらはベルリン国際映画祭で金熊賞にノミネートされている。

 7月の特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」では、先に挙げた『リバー・オブ・グラス』『オールド・ジョイ』、そして『ウェンディ&ルーシー』(2008年)、『ミークス・カットオフ』(2010年)の計4作品が上映される。

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『オールド・ジョイ』©︎2005, Lucy is My Darling, LLC.

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『ミークス・カットオフ』©︎2010 by Thunderegg, LLC.

 この特集の宣伝担当の方からオンライン試写のご案内をいただき、私は初めてケリー・ライカートの名を知ったわけだが、これまで観ていなかったことを非常に悔やみ、また同時に彼女の存在をこうして知ることができて本当によかったと、4作品観終えた今、感じている。ここでは上映4作のうち特に印象深かった『リバー・オブ・グラス』と『ウェンディ&ルーシー』について触れていこう。

見慣れた場所での逃亡生活

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©︎1995 COZY PRODUCTIONS

 「コーラル・ゲーブルズ病院で1962年に生まれた」という女性の独白が、病院と思しき建物のイラストレーションをバックに流れる。こうして始まる『リバー・オブ・グラス』は、マイアミの西側、フロリダ湿地帯が舞台の現代劇だ。独白の主はこの物語の主人公、コージー(リサ・ドナルドソン、本作ではリサ・ボウマン名義)。結婚して子どもを儲けているが、空虚を抱え、退屈な時間を空想などのおよそ生産的でないことに費やしている。コージーの父・ライダー(ディック・ラッセル)は元ジャズ・ドラマーだがコージーを授かったタイミングでその夢を捨てて刑事になった。ベテラン刑事だが、なぜか拳銃を落とす癖があり、ある時、バーのレジ金を盗んだ男を追っている途中で拳銃がなくなっていることに気づいた。この拳銃が隣の郡に住むリー・ロイ・ハロルド(ラリー・フェセンデン)の手に偶然渡ってしまうのだが、そんなことを知らないコージーと、その拳銃の持ち主を知らないリーがこれまた偶然、バーで知り合うことに––––。

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©︎1995 COZY PRODUCTIONS

 コージーとリーはある出来事をきっかけに、逃亡生活に突入する。逃亡といっても、モーテルに泊まり、金目のものを探しにリーの実家に空き巣(?)に入ったりといった具合で、おまけに車があるのに地元からすら出ていない。「こうしてすべてを捨て去っても––––見慣れた場所にいるなんて」。そう、取り立てて何も起こらずに物語は進んでゆく。そうして迎えるラスト・シークエンスの、コージーの心の動きと行動に、観る者はハッとさせられると同時に、憑き物が落ちたような不思議な清々しさを感じるのではないだろうか。ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を好きな方にはぜひ観ていただきたい一本である。

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©︎1995 COZY PRODUCTIONS

途方に暮れた先の選択が胸に迫る

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©︎2008 Field Guide Films LLC.

 『ウェンディ&ルーシー』は、仕事を求めて車でアラスカを目指す女性ウェンディ(ミシェル・ウィリアムズ)と同乗者たる愛犬ルーシーの物語だ。旅の途中、オレゴンで車が故障し、足止めを食ってしまったウェンディ。ドッグフードも底をつき、お腹を空かせているルーシーに「おやつを持ってくる」とウェンディはスーパーに入ってゆく。スーパーでドッグフードをバッグに忍ばせたまま外に出ようとしたウェンディは店員に捕まり、警察に連行されてしまう。スーパーの前にはルーシーがつながれたままだ。拘留は思いがけず長時間にわたり、罰金を支払ってようやくスーパーの前まで戻ると、ルーシーの姿がない。方々探してまわるが、ルーシーは見つからず、途方に暮れるウェンディ。悪いこと続きだ。それに、当たり前だが何をするにもお金がかかる。

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©︎2008 Field Guide Films LLC.

 車の故障は予想以上に深刻であった。修理代を払えそうにもないウェンディにとって、選択肢は二つ。一つはオレゴンに留まる。もう一つは車でなく列車でアラスカを目指す。オレゴンには働き口はなさそうで、そうなると列車移動ということになるが、その場合仮にルーシーが見つかっても一緒に連れてはゆけない。果たして––––。

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©︎2008 Field Guide Films LLC.

迷路のような生の中で少しだけ踏み出す一歩

 前述の2作には、ロードムービー的なところはあるのだが、いずれも「抜け出せないロードムービー」といった形容がしっくりくる内容といえるだろう。「抜け出せない」とは、物理的な意味はもちろんだが、登場人物たちを取り巻く社会や状況ということでもある。動いているようで動いていない、あるいは動きたくても動けない原因は様々ではあるが、あたかも出口の見つからない迷路のようなその生の只中で、人の無力さを痛感させる瞬間がじんわりと画面から浸み出してくる。とはいえ、諦念ばかりが支配する作品ということではなく、ライカート作品の登場人物たちはみな、自らの意志でもって少しだけ歩を進める。そうしたほんの少しの前進があるからこそ、私はその先を想像してしまうのである。

 問題がすっきりと解決されたり、風向きが変わってすべてがいい方向に向かうというようなエンディングは、ライカートの作品では訪れない。この、永遠に途上という感じが実にいいのだ。と、こう書くと、小難しい作品か、と思われる方もおられるかもしれないが、いずれの作品もストーリーはシンプルなもので、分かりにくさは皆無である。また、音楽の用い方も絶妙で、『リバー・オブ・グラス』のレコードをかけるくだりなどは最高。本稿で取り上げてはいないが『オールド・ジョイ』の音楽はヨ・ラ・テンゴが担当していて、素晴らしい効果を生んでいることを申し添えておこう。

 なお、本特集上映のために、『THE COCKPIT』(2014年)やNetflixオリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』(2020年)などで知られる映画監督・三宅唱と現在公開中の『映画:フィッシュマンズ』の編集を手がけた大川景子による日本限定スペシャル予告編が制作された。『ウェンディ&ルーシー』で聞かれるミシェル・ウィリアムズの鼻歌から始まり、『オールド・ジョイ』のカート役を演じたミュージシャンのウィル・オールダムが作曲、ミシェル・ウィリアムズがアレンジを加えたという乾いたギターの旋律を経て、ヨ・ラ・テンゴが『オールド・ジョイ』のために提供した楽曲「Leaving Home」へと連なる音楽と、ここから新たな物語が始まるかのような独自の観点でエディットされた映像の融合を楽しむことができる。

特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」

【配給】グッチーズ・フリースクール、シマフィルム
【提供】シマフィルム、東映ビデオ
【オフィシャルサイト】https://www.kelly2021.jp

7月17日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次開催

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