見出し画像

「前提条件」を認識する重要性について

物事に対して意見が合わない。

どれだけ話し合っても、肝心のところは合意できない。

話が平行線をたどり続けていて、先に進む気配がない。

このように多くの場面で、前進することが出来ない議論がある。

同じ情報を得たはずなのに、全く別の結論になるのはなぜなのか。

それは多くの場合は前提条件を見過ごしているから。

前提条件を認識することなく、確認することなく話を進めてしまうから。









世界中で起きている紛争について、それぞれが正義を語る。

そしてそれぞれの立場から見るといずれも正義と考えられるストーリーに納得する。

ただ、その話の始まりはどこなのか。

始まったきっかけが直近の出来事なのか、それとも太古の昔に遡らなければならないのか。

それぞれが話を切り出す始まりの部分が別であるため、前提が揃うことは無い。

どちらが先にその土地に住み始めたのか、どちらがその場所を先に発見したのか。

より早い方が正義とすることによって解決することはあるのか。

話し合いが進むことなくそれぞれの視点で語られてしまうため、影響力のあるメディアが付いたほうが多く放送されてそちらが大衆の正義になる。

そして片側に優位になるような前提条件が語られ続けて、その意見を持った側が多数派となり拡大していく。

もちろん不利になる前提条件は一切語られない。

情報格差によって本当の前提条件を埋めることがないため、それぞれの主張に対して判断することが出来ない。

この状態が続くことによって、紛争はずっと紛争のままいつまでも継続する。

和平が成ったとしても、それは本当の意味での合意になっていることは少ない。

片方が完全に消滅するまで、争いの種は消えることがない。

だからこそ、いつまでも世界は争いが続いている。










見ることが出来ていない前提条件、それはどのようなものなのか。

多くの前提条件は、歴史にあるように感じる。

時間をどこから語るのかということによって、その前提条件が変わってくる。

そして関係してくる立場や経験したこと、それらも前提条件になる。

ただ、誰一人として同じ人生経験をすることは出来ないため、情報量も触れることが出来る経験も異なる。

だからそもそも前提となるものが合わないのが普通。

学校や近所などの価値観、それが前提条件になることもあれば、法律や不文律などが前提条件になることもある。

これらをどの範囲まで認識できているのかということが、全体を把握するためのカギになることが多い。

もちろん全てを知ることが出来ないため、可能な限り集められた情報や証拠が前提になる。

これらを無視した状態で語るのではなく、出来るだけ多くの様々な視点から見ることが出来る前提条件をどこまで準備できるか。

そしてどこまで認識できるか。









何か問題が発生して、意見が合わないのならば、まずは前提条件を確認する。

その前提条件の個々人から見える正当性をどこまで客観的に評価できるか。

そしてどこまで考慮できるか。

前提とするもの、それをどこまで知ることが出来るか、それが結果として未来を切り開く道になる。

まずは一度立ち止まって見て、何が前提条件として自分が物事を見ているかを確認するのもいいかもしれない。











ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?