「それ知っている」「聞いたことがある」が増えてきたならば
同じ環境に居続けると、その分野についてかなり詳しくなったりする。
学校での勉強や会社での対応、外のコミュニティーが家の中でするべきことについてもいずれルーティン化する。
そして工夫する部分が飽和してきて全て無意識に出来るようになってきたら、それは極めてきたということ。
さらに他の人から言われることに対しても、すべてさらっとこたえられるようになったら専門家。
ただ、「それ知っている」「以前に聞いたことがある」ということで溢れるようになっていたら、新しい発見がないことがないことの証拠でもある。
そしてそれは挑戦をしていないということにもつながってしまうかもしれない。
というのも事前に勝手に解釈するようになって、実は違う発見につながる可能性があることを事を見逃すこともある。
だからこそ、同じ話だと思わずに最後まで聴くというのも大切なことであり、そこにもしかしたら新しい挑戦きっかけがあるかもしれない。
知っていること、聞いたことがあるが増えること、それはそれで素晴らしい。
そしてそのように感じた場合は、別の全く知らないジャンルに挑戦する時期なのかもしれない。
一歩別の世界に踏み出す合図と考えてもいい。
もちろん同じような言葉で囲まれていることは、心地が良い環境。
理解もしやすいし、脳への負担は小さく楽である。
一方で知らないジャンルに飛び込むのにはかなりの勇気がいるかもしれない。
そして初めは理解出来ないことで溢れていて、とても大変になるかもしれない。
しかしながら、一度自分が得意とするジャンルを離れて挑戦すること、分からないの世界に飛び込むことが出来たら、結果として新しい考え方の軸が生まれるかもしれない
そうすることで、元々過ごしていた環境を客観的に見ることが出来、視野の広さを感じることが出来るようになる。
そのあとに元の世界に戻ることで、元の世界での新しい発見が出来るかもしれない。
これこそが越境であり、壁を超えること、枠を超えること。
「知っている」「聞いたことがある」が増えているということは、自分の中に壁が構築された状態。
あるいは「型」といってもいいかもしれない。
そしたら次にやることは、その枠を飛び出すこと。
その枠をどれだけ超えられたかによって、人生の幅は一気に広がる。
もちろん幅を広げることは強制でもないし、したくない人が無理にする必要性は全くない。
ただ、折角限られた時間があるのだからこそ、多くの新しい発見や楽しみを得るという意味では、色々な挑戦をすることの方が楽しいに違いない。
あなたの中の「知っている」「聞いたことがある」を合図にして、新しいジャンルに飛び込んでみませんか?
ありがとうございました。