見出し画像

あなたの残り時間、1日あたりいくらで売買可能ですか?

自分自身のいつまで寿命が続くかがわかる人は、ほぼいない。

ほとんどの人がいつまでも生きているかのように毎日行動して、意図せず時間を浪費していることが多い。

当たり前の日常を過ごせること、毎日が実は奇跡的であることに、気が付いていない。

そして突然やってくる終わりに対しては、何も想定していない。

今日一日の無駄にしてしまった時間は、今日を生きられなかった人にとってはもしかしたら喉から手が出るほど欲しい時間かもしれない。

何気なく過ごしてしまった一日というものの価値について、目指しているその日を迎えることが出来ないことが分かった地点で、ものすごく価値が跳ね上がる。

余命を告知される場合、その瞬間から残り時間の1秒1秒の価値がものすごいことになる。

一方で認識していない場合は、その1秒の価値は本人にとってどうでもよくなってしまう。

残りの制限時間が認識できていることと認識できていない場合での差は、天と地の差であるように感じる。




もしすべての人が、残りの寿命時間が何らかの形で見える化されたとするなら、どうなのだろうか。

それが何かの行為をするかしないかによって、残り時間が大きく変化する可変性のもの。

そしてもしそれを自由に売り買いできるとするのならばどうなのだろうか。

もしあなたが40歳で、残り50年の時間のうち、20年を売ることが出来るとするなら。

逆にもしあなたが60歳で、残り時間が10年であるとき、もし20年分を買うことが出来たらどうするか。

あなたは、残り時間をいくらで売りますか。

もしくは、追加で時間を買えるのならいくらで買いますか。

その相場が果たしていくら位なのか。

現在の年齢や環境の自由度や価値観によって、その時間の価格は大きく変わってくるに違いない。




現実世界において、そもそも残り時間が各自で明確に見えることは無い。

ただ、実際のところは一つ一つの行為が残り時間に影響を及ぼしていることも数多くある。

だからこそ、目に見えない時間を長くするために良い食べ物を接種したり、少しでも寿命を延ばすことを大切にしようとする。

そして本当に自分が望んでいることが楽しめる時間をいかに作り出すことが出来るかという事に思いを馳せる。

もし時間を沢山得られたとしても、自分の裁量で自由になる時間がないのならば、その時間そのものは価値があまりない。

時間を得られても、病気で身体が不自由な状態で動くことが難しいならば、時間の価値は健康状態でいるよりも大幅に下がってしまう。

時間を得られても、経済的に困窮して苦しい思いをしているとするならば、その時間の価値はかなり低くなってしまう。

寿命を自由に売り買いできたとしても、実際のその人の環境や自由度によってはあまり価値を持たない時間ということなのだろう。

そうであるならば、いかに今の時間を自分のコントロール下に置くことが出来るかどうか、まずはそちらの方が優先なのではないだろうか。

より自分の中での自由に選べる選択肢が多くある状態、その状態の時間というものこそがより価値を持つし、高く売ることが出来るに違いない。

自分のコントロールが手に入っている状態で、時間をしっかりと楽しむことが出来る状態にするということ。

まずはその部分を達成するために、日々の行動に注意することこそが重要であるように感じる。



ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?