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みんな遊ぶために生まれたのだからこそ

生きている間のうち、本当に心から望んでいた遊びの時間はどのくらいなのか。

子供の頃には時間も誰にも何も気にすることなく遊んでいたものが、大人になったことで人の目線を気にして遊びに対する時間を感じにくくなる。

遊びに没頭するが、子供の頃に比べるとやりにくくなる。

仕事や家事、子供の世話や介護含めて、ある意味では遊ぶ事ができていない時間。

生きるために必須な時間である睡眠と食事の時間を追加で差し引くと、実は遊んでいる時間はあまり長くない。

もちろん自身の解釈をうまくコントロールして、仕事そのものであったり、その他の義務とされることを遊びであるという人にとっては良いかもしれない。

ただ、多くの人は仕事は仕事、遊びとは別のものと思っている状態であるのも事実。

そうなると、本当に遊びとして過ごせている時間というのはどのくらいなのだろうか。




もちろんこれらは人の立場によって異なることも多い。

結婚の有無や仕事上の立場の違いなど、様々な要素がある。

独身であれば何をしていても気楽であり、仕事の立場がそこまで重くなければ縛られる必要がない。

さらに恵まれていて、中にはお金に不自由なく自由に多くの時間を遊び以外の時間として過ごす人も多い。

それを考えると、何にも縛られない状態で遊びのみに特化できている人というのはとても強い。

その状態で過ごせている人というのはどのくらいいるのだろうか。




ときどき仕事する事そのものが遊びであり、面白いゲームだと思っている人がいる。

その他の様々な生きていく上での義務についても縛りのあるゲームとして感じて、それらを意識しつつ楽しみの頂点を目指す人もいる。

いっそのこと割り切って、人生全体を全てをゲーム・遊びとしてしまう事ができたら、それはそれでとても強い気がする。

全ては捉え方次第であり、なんでもゲームにできる人はできてしまう。

ゲームとして与えられるものをゲームとするのではなく、自ら全てをゲームとして設定し、いかに遊びと捉えてしまえるか。

それが常に出来ているかどうかで、人生の質が大きく変わってくる気がする。

遊ぶために生まれたのだからこそ、この解釈技術を使えるかどうかは大切であるように感じる。



ありがとうございました。

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