希少経験がものすごい金銭的価値を生み出す可能性について
この国における人の一生の時間は,、ある程度決まっている。
人によって異なることはあるものの、男性はおよそ81年であり、女性はおよそ87年。
その中においては、多くの人が似たような枠の中で多くの経験が構成されることが多い。
男性の一般的な一生においては、生まれてから義務教育を受けて、ある企業に勤めたのちに無事に定年を迎えて、老後を過ごす。
女性の一般的な一生は、男性よりも生まれてくる子供を育てていくというものが追加される。
もちろんこの枠に当てはまらない様々な一生があるかもしれないが、多くは似たり寄ったりであり、抽象するとほぼ同じといっても過言ではない。
だからこそ、いわゆる一般的なモデルとされる一生を目指すべき幸せとして過ごすこと、そのことについては価値はありふれたものになる。
一方で、全く別の生き方をしていたり、如かれたレールから外れたような人というものの経験は、希少性が高くなる傾向がある。
そして希少性が高いのは、比較的安定している国の中で言えば一生がよりアップダウンの激しいものが多くなるように感じる。
もちろんありきたりな人生、アップダウンが激しい人生、レールに沿った人生、レールに全く沿わない人生、それぞれがその人にとっての唯一の経験であり、価値があることは間違いない。
ただ、その中でもより少数のみか経験していることは、より珍しいこととなり、その価値は通常以上のものになりやすい。
珍しい経験とはどのようなことを言うのか。
それは、多くの人が経験することがない人生。
例えば今の時代において、小学校にいかないという選択をすることは、実は希少価値がものすごいものになるかもしれない。
一般的には不登校という名前で統一されることが多く、ネガティブな印象を持たれがちである言葉。
しかしながら、実は希少性という価値観からとらえると、それはものすごい価値を持つ可能性がある。
そこに発信が加わることによって、ゆたぼんのようにyoutuberとして大きな存在になるケースが存在する。
そこには大きな金銭的な価値が発生しており、希少性が存在している。
他にも様々なものが想像できる。
企業に勤めずに独立して大成功をし、完全に自立する人生。
結婚せずに、誰も経験出来ないレベルの自由をどこまでも謳歌し続ける人生。
刑務所に閉じ込められたことがある人生。
傭兵として戦場を経験したことがある人生。
宇宙空間を経験したことがある人生。
博士になってすごい発見をすることで、名前を歴史に刻む人生。
珍しい精神障害を抱えていて、ハードルが高めの人生。
若いうちから積極的に世界中を冒険し挑戦し続ける人生。
良いとされるものから、悪いとされるもの、その時代における世間一般に染まっていない状態であることが実はものすごい価値になる。
そしてその経験に対して、うまく活用できたら破格の金銭が支払われることもあるかもしれない。
このことから考えると、実は一般的な枠に当てはまろうとすることは、ただひたすら価値を持たせ無くすることへの誘導ということになるのかもしれない。
エスカレーターのように、誰もが当たり前のように想像の範囲内で過ごすことは幸せかもしれないが、価値は果たしてどうなのだろうか。
例え特別であったとしてもそれが枠の範囲内に過ぎないことは、本当の意味での特別になりうるのだろうか。
もちろん誰もが唯一の、一回きりの経験をしている。
一般的な経験とされるものでも、実はその価値というものはかけがえのないもの。
ただ、抽象化されたときに一般化される範囲で生きていることと、一般化されない状態で生きていることでは、全く価値が異なる。
そしてその価値・経験はものすごい金銭を生み出すこともあるかもしれない。
その経験が枠から外れていれば外れているほど、ものすごい価値を持つ。
その経験を発信することだけで、一生涯困らないレベルの金銭を得ることが出来るかもしれない。
ただもちろん、その分困難も多くあるかもしれない。
だからこそ、それ以上にそれを乗り越えられた時の評価は凄まじいものがある。
もしくは既存の評価軸では測ることが出来ず、未来に存在する軸でしか評価されないものかもしれない。
このように希少性のある経験をすること、そのための選択を積極的にすること、それはとても貴重なこと。
選ぶことが可能な選択肢の中で、出来るだけ誰もが選ばないものを選択する。
それこそが様々な価値の源泉になることもあるかもしれない。
ありがとうございました。
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