恐怖をあおる報道と追い込み漁が似ている
私が小さいころ住んでいたのは、いわゆる田舎。
夏になると近所の小川によく遊びに行っていた。
父親が大きめの網を作ってくれて、それを使ってよく川魚を取っていた。
川魚が沢山潜んでいたのは、小川と用水路の間をつなぐ人が一人通れるかどうかというサイズの穴。
魚を取る方法としては、事前にの出口あたりに網を仕掛けておいて、穴の中を入口から出口に向けて走っていく、いわゆる追い込み漁。
小さな用水路の穴であっても自分は当時小学生低学年で身体が小さかったこともあり、水の中を腰までつかりながらバシャバシャと水を泡立てながら進んでいくことで魚を追い込むことをしていた。
頭上にある多くの蜘蛛の巣に絡まりながらも、用水路の穴を全力で出口に向かっていくのは楽しかった。
穴の出口に出たときに網を引き揚げると、色々な種類の魚がどっさり。
取れる魚としては、メダカ・タナゴ・フナ・コイ・オイカワ・どじょう、そしてごくたまにナマズ。
毎回その魚をバケツの中に入れて家の水槽の中に入れてペットとして飼っていた。
1回目はかなり多くの数が取れるものの、回を重ねるごとに徐々に取れる数は減っていく。
そして次の日に同じことをすると、前日の最後の時よりは少し増えるものの、あまり多くは取れていない。
魚の方も学習して、だんだん少なくなっているのかなとなんとなく思っていた。
そして1週間ほど間隔をあけてまたやってみると、また沢山の川魚たち。
水槽の中のペットたちがさらに増えていく。
毎年夏になるとなんとなく思い出す、川魚の追い込み漁。
日常のニュースでは恐怖をあおる報道が多い。
扱う内容が基本的にネガティブなものが多い。
テレビやネットなどを問わず、特に最近はその傾向が強い気がする。
報道は実際には世界の一部しか見えてみないものを、まるでそれがすべてであるかのように扱うことがあたりまえ。
電車の中で刃物をふりまわしている人がいる。
高速道路で煽ってくる人がいる。
道で多重事故が発生している。
実質の給料がどんどん下がっていく。
回転寿司で問題行為が連続している。
食糧危機で食料価格がどんどん上がっていって、手に入らなくなるかもしれない。
国の借金が○○を突破して、財政破綻しそう。
少年の凶悪犯罪率が上がってきている。
どこかの国からミサイルが飛んできて、頭上に落ちるかもしれない。
伝染病が流行っていて、多くの人が亡くなっている。
石油はあと40年で無くなる。
環境ホルモンやダイオキシンが大変だ。
地球温暖化で北極の氷が解けて、低地は水没していく。
SDGsを進めていかないと、地球が大変なことになってしまう。
過去から現代まで、ありとあらゆる手段で恐怖がすりこまれてきた。
恐怖に追い込まれると、人間のIQはどこまでも下がっていく。
そしていざ一つの解決策のようなものが少しでも見えると、そちらに全力で走っていく。
人によってはよくわからず多くの人がそちらに向かうので、なんとなくついていってみる。
そこに仕掛けられるのが、ご立派な落とし穴。
その穴の中に落ちる人もいれば、なんとなく気が付いてぎりぎり回避する人もいる。
落とし穴に落ちていることにすら気が付いていない人もいる。
そして、そもそも回避不能な落とし穴もある。
まさに四方八方から漁のごとく恐怖でとことん追い込んで追い込まれて、その結果の集大成が今の世の中。
多くの幻想恐怖によって追い立てられて、どこまでも何回も落とし穴に落ち続ける。
漁と同じく毎日繰り返すとさすがに慣れてしまうので、大きなイベントは時々にしているほうが効果的ということも、わかる人は知っている。
あのときの川魚は、いまの私たち。
ばしゃばしゃと追い込む過去の自分は、メディアの恐怖報道の数々。
網は、落とし穴。
気が付く人は気が付いているし、気が付かない人はずっとそのまま。
そして、自分自身は気が付いて無事に回避できたように思えていても、実はより大きな落とし穴に気が付いていないことも十分にある。
落とし穴を回避した先にある網をかいくぐっても、さらに罠は続く。
今の世の中で、ほぼ全てを華麗に回避できている人は果たしているのだろうか。
そして自分自身は認識できていない罠に、いくつはまっているのだろうか。
そして、罠にはまった事すらも貴重な体験として楽しめる自分でいられるのだろうか。
ありがとうございました。
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