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ホメオパシー魔女おばさんの説得を試みて分かったこと-バカが教えてくれた次元のはなし

馬の耳に念仏」という言葉がある。「馬には念仏の意味が分からないので聞かせてもムダである」という意味の言葉だ。

犬に論語」という言葉もある。「犬には論語の意味が分からないので聞かせてもムダである」という意味の言葉だ。

兎に祭文」という言葉もある。「兎には祭文の意味が分からないので聞かせてもムダである」という意味の言葉だ。

牛に経文」という言葉もある。「牛には経文の意味が分からないので聞かせてもムダである」という意味の言葉だ。



……


いや、そんなにバリエーションいる???


並べてみると「そんなにバリエーションいる???」と思わずにはいられない。「猫に小判」とかはちょっとニュアンスが違うから必要なの分かるけど、「○○(動物)に □□(言葉)」シリーズは1個あればよくない?


だけど考えてみると、多分そうではないのだ。


僕はあまり服のバリエーションを持っていない。クローゼットにある服はもっぱらスウェット・パーカー・ジャージなど部屋着の類で、ワイシャツやジャケットなどはほとんどない。フォーマルな服装は1パターンしか作れない

だが、それで全く困っていない。僕はあまり外に出ないし、フォーマルな服装が求められることに至っては半年に一回しかない。半年に一回なら常に同じ服を着ていても誰にもバレない。1パターンあれば必要十分なのである


僕のような限りなく無職に近いジャージの場合はそうなのだが、営業をしたり社交をしたりに余念がないバリバリのビジネスマンはそうではない。彼らはほぼ例外なく、それなりのバリエーションを持っているだろう。

要するにこれは、必要性の原理なのだ。人間は必要になった時にバリエーションを獲得する。「いつも同じものだとマズいな…」という気持ちが、我々をバリエーション獲得に向かわせるのだ。


さて、話を戻そう。

日本人が古来から「馬の耳に念仏」だの「犬に論語」だの「牛に経文」だの、同じような言葉を発展させてきたのもきっと同じ理由だろう。

あいつはバカだから話しても分からない」ということを何度も何度も言ってきたのだ。

何度も言っている内に「あれ、また”馬の耳に念仏”か…?たまには違う言葉の方がいいかな…?昨日も同じ言葉使ってたなって思われるかな…?」ってなったに違いない。さながら、サークル同期の結婚式が同時期に相次いだ結果「もう着ていくドレスがない!」ってなっている26歳女性のごとく。


そういうことで、「馬の耳に念仏」だけだとバリエーションが足りなくなり、誰かが「犬に論語」と言い出したんだと思う。皆それを採用してバリエーションを増やしたが、また足りなくなって今度は「牛に経文」と言い出した……というような連綿と続く営みの結果、同じような言葉が増えまくってしまった。

なんなら、「猫に論語」とか「馬に経文」とか、動物を入れ替えただけの手抜きバリエーション語彙もたくさん辞書に載っている。

いよいよ結婚式のやり過ごし方みたいになってきた。「う~ん、このドレスは先月も着たけど……スカーフとバッグを変えればそれでいっか!」みたいな世界観になってきた。


そんな苦肉の策でバリエーションを増やさなければいけないほど、我々は何度も何度も何度も「あいつはバカだから話しても分からない」ということを表現してきたのだ。

26歳あたりの結婚ラッシュは相当なものだが、話しても分かってくれないバカラッシュは、それを遥かに上回る。何しろ結婚は一人あたり大抵1~2回、どんなに多くても5回くらいだと思うが、バカは一生バカなのだ。一人に対して100回でも1000回でも「あいつはバカだから話しても分からない」と思わなければならない。

我々はそんな無限のバカラッシュを適宜やり過ごしながら生きていかねばならない。人生とは大変なものだ。


バカラッシュ……僕はもう疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ……。


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(アニメ『フランダースの犬』より引用)


アントワープ大聖堂で絵を見て死ぬのはそれなりに本望だと思うが、バカラッシュに疲れて死ぬのはなんとしても避けたいところである。皆様においても「兎に祭文」などの豊富な語彙を活用してバカをバカにしていくことでなんとか精神の安定を保って対処されたい。


宇宙の真理「バカだから話しても分からない」

バカな人はバカなので、正しいことを何回伝えてもあんまり分かってもらえない。

僕は3年ほど前、「医者の言うことはアテにならない!これが一番効く!」といってホメオパシーの薬を購入している人と初めて知り合った。

※ホメオパシーについて知らない人のために簡単に解説しておくと、「薬は薄めれば薄めるほど効果がある」等のぶっとびおもしろ理論を展開するオカルト療法である。臨床実験において、医療効果は全くないと確認されている(プラセボ効果はある)。


この人と相対した僕は、「うわっ!コントとかで見たことある!こういう人実在するんだ!」と驚いた。なんとなく存在を噂には聞いていたものの、本物を目にするとある種の感動があった。ツチノコを見つけたみたいな気持ちになった。

そして、ツチノコを発見した生物学者ばりの探究心で、なぜこの人は高度に発展した現代医療よりもホメオパシーを好むのかという問題に取り組んだ。あの時僕がやっていたことは「会話」というよりは「観察」に近い。

小一時間ほど話しながら観察して、彼女のことを色々ヒアリングした。彼女が「医者はダメだ!ホメオパシーが良い!」と感じるに至った経緯は、要約するとこんな感じだった。

・幼少期から持病のアトピーを患っていて、近所の病院に通っていた。
・しかしその病院の医者は怖い年配のオジサンであり、あまり親身になって話を聞いてくれなかった。
・「症状はこうなのだ」と説明しようにも、「はいはい、じゃあこれ塗っておいてね」と適当に薬を渡される。
・その薬は全然効かなかったし、かえって悪化した気がする。
だから、医者はダメだと分かった。
・そんな折、「心と身体を整えるセミナー」みたいなヤツに参加して、ホメオパシーの先輩であるナントカさんに出会った。
・ナントカさんはとても優しく話を聞いてくれて、「優しいな~、こういう世界が好き♡」と思った。
だから、ホメオパシーは良い

このマガジンをここまで読み進められる知性がある方ならきっと、論理についていけなくてパニックになったと思う。安心して欲しい。僕もリアルタイムでパニックになった


なんというか、彼女の論理は”ホンモノ”という感じがする。

「ちょっと論理の飛躍がある人」にはツッコミを入れたくなるのだが、”ホンモノ”に対してはそんな気持ちは微塵も起こらない。僕は「なるほど~!」と説明を受け入れるしかなかった。


さて、そこで観察を終わりにしてもいいのだけど、僕は気になってしまった。「ホメオパシーは科学的に検証されていて、プラセボ効果しかないと結論が出ている」と彼女を説得しようとしたらどうなるのだろう

まあ彼女はバカなのでその説得が失敗に終わるのは明らかなのだけれど、やってみるとどんな空気になるのかが気になってしまった。

気になったならやってみるしかない。手塚治虫も「好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる」と言っている。僕の説得は時間の無駄だが、自分の糧になるのだ。


さあ、道草を始めよう。


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