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九州旅行の思い出。あるいは、なぜ僕はフォロワーの家に泊まるのか

「自分探しの旅」という言葉をイジるのはもう面白くない。「自分を探してインドに行くな!お前は日本にいるから!」的なツッコミは使い古されてしまった。あるあるネタの賞味期限は短い。あるあるは陳腐化するのだ。


僕はもっぱら、自分を探すのではなく、他者を探すために旅をしている。東京であくせく働いていると新しい人に会う時間はあまり取れないので、旅先は良い社交の場になる。今回は1週間ほど九州に滞在していたけれど、50人くらいの新しい人と知り合った。

いつからか、旅行のたびに、「誰かご飯奢ってくれ。家泊めてくれ」とツイートするのが習慣になった。

最初は「旅費が浮いて最高だぜ! 己の影響力をお金に変える! これがお金2.0だ!」みたいな魂胆だったけれど、最近はもはやそういう問題でもなくなっている。

ここ2年で、収入はずいぶん増えた。めちゃくちゃにお金があるというワケではないけれど、別に旅費をケチる必要もない。

それでも、人から飯を奢られたり家に泊めてもらったりするのは、自分に枷をはめるためだ。誰かと思い切り、たくさん喋るための枷を。

僕は特別に人が好きな方じゃないから、普通にしてたらあまり人と関わらない。でも奢ってもらえたら価値提供したくなるので、一生懸命話すことになる(人が好きな方ではないが、根がマジメな方ではある)。

そして、その中で新しい洞察が得られたり、ずっと悩んでいたことに対する答えが出たりする。結果として「自分探しの旅」に近い効能が得られた。結局、自己を知りければ他者を見るしかない。

ずいぶんたくさんの人に会い、ずいぶんたくさんのことを考えた九州旅行だったので、今日はそんな話を書きたい。旅行記のような、エッセイのような、社交メモのような、友だち自慢のような、悪口のような、カテゴリの決めにくい記事だ。


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