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会ってみたら超ガッカリした腕利きクリエイター。目にウロコが飛び込んでくる体験について【前編】


「お久しぶりです!最近、クリエイター志望者向けのセミナーを主催してるんですが、ゲストで出演してもらえませんか?オンラインで僕と1対1で喋る感じで、創作について1時間喋って欲しいです。事前準備とか打ち合わせとかは一切なし。ギャラは少額で申し訳ありませんが、○円だけ出ます」


ずいぶん久しぶりの友人から連絡が来た。敏腕デザイナーのAさんだ。同年代でバチバチに活躍しているフリーランス。連絡を取るのは3年ぶりくらいだったけど、あまり久しぶりという感じはしない。彼の創作物をSNSでずっと見ていたからだろう。優秀なクリエイターは創作物で雄弁に語るものだから、声を出さなくても強い印象を残すことができる。もうずっと会っていないけれど、僕は彼のことを割と身近に感じていた。

そして、そんな彼から誘ってもらったことを嬉しく思った。僕がずっと彼の創作物を見ていたのと同じく、彼もずっと僕の創作物を見てくれていたのだろう。腕のあるクリエイターに認められるのは、本当に嬉しいことだ。

だから、オファーを見た瞬間に快諾した。どこを取っても最高のオファーだった。「少額で申し訳ありませんが」と枕詞がついているけれど、ギャラは申し分ない金額だ。余計な打ち合わせなどに時間が取られないのもいい。一般的なマスメディアは出演時間の5倍くらい余計な拘束時間が取られるものだ。アレどうにかならないのかな。開始時刻の何時間も前に呼びつけるの、勘弁して欲しい。しかもテレビ業界の人、自分は遅刻しがち。どういう神経してるんだアレ。「オレは遅刻するけど、お前の遅刻は許さない」ってことだもんな。理不尽すぎる。遅刻暴君


気心の知れた友人からの依頼は、そういう煩わしい遅刻暴君とはほど遠いところにある。準備ゼロと言われたら本当に準備ゼロである。ありがたい限りだ。

更に、何より素晴らしいのは「創作論を喋れ」という依頼だ。

僕は創作論をめちゃくちゃ語りたいタイプなのだが、普段はあまり喋らないようにしてる。サムいからである。聞かれてもない哲学を語る人はめちゃくちゃサムい。僕は聞かれてもいない人生観を語りだす居酒屋のオッサンにだけはなりたくない。自分の老いに際して望むことといえばそれだけだ。

聞かれてもいないのに、「令和のクリエイターはこうでなければいけない」とか「こういうものが理想のコンテンツだ」みたいなことをやたら語っている人はサムい。えっ、お前も結構語っててサムいって?うるせえ黙れ。僕は人のことをサムいと言うが、僕が言われるのは認めない。僕のことは創作論暴君とお呼び。


まあ、「創作論語りたい欲」が漏れ出してしまうことはあっても、普段はなんとか蓋をしようと努力しているワケである。

だけど、蓋をしなくていい時間が存在する。それが、人に聞かれた時だ。「これはどう考えて作ったんですか?」と聞かれたなら、どんなに講釈をたれても不自然じゃないし、サムくもない。

そういう意味でも、これは嬉しくてしかたないオファーなのだ。いつも蓋をしている欲望を解放して好きなだけ爆発させることができる。抑圧された欲望は蓋を勢いよく吹き飛ばして溢れてくる。シャンパンの開栓みたいなものだ。


ということで、オファーを二つ返事でOKして、実際に喋り終えたのがつい先日のことだ。

予想どおり楽しい1時間だったし、ここ数年考えていたことを思い切り喋れて満足だった。聞いてくれたお客さんもそれなりに楽しんでくれたようで、「素敵な仕事だったなぁ」と思った。


Aさんとの会話は盛り上がる。話すのは3年ぶりなのに、毎日会っている友人みたいに楽しく喋れる。これはすごいことだと思う。

こんな風に書くと、僕とAさんがめちゃくちゃ親しかったみたいに聞こえるかもしれない。全然そんなことはない。会って話したことは数えるほどしかない。

それでも親しい友人のように喋れるのは、お互いの創作物をベースにして喋っているからだ。「Aさんのあのプロダクトめちゃくちゃイケてましたよね。やはり着想は○○から得たんですか?」とか、「堀元のあの記事はなぜ××でなく■■というまとめ方になったの?」とか、そういう話は内容があって楽しい議論になりやすい。話題は尽きない。

また、直接的に創作物の話でなくても、視座の共有ができているのが嬉しい。発言の意味が一発で理解してもらえる。「クライアントワークをやっているとどうしても、悪くする修正が発生しますよね?」と言った時、「コンプラ重視で表現を丸くしたりとかね。まあ大企業とかだとしょうがないよね」と的確に汲み取ってくれるので、話しやすい。


これが、我々が楽しく話せる理由であり、創作物を共有しているクリエイターと話す喜びである。


もし僕とAさんの出会い方が全く違っていたとしたらどうだろう。偶然同じマンションの同じ階に住んでいるだけの関係で、エレベーターで一緒になったとしたらどうだろう。

「おはようございます」
「おはようございます」
「……あ、今日もいい天気っすね……」
「そうですねぇ。でも夕方から雨らしいですよ」
「そうなんですか。ヤバ。傘持ってないや……」
「ハハハ……」

ぐらいにしかならないだろう。気まずい。僕とAさんの絆は創作物と創作能力によってのみ支えられている。


創作物が良ければ、つまらないことはない

Aさんの例で見たように、良い創作物がある人と会って話すのは面白い。経験上、面白い人と会うための一番確実なスクリーニング方法はこれだ。

スクリーニング精度の実感値はこんな感じ。

創作物 >>>>> 所属組織 > 見た目 >>>> SNSのプロフィール欄

「SNSのプロフィール欄」の信頼できなさはガチ。めちゃくちゃ面白そうなプロフィール欄なのに会ったら詐欺師ということがよくある。

皮肉だね。悪党の血の方がきれいな花がさくし、悪党のSNSの方が面白そうなプロフィール欄がさく

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『幽☆遊☆白書』7巻 より引用)



ということで、プロフィール欄は全く信用できないのだけれど、逆に「創作物」はめちゃくちゃ信頼できる。良い創作物を作っている人と会いに行ってつまらなかったことは、一度もないと言っていい。

たまに、創作物は全部外注してるだけで本人は虚無でしたみたいなこともあるが、こういうのは例外。本人が手を動かして作った創作物が良ければ、会いに行ってつまらないことはまずない。これを創作物無謬説と呼ぼう。創作物は間違わない。ウソをつかない。僕は創作物無謬説を信奉する信者である。




……いや、違う。

過去にたった一度だけ、創作物無謬説を破壊する出会いがあった。


その人は、超腕利きのクリエイターで、ハチャメチャに良い作品を作っていた。スキル・センス・情熱、どれを取っても一流だと思った。この職人芸を身につけるまで、どれだけの鍛錬と苦悩を必要としたのだろう…。眠れない夜をいくつ越えてきたのだろう…。考えると、それだけで泣きそうになった。

だから彼に会えることになった時、心から嬉しかった。彼が僕の作ったものを見てくれたと知った時、この上ない光栄だった。僕はクリエイターとして彼に全く及ばないかもしれないけれど、せめて胸を張って話そう。彼に最大限の敬意を払いながら、お互いにとって実りのある時間にしよう。そう思った。


しかし、会った結果、「なんだこいつ」と心から思ったし、「二度と会わないようにしよう」と心から思った。青天の霹靂である。無謬だと思っていた創作物が前代未聞の大間違いを犯した。

あの落差は人生最大だった。イエス・キリストに会いに行ったら便所コオロギだったぐらいの落差。何をどう間違ったらこうなるのかさっぱり分からない。便所コオロギからキリスト教が発生するとは到底思えないのだけれど。

まさに、「目からウロコ」という感じだった。「目からウロコ」という言葉は、新約聖書の著者の一人であるパウロの逸話に由来する。盲目だったパウロの目からウロコのようなものが出てきて目が見えるようになり、その奇跡によってパウロは改心した、みたいな話だ。

僕の場合は逆かもしれない。目に飛び込んでくるウロコという方が適切だ。自分の目で確かめた素晴らしい創作物が一瞬で信じられなくなり、目を覆って改心したくなった。逆パウロ。


ということで、今日はそんな逆パウロ体験について書く。

以下実名や具体的なエピソードが出るので、当然ながら有料である。気になる方は課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ始めても今月書かれた記事は全部読める。6月は4本更新なのでバラバラに買うより2.4倍オトク。

また、今回の記事は前後編である。ガッカリエピソードがあまりにも多すぎて、1万1000文字書いたのに収まらなかった。続きは一週間後の6/28(月)に更新される。

定期購読しておけば後編も読めるので、ぜひ定期購読を検討されたい。



それでは早速見ていこう。僕の目にウロコを飛び込ませたのは、この人である。


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