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クリエイターの自意識オルガン。あるいは、ややこしい自意識に振り回される半生について。


少し前に、こんな記事を書いた。


「こんな会社の社長やってくれませんか?」という提案が来て、「最高のビジネスじゃん」と感激した話だ。(ビジネスモデルについてはあまり公にすべきではないのでここでは書けない。気になる人は上の記事の有料部分を読んでほしい)


上の記事で熱弁したように、僕はこのビジネスをものすごく面白いと思っていたし、「久しぶりに社長業やっちゃいますか~」と、最初はやる気満々だった。

だけど、結局やめることにした。


その理由を端的に言うなら、「僕の人生は1つしかなく、その人生は創作に使いたかったから」だ。


結論だけ書くと簡単に見えるけれど、これは割と難しい決断だった。

ここ一ヶ月ぐらい、ずっと人生について考えていた。これまでの半生を振り返り、死ぬまでの展望を見通して、たどり着いた結論である。久しぶりに人生や、自分のアイデンティティについてガッツリ考える期間になった。

だから今日は、考えたことについて書こうと思う。

改めて振り返って思ったのは、「僕のこれまでの人生はややこしい自意識に振り回された半生だったし、自意識オルガンがあったとしてもこの人生は変わらない気がする」ということだ。よく分からないと思うけれど、続きを読んでもらえれば分かるはずだ。

個人的な記録ではあるけれど、しがないインターネット芸人につきまとうキャリア形成の悩みや自意識をどう飼いならすかという問題について、ちょっと興味深い話にできるような気がする。お付き合いいただきたい。


インターネットと選民意識

14歳の冬、ブログを始めた。インターネットの海にコンテンツを垂れ流し始める生活の始まりだ。

あの頃はただ、自分のために文章を書いていた。読み手のことなど少しも考えていなかった。その日中学校で起きた印象深いできごとを、熱中したアニメの感想を、ただ書き連ねた。

「中学生がネットを使うのは危ない」なんて化石みたいな教育を施された世代だから、周囲でブログをやっている人はほどんどいなかった。それがまた良かった。選民意識というか、「僕は閉じられた地元の街を飛び出して広い世界にアクセスしているエリートだ」みたいな感覚があった。今思えば完全な錯覚なのだけれど。

インターネットを通して、気が合いそうなブロガーと交流した。同じアニメにドハマリしている大学生のブログにコメントしていたら、その大学生も僕のブログにコメントしてくれるようになった。最初はアニメの話をやり取りしていたけれど、親しくなるにつれて、話題はあらゆる領域に広がっていった。

6つほど歳が離れたその人は、当時の僕にとってはずいぶん大人だった。最初のうちは緊張しながらコメントを書いていたのを憶えている。気さくな返信が返ってくるのが嬉しかった。親しくなった後は相互リンク(当時はそんな概念があった!)してもらって、「すっかり友だちになったなぁ」と思った。顔も本名も、何一つ分からなかったけれど。

そんな大学生との気楽な距離感のやり取りは2年以上続いた。インターネットを介した人との繋がりの心地よさを感じた原体験かもしれない。


高校生になると、周囲でもブログを書く人が増えた。mixiが流行っていた時期だったから、mixiで日記を書いている人が多かった。

クラスメイトとの会話で「昨日の日記、面白かったよ」なんて話が飛び交うことも増えた。自分だけが強くインターネットに繋がっているという選民意識は消え去った。仲間が増えて嬉しいとは思わなかった。むしろ逆だ。僕のユートピアが刈り取られているような気がした。

自分の優位性が失われたと感じた時、人は焦る。たとえそれが錯覚にすぎなかったとしても。

「僕が一番、ガンダムをうまく使えるんだ」。アムロ・レイのごとく、「僕が一番、インターネットで良いものを作れるんだ」と思うようになった。

だから、「お前らはせいぜい身内が読んで楽しむようなものしか書けないけど、僕は知らない人を楽しませる文章を書けるんだぞ」という意識が芽生えた。痛々しい自意識をフルスイングで暴発させてしまった

この暴発の瞬間、僕の進路は決定した。人生のレールが切り替わる音がする。自己満足でインターネットにコンテンツを垂れ流していたのに、なぜかそれをアイデンティティの立脚点にしてしまった。もう、インターネット芸人になるしかない。

人生をやり直すなら、この瞬間からやり直すしかないような気がする。カルマを取り除きたいなら、カルマを背負う瞬間をやり直さないといけない。大学生に戻れたとしても、結局僕は同じ人生を歩むだろう。


緩やかに創作から離れていく

「身内に向けた文章など、書いていてもしょうがない」と妙な創作パンクをこじらせた高校時代の僕は、よく小説を書いた。当時から漠然と「作家になって本を出したい」と思っていた。(10年後にその夢は叶うのだけれど、小説ではなくインテリ悪口を書く本だ。人生は予想不能である)

この時期に書いた小説は、今でも結構お気に入りだ。文章は下手すぎて見てられないけれど、まっすぐなプロットとテーマに好感が持てる。

高校2年生の時に書いた『コーヒー恐怖症』という短編が特に良い。コーヒーを見るだけで動悸が止まらなくなる男の子が、それを隠して女の子と付き合おうとする話だった。異様な性向を隠す苦痛と、それを受け入れてもらう喜び。それから、案外誰でも異様な性向を持っているものだという事実がテーマだった。

書き終わった夜、「良いものが書けた」と大いに満足したのをよく憶えている。多分人生で初めて、創作の喜びを味わった夜だ。自分で本当に納得いくものが作れた時は、他者からの評価は必要ない。「良いものを作った」というただその自己評価だけで、自尊心は満たされる。その日は幸福な眠りに入ることができた。


一方で、「こんなものが仕事になるワケがない」と思っていた。

マトモな人たちに育てられた僕の周囲には、マトモな人しかいなかった。作家とか芸術家とか、そんなヤクザな商売をしている人のことは想像さえもできなかった。

父は、文学青年だったらしい。学生時代は大学のサークルで文学同人誌を作っていたという。実家の押入れには父が作ったという大量の同人誌が眠っていた。たまにそれを引っ張り出してきて「懐かしいな~!この時期はめちゃくちゃ詩とか書いてたわ!」と楽しそうに語る父にとって、それは輝かしい青春の記憶なのだ。

僕はいつの間にか、「創作とは趣味なのだ」と思い込んでいた。大人になったらマトモな仕事に就いて、マトモに生活をしなければならない。創作の喜びは余暇で味わえばいい。輝かしい青春の1ページになればいい。そういうものだと思いこんでいた。

だから、「こんなものにうつつを抜かしすぎてはマズい」と考えた。そこそこに受験勉強をしてみたり、人生に必要だと思われることをやった。


いわば、アイデンティティとして創作を信奉しながら、創作に本気を出すことを避けるという、奇妙なダブルスタンダードを身に着けてしまった。

この奇妙なダブルスタンダードは悪癖として、何年もつきまとうことになる。


僕は大学受験を機に、創作から緩やかに離れていった。

受験が終わった後も、創作の習慣は戻ってこなかった。大学で単位を取ったり、色々な集まりに顔を突っ込んで人脈を広げてみたり、プログラミングのスキルを磨いてみたり、「人生に必要だと思われること」をなんとなくこなす日々を送った。それなりに夢中になったこともあったけれど、『コーヒー恐怖症』を書き上げた夜のような高揚感は一度もなかった。

身体的にはそれなりに多忙だったけれど、精神的には退屈な日々だった。

たまに思い出したように「何かを作りたいな」と感じてキーボードを叩き始めて、しばらくして「こんな1円にもならないものを必死で作って何になるんだ」と放り出した。

僕の学生時代は、奇妙なダブルスタンダードに蝕まれ続けた期間だと総括できるような気がする。つくづく、ややこしい自意識の人生を送ってきたものだ。


ややこしい自意識の果てに

普通、ややこしい自意識というものは、大人になるにつれて段々マイルドになり、成熟した人格に統合されていく。

だけど、僕のややこしい自意識は、統合されていかなかった。大学卒業直前にまた暴発した。芽生えた自意識は死んでおらず、7年ほどの潜伏期間を経て、発露した。

大学4年生の秋、「創作をやって生きていこう」と決めた。あまりにも遅すぎる意思決定だった。


改めて考えてみると、ややこしい自意識の発露としては最悪の形だ。無収入で創作ができる学生時代を潜伏期間として棒に振ってしまい、生活の不安がつきまとう卒業後にほぼゼロからのスタートである。

ややこしい自意識というのは、コントロール不能だから厄介なのだ。「ややこしい自意識制御装置」みたいなものがあればどれだけの人が救われるか分からない。


『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に、「情調オルガン」という家電が登場する。


情調オルガンは、好みの番号をダイヤルすることによって、自分の気分を自在に操ることができる。作中の時代における「一家に一台」的な家電だ。

僕の人生にも、「ややこしい自意識オルガン」があればよかったのに。そうすれば、一生ややこしい自意識が発露しないようにダイヤルして真人間として暮らしたか、もしくは最初から自意識をバリバリに発露させたか、どちらかだっただろう。

「中途半端に長い潜伏期間を作って時間をムダにして、意味不明なタイミングで発露する」という不合理な状態に追い込まれることはなかっただろう。


……いや、もしかしたらそうでもないのかもしれない。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の冒頭で、主人公の妻は自ら抑うつ状態になる番号をダイヤルする。

そのまったく合理的でない行動を見て、主人公は「何をやってるんだ?このナンバーをダイヤルして幸せになろうよ」と伝える。だけど彼女は「不幸にならないなんて、不健康でしょう」と答える。彼女は不合理な不幸を求めて、自らそれをダイヤルしていた。


あるいは、僕にとってのややこしい自意識もそうだったのかもしれない。不合理な潜伏期間と不合理な発露こそ、僕が求めていたものだったのかもしれない。僕は無意識にそれをダイヤルしていた。

仮に「ややこしい自意識オルガン」があったとしても、僕は同じ人生をダイヤルするのかもしれない。人生におけるややこしい諸問題は、テクノロジーで解決できないのかもしれない。


薄れる憤り

ややこしい自意識の不合理な発露によって僕は無職なんだかフリーランスなんだか分からないややこしい存在になってしまった。もう5年半も前のことだ。

紆余曲折あって、無事に食っていけるようになった。途方も無い数の失敗をして、途方も無い数の人にお世話になりながら、なんとかクリエイターとしてマトモに生活することができるようになった。「一生やっていけるかもしれない」と感じ始めたのは、2年くらい前だろうか。


最近、「丸くなりましたね」と言われることが増えた。

自覚している。憤りがなくなった。

2年くらい前まで、僕はよく嫌いなものに対して憤っていた。

頭の弱い人を騙して「これが最強の生き方!」とイキる情報商材屋も、「実生活に役立つ最強の哲学」みたいなリベラルアーツのリの字も理解していないような動画を出しまくるYouTuberも、大嫌いだった。

何より許せなかったのが、創造性のカケラもないパクリコンテンツしか出さない集団が、「イケてるクリエイターです!」という顔をしていることだった。

だから、そういう人たちには牙を剥いた。「オモコロの創作物を丸パクリして、しかも本家を下回る品質」という最悪のコンテンツを作ってドヤ顔をする彼らは、創作の世界を後退させていると思った。


表現の世界を停滞させるコンテンツも、人民を衆愚へと導くコンテンツも、批判され駆逐されなければならないと思っていた。「それならば沈黙してはいけない。先鞭をつけなければならない」と思っていた。

沸き上がる憤りに突き動かされて、世界に対して声を上げていた。


さて、今どう思っているかというと、「まあ、人間ってそういうものだよね」である。憤りはまったくない。人は何年経っても情報商材を売り続けるし、教養とは程遠い教養コンテンツを出し続けるし、丸パクリをやり続ける。そして消費者は何年経っても情報商材に騙され続けるし、教養と程遠い教養コンテンツで賢くなった錯覚を楽しむし、粗悪な丸パクリを楽しむ。

憤りを抱かなくなった理由は、色々な歴史を学んだことが大きいと思う。歴史を学ぶと人間の愚かさが何千年経っても変わらないことが分かるので、諦めがつく。

ドナルド・トランプが大統領選挙で勝った時、「ポピュリズムの時代だ!」と騒いでいる人がたくさんいたが、プラトンは2500年前のアテナイを見て「ポピュリズムの時代だ!」と叫んでいた。逆にポピュリズムじゃなかった時代はいつなのか。

迷惑系YouTuberのとんでもない行動が取り沙汰された時、「インターネットによって人々の承認欲求が…」と言っている人がたくさんいたが、2500年前に「有名になりたかったから」という理由でアルテミス神殿に放火したギリシア人がいる。YouTubeがなかっただけで、迷惑系YouTuberみたいなヤツは昔からいたのである。

……とまあこんな事例は枚挙にいとまがない。人間の愚かさは古代ギリシアで出尽くしており、プラトン以降多くの思想家が一生懸命声を上げてきたけれど、根本的な人間の愚かさは何も改善されていない。


そういうワケで、今は「世界に対して声をあげよう」みたいなことに何の関心もないし、憤りもない。せいぜい「嫌だなぁ」と思いつつ「なんか上手いこと言ってバカにしてやろう」と思うぐらいだ。僕が面白がりたいし、話を分かってくれる購読者の皆さんに面白がってほしいからこのマガジンを書いている。世界が変わることなんて1ミリも考えちゃいない。


ややこしい自意識は消えるか?

諦観とは本質的に、老人のものである。

表面上、僕はかなり老人に近づいたように見えるだろう。激情や義憤から離れて、淡々と日々を送る老人だ。ややこしい自意識はだいぶ消えていったように見えるだろう。


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