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対馬「厳原港」が表玄関なら、対馬の勝手口と呼びたい「比田勝港」に入港(2024年春夏クルーズ7日目)


2024年6月2日日曜日、10時10分に「対馬(厳原港)」を出港、次の泊地となる「対島(比田勝港)」を目指した。距離は35マイルだが、波高1m、それもピッチの短い向かい波であったため、「比田勝港」までほぼ馬の背でのロデオのようであった。11時40分、港の入り口に到着、遠望する限りでは大いに漁船で混んでいてた。日曜であったため漁船は休漁だからであろう。そこであらかじめグーグルマップで当たりをつけていた「比田勝海上保安庁」(3階建灰色の建物)前の岸壁に行った所、その前に1艇分の空きスペースを発見、まずは近くに艇を近づけて、係船場所の安全確認をした。岸壁の切り込み、捨て石の具合、放置係留ロープ、干潮時の水深予測に問題なしと判断して、得意の横移動でするりと入れる事ができた。前にいた漁船は夕方には出ていった(北海道函館の船籍)。

この岸壁は「比田勝港国際ターミナル」の目と鼻の先(下写真奥)であり、それゆえに大勢のバス待ち観光客からの好奇な目線、写メを浴びながらの着岸作業となった。

早速上陸、周囲確認も兼ねて、まずはこのターミナルに入ったのだが、外側以上に中側も韓国人観光客で大混雑していた。各人の持っている荷物もそれほど多くはないので、週末を使っての1泊2日程度の対馬観光、あるいは日帰りの観光ではないかと思った。とにかく皆さん、お気軽な旅支度であった。

レンタカー事務所の職員に聞くと、韓国の人にとって対馬は「釜山」から見え、対馬観光の旅費も数万円の感覚なので、歴史的観光にはあまり興味はなく、それより免税品(いわゆるブランド品ではなく、生活用品主体、特に日本のウイスキーが人気)をたくさん買うのが1番の目的という答えが返ってきた。結局、その間の暇潰しに、バスによる島巡りツアーを楽しむのだそうだ。

ここ「比田勝国際ターミナル」前の駐車場にはフェリーの到着、発着に合わせてたくさんの大型バスが出入りし、観光に出発する客、あるいは観光から帰る客で瞬間的に人で溢れかえっていた。その時間帯に我々は着いたのであった。しかしそれが終われば以下の通りの閑散となる。

下写真の高速船が韓国「釜山」と対馬「比田勝」の間を約1時間で結ぶ「パンスター」である。

「比田勝」でもレンタカーがなければどこも回れない。そこで早速車を借りて、まずはテッパンの「韓国展望所」に向かった。昨年はリニューアル工事中で中には入れなかったが、今は周辺も含めすっかり綺麗になって、部屋の中の展示解説のビデオもよく出来ていた。しかし、対岸の「釜山」は今回も見ることが出来なかった。

次は日本版「ナバロンの要塞」とも言われる「豊砲台」跡地を訪ねた。砲台跡地は城の跡地と同じで、実際に訪ねてもイメージがなかなかつかず、徒労に終わる場合が多い。しかし、日本の「ナバロンの要塞」となれば映画を何度も見ている私には想像が湧く。

現地の説明板によれば、戦艦の主砲を転用したもので40センチ級のものであったそうだ。その威嚇効果はあったらしく、日本海側の都市は連合軍による海上からの艦砲射撃は受けなくて済んだという。ダミーでも良いので実寸の大砲を置いて欲しかった。

最後は「渚の湯」に行った。出港7日も経つと船内シャワーではなく湯船に無性に浸かりたくなる。「対馬」にはこのような日帰り専用の温泉施設は私の知る限り2ヶ所しかない。湯は弱アルカリの単純泉であったが、ゆったり浸かれてしばしの癒し時間となった。

隣接に並んで「比田勝東横イン」があるが、この地では異例の立派さを誇る。

ちなみに、「比田勝」では、手書きの貼り紙もハングル表記をつけている。夜出向いた「みなと寿司」の大将も「この地では韓国観光客抜きでは経済がもたないです」と言っていた。

「みなと寿司」の大将は、福岡で修行したため、すべての料理にしっかりとした仕事がなされていた。魚も鮮度命的なコリコリではなく、熟成しての提供、どれもまったりとして美味かった。

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