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小説を必要としていない

言葉に飢えていたとき、言葉を探していた。使い古された言葉ではなく自分が無意識に考えていることを言語化してくれる何かを。何が問題かがわからなければ問題を意識できない。問題を理解できれば問題に対処できる。「どうやって言葉を探すか」というハウツーはない。探している過程でむこうからやってくる類のものだ。ただ探さないと求めているものはみつからない。

物理的に旅をしている最中にホテルにある小説家の本が置いてあった。暇だったのでなんとなく手に取ると自分が欲していた言葉があった。いま思えばたまたまではなく必然だったのだろう。出会いは必然で出会いで人生は大きく変わっていく。「言葉」に出会ってからはひたすらその小説家の小説と類似する本を貪るように読んでいった。1日中読んでいたときもあったほど読み漁った。

あるときを堺にその小説家の本を読まなくなった。言葉を必要としなくなったわけではなく、自分の中で問題と欲するものが明確になったためだ。その小説家から間接的に学んだことから離れ、自分の言葉で物語をつくっていく過程に入っていた。それから小説はほとんど読まなくなり今では全く読まなくなった。

小説が売れないのは当然だ。一部の小説好きや生業としている人を除き、小説は趣味的に読むものではなく、生きるため死なないために読むものだ。ある種の極限状態、異常な状態、精神を壊す状態にまで追い込まれたときに読むべき小説に出会う。

またいつかそういうときになるのかもしれない。そのときは小説を読むだろうしむこうからやってくるだろう。

今は違う。考えて考えて実践するのみ。

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