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排他的な日本の田舎はよそ者に頭を垂れるか?

日本の田舎は排他的なのは「常識」として認識されている。実際にそのとおりだ。農業をはじめて排他的、排外主義、事なかれ主義、小金・ラベルでしか物事を測れないのは実践的に体験してきたし今もしている。

2020年、世界がコロナを覆っており、田舎の衰退はより加速していくと考えている。東京のような感染拡大ではなく、衰退から崩壊の段階に入っていく。コロナはそのキッカケにすぎず、本質は田舎の人たちがやってきた行いのツケがやってくるということだ。

畑と田は二束三文の価値しかない。自分の子どもがいても継がせるつもりはない。耕作放棄地にしても困らないからそのままにする。たとえ隣で畑を耕しいたとしても。新規就農や外から移住してきた農業者が畑を借りるのは困難ではなくなってきているとはいえ、借りるほうと貸すほうの力関係はいまでも地主が神様だ。「俺は貸してやっている」と上から目線。

その結果がいまの田舎の状況だ。田舎で生まれ育った子どもは田舎を捨て都会で生活する。当然だ、自分たちより上の世代がやってきた行いをみているわけだから残るわけがない。ずっと同じ場所で生活している田舎の人たちは田舎の衰退、いや手のつけようのないどうしようもない現実をただ嘆くだけだ。そしてこう言ってくる

若いけん大丈夫、若いうちは働かんと

自分たちは悠々自適に生活してただ嘆くだけで、こちらに丸投げする。

腹が立つけど彼らの言い分は理解できる。自分たちではどうしようもないと自覚しているからだ。何をしていいかわからないから、仕事がないから田舎に若いものがいないと頓珍漢なことしか言わず、お上の補助金にすがりつき目の前の小金しかみえない。

田舎は外からの人材を重用して新しいことをやってくれる人たちに頭を下げてお願いしないとならない。頭を垂れて謙虚に外の風を受け入れる田舎だけが消滅を免れる。誇張ではない。何もしなければ日本中の田舎は消滅するし、内輪で江戸時代の気味が悪いことを続けるところは誰も来ず消滅する。

耕作放棄地をやってもらいたければ、菓子折りを持参して懇切丁寧に頭を下げて「私たちの田畑をやってください、どうかお願いいたします」といえるかだけだ。

あとは何も言わず余計なことを言わず自由に好きなようにやってもらえばいい。条件なんかもちろんない。必要なときに必要な手助けをすればいいだけだ。外国人、日本人も関係ありません。田畑をやってくれるだけ、それだけで田舎の人たちは頭を下げないといけないわけ。

まあ、現実はぜんぜん違うけど。僕が頭を下げ下手に下手によいしょしてやる「身分」だ。身分が一番下の非農家に対する扱いは2020年になっても小作農民なのが現実です。

こちらとしては田舎を上手に利用してどこでも食っていける農業技術を身に着け、何があっても動じず他の場所(国内外)でもやっていける心構えを常に持ち、僕より若い人たちに同じ思いをさせないようにすることだけだ。

ただ、なんだかんだ70歳前後が田舎のメインになってきている(農業は75歳)ので10年もせずに色々消滅するからそのときが楽しみなので、江戸時代から現代社会が残る最後の田舎でやっていくぞ。


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