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「何のためにやるか」は考えなくていい

何かをする時に、

「これは〇〇のためにやる」
「こうした方が〇〇になるから」

という理由付けを考えたりしますよね。


でもそれ、理由ありきでやってる時点で
「思考」や「作為」が入ってるんです。

それがダメとかっていうことではなくて、

「純粋にやりたくてやってる」とは違う可能性が高いよ

っていう話です。


例えば、どこかに行った時に、
おいしそうなソフトクリームが売ってるのを
見かけたとしましょう。

「食べたい!買う!」

ってことで、買っておいしく食べたとします。


そこに、

「〇〇のために食べる」
「食べた方が〇〇になるから」

とかいちいち考えたりしなくないですか?

ただ純粋に、「おいしそう!食べたい!」と思ったから
買って食べた。おいしかった。満足。ってことですよね。


もしそこに、

糖分補給のために食べる
SNSにアップするために食べる
人に自慢するために食べる
食べた方が話題にできるから
食べた方が自分が喜ぶから
食べた方が人生経験になるから

などの理由が出てきたとしたら、
「食べたいから食べる」ではなく、

それ以外に色んな(余計な)理由が色々と
乗っかっちゃってるってことになるんです。

色々乗っかっちゃうと、「おいしく食べて満足」
からブレていくんです。


せっかく楽しむなら、余計な理由を乗っけて
作為的に思考ベースで食べるより、

理由なんかどうでもいいから
「おいしい」「嬉しい」っていう感覚だけで
食べたらいいじゃないですか。

「今ここにあるもの」を楽しんだらいいじゃないですか。


これ、普段のどんな行動にでも言えると思ってます。

例えば僕が今このnoteを書いてるのは、

「ふと思いついて書きたいと思ったから書いてる」
「なんか充実してて楽しい」

っていう感覚です。

発信することで何かに繋がるかもしれないからとか、
書いた方が多くの人に注目してもらえるからとか、
集客のためにやるとか、

そういうのは考えてません。


もちろん、そうなったらそうなったで嬉しいですが、
それは僕が楽しんだ結果としてついてくる(かもしれない)
ものであって、それが目的でやっているわけではありません。

もしそれが主な目的になっちゃうと、
「noteを書く」という行為そのものが楽しくなくなっちゃいます。

楽しくなくなると、そもそもやらなくなります。僕の場合は。


で、自分のこれまでの経験上、
「作為的にやったもの」よりも「ただやりたくて喜んでやったもの」
の方が結果として自分の喜びに繋がったことが多いと感じてるんですよね。

「〇〇のために」「〇〇になるから」と先の結果のことを考えるより、
変に考えない方が常に喜びを感じられてるっていう。


後先考えずに無謀な行動をしろ
と言いたいわけではなくて、
(別にそれでもいいんだけどw)

自分の「今」の大切な時間や行動を、
いちいち「先」の損得や見返りにとらわれて決めるな

って言いたいんです。


いきなり全ての行動がそうできなくても、
ちょっとしたことでも、少しずつでも、
「純粋なやりたい」の行動が増えるといいですね。


今日もありがとうございました!


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