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辛いことや足りないものに意識が行く理由

巷ではよく、

辛いことではなく、嬉しいことに目を向けましょう
足りないものではなく、今あるものに目を向けましょう

とか言われてたりしますよね。

「既に満たされてることを感じましょう」的な。


そういうのを知識として知っていても、
ついつい辛いことや足りないものに意識がいっちゃいがち。

「分かってるんだけどでも・・」ってなりがち。


それね、しょーがないの。


なんでそうなるかって言うと、

「死なないようにするための人間の本能」

だからです。


「怖い」「辛い」「苦しい」と感じるのは、
そこに命を脅かす何かがあるかもしれないから。


例えば、

食料が底をつきそうになったら怖いと感じますし、
凍える場所にずっといたら辛いと感じますし、
体に不調があれば苦しいと感じますよね。

もし実際に食べ物が全くなくなったり、
凍えたり、
体の不調が続いたりしたら、

命の危険がありますよね。

だから、命を守るためには「怖い」「辛い」「苦しい」
という感情に、敏感になる必要があるんです。


そして、それらの原因となるものを解消していくことで
命が守られるわけです。


逆に、「嬉しい」「足りてる」「満たされてる」
という状態の時に死ぬことはまずないわけです。

そこに命の危険はありません。

だから、「生き物としての命を守る」という意味では、
そこをわざわざフォーカスする必要がないんですよね。


どんなに嬉しいことがあっても、満たされていても、
ちょっとでも怖い、辛い、苦しいの方に意識が行くのは

生存本能として当たり前のことなんです。


でも、落ち着いてよく考えてみてください。

現代の日本において日常生活をしていて、
生き物としての命の危険ってそんなにありますかね?

死なないようにすることに、
そこまでフォーカスする必要ありますかね?

例え、能力がなくても、出来ないことがあっても、
救済していただける手段って色々ありますよね。


それよりも、「怖い」「辛い」「苦しい」を
意識しすぎたり考えすぎたりすることで、

心を壊してしまうことの方が危なくないですか?

だとしたら、物理的な生命維持を頑張るよりも、
自分の心を良い状態にしておいた方が
むしろ良くないですか?


ネガティブな感情に意識が行くのは
生き物の本能として当たり前のことだから、
それはそれでしょーがない。

自分の意志とは関係なく、
そういう作りに出来てるから。

そうなっちゃう自分を責める必要もないですよね。


それはそれとして認識した上で、
大して命の危険がないって分かったら、

「嬉しいこと」や「今あるもの」に
安心して目を向けてても大丈夫ですよーってことです。


だからこそ、

自分の心の声にフォーカスして従ってみると、
楽しく充実した毎日を過ごせるんじゃないですかね!


今日もありがとうございました!


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