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紙に関するAha!な事柄

0.はじめに
以前「本、新聞を読むのはデジタルか紙か」を書いた。これは書籍・新聞・雑誌という書載媒体を対象にしたものである。紙の用途は現代では数多あるのは(恐らく100以上あるのでないか)周知のとおり。今回も主に書載媒体についての「紙」を対象として、必ずしも一般に知られていないことを書きたい。

1.紙の定義とBible、Paperの由来
JIS規格上の紙とは『植物その他の繊維を膠着(こうちゃく)させて製造したもの』とある。これだけでは分り辛いが、『繊維を叩くなどして細かく分解(旦解、離解)して水中に溶かしたものを漉いて整形し乾燥させたもの』という理解で良いと思う。この定義に従うと、有名なパピルスは紙には当たらない。西洋で中世まで多用された羊皮紙=Parchmentが紙でないのは言うに及ばずである。

エジプトのパピルスが聖書(Bible)や英語のPaperの語源であるのはよく知られていると思うが、整理すると以下のようになる。

パピルスはラテン語でPapyrusと書く。古代ギリシャで「植物の液汁」を意味するBUBLOIという言葉があり、これが「パピルスに書かれた文字」、更には「パピルスに書かれた書物」に転じた。聖書をBibleというのは、新約聖書がラテン語で初めてパピルスに書かれたことに由来する。
Paperの語源がPapyrusであるのは正しいものの、Papyrusは上述のよう製法上紙の定義に該当しない。
<補足:Papyrusの製法概略>
カヤツリグサ科のカミカヤツリ(植物のパピルス)の茎を細片・薄片にして板の上で縦横に隙間なく敷き詰め重ね、圧縮し水分を抜いて天日干しする。尚、植物としてのパピルスはエジプト以外では殆ど生育しなかったようだ。

2.紙出現以前と紙の発明(?)
(1)紙の発明前史
世界最古の文字と言われる古代メソポタミアのシュメール文字(楔形文字。元は象形文字)が粘土版に書載されていたのは周知のとおり。他に亀甲、石・岩、竹、木、金属(青銅器など)、獣骨、獣皮、布、陶土器など、色々素材が世界の色々な文明地で使われていた。

中国では竹簡が主たる書載媒体として長く使われていた。冊子、何冊など「冊」は竹簡を紐で結んだ態様を表している。また、「削除」は元の中国語は删除であり、删の左の偏は「冊」のこと、右の造りは小刀を表す。つまり誤字があった場際、小刀で竹簡の該当箇所を削り落としていたことが削除の由来である。メインの竹簡の他に絹帛(けんぱく。細かく織った絹織物)も使われていた。「紙」という漢字は本来これを指していたようだ。
 
日本において、最古の文献の古事記や日本書紀は奈良時代より前に中国から伝来したと想定される紙(現在の紙の定義に一致する紙)に書かれたが、それ以前は木簡か金属類への銘文(碑文)しかなかったと思われる(竹簡はなかったようだ)
 
(2)紙の発明(?)
紙を発明したのは中国とされる(古代中国4大発明の一つ)。それは世界的にも認められている。当然であるが、ある日誰かが発明したものではない。現存する考古資料に依ればBC3~BC2世紀のものが最古とされる。使い方としては包装のため、または地図を書いたもので文書を記載したものでない。文字が書かれた最古の考古資料はBC1世紀の前漢時代のもののようである。

紙が本格的に普及することになったのは、『漢書』によればAD105年に蔡倫が製法を改革し大量に製造可能にしたことに依る。しかし乍ら竹簡も根強く使われており、文書として紙を使うのが本格化したのは後漢以降、隋唐時代とされている。故に孔子の時代は間違いなく竹簡だし、司馬遷の『史記』も多分司馬遷自身は竹簡に書いたのだろうと推定できる。
<追記>竹簡で間違いないことを文献で確認できた。

隋唐時代に仏教が中国に広く普及(影響は朝鮮と日本にも及ぶ)した背景の一つとして仏典の漢訳写本が大量に可能、普及したことが挙げられている。また、漢詩を初めとする文学も広く行き渡ることが可能となった。今は死語かもしれないが「洛陽の紙価を高からしむ」という用語は、晋(後漢と隋の間)の詩人の左思が三都賦 (さんとのふ) を作った時、これを転写する人が多く、洛陽で紙の値が高くなったという故事に依る
<補足:三都賦 >
三国志でお馴染みの魏・蜀・呉の都のことを書いたもの。
 
3.紙の伝搬と西洋への影響
(1)紙の伝搬
高校の世界史Bの教科書にも載っている「タラス河畔の戦い」が契機とされている。証拠が明確な訳ではないものが世界的に認められている。この戦いは、東から中央アジアに進出していた唐と西から中央アジアに進出して来たイスラム勢力(アッバース朝)が衝突したもの。その時に捕虜になった唐軍(中国軍)の捕虜から紙の製法が伝わったされている。
<補足>
アラビア人が建てた国家はイスラム国家であるが、国民がアラブ人とは限らない。イラン系など人々も居たからである。とはいえ面倒なので、イスラム勢力を以降アラビアと書く。
アラビア人:セム語族
イラン人:インド・ヨーロッパ語族 
 
その後、サマルカンド等を経てアラビア本国、即ち中東に伝わり、欧州へはアラビア勢力配下であったイベリア半島=スペインが先鞭で、更に主にイタリアを経由して西欧に伝播した。

(2)ルネサンスと宗教改革への影響
ローマ帝国滅亡語、東ローマは残ったとはいえ、古代ギリシャ・古代ローマの文化資産はアラビアで継承されることになったこと、及び、これが十字軍遠征などによる西欧とアラビアの接触により、文化遺産が再度西欧にもたらされルネサンスの契機となったことはよく知られている。

これは、実際は紙の伝搬の寄与に依ると言ってもいい。紙が最初にアラビアに伝播した時のアッバース朝首都バグダッドは世界最大級の都市のであり、且つ、英知と科学を集積する世界最高の文化都市であった。「知恵の館」というカリフ直属の研究機関があり、可能な限り多くの書物が集められ翻訳が行われ、アラビア以外も含めた地域から学者が集まった。この地で紙を利用し写本が多く作られたことが、西欧への逆輸入を容易ならしめたということになる。
<補足:破壊されたバグダッド>
アッバース朝のバグダッドは円形の壮麗、美麗な都市と言われた。しかし、モンゴル軍により完璧に破壊された。今のバグダッドは場所が異なるところに建設されている。
<流通紙幣の嚆矢はモンゴル帝国/大元ウルス>
紙幣の始まりはモンゴル帝国/大元ウルスより前の中国であったようだが、広範囲に及ぶ真の流通通貨としての嚆矢は大元ウルスの交鈔である。

宗教改革は聖書をラテン語から庶民でも読めるような言語に翻訳したものが普及したことが大きな実現要因とされる。これも紙とグーテンベルグの活版印刷の両輪があってこそのものである。
<補足:活版印刷>
中国の古代4大発明は①紙、②印刷術、③火薬、④羅針盤である。この内、印刷術について補足する。
最初は木版だったが、活版印刷も11世紀初頭に出来ていた(朝鮮にも伝わり13世紀に活版印刷が出来たようである)。しかし乍らアルファベットと違い漢字は字の種類が多すぎ、また、活字を置くものの材質もよくなく廃れた。従って、グーテンベルグの活版刷は中国→中東などを経由して伝わったものが元ネタと言われる。グーテンベルグの偉大さは「真に使える活版印刷工程を発明したこと」にある。

4.終わりに・・日本の製紙技術は世界一
日本では多種多様な用途向けの紙を生産し、芸術の域のものがあり、品質、紙そのもの多様性、及び用途の多用性で世界一と行って間違いないと思う。それを示す例を幾つか列記する。
○ベルサイユ条約書への採用
日本の紙の品質の良さからベルサイユ条約の正文を記載する用紙として採用された。
○風船爆弾
太平洋線戦争時、ジェット気流に乗せて米国本土の風船爆弾を飛ばしたのは知られていると思う。成果は上がらなかったものの米国本土に到達したものが多くある。この風船は紙で作られていた。
○古文書の保管・修復の世界標準
世界中の美術館・博物館で古文書の台紙、裏打として使われているのは日本の和紙だけと行ってよい。修復(紙継)にも使われている。

蛇足ながら、美濃和紙できたハンカチを土産に名古屋駅KITTEで購入したことがある。


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